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雲貴高原(中国)

(87番)  2013年   4月

中国の「雲貴高原 少数民族紀行、ミャオ族の祭り・姉妹飯節」の見学へ行ってきました。
姉妹飯節(しまいはんせつ)はアジア最古のバレンタインデーとも言われます。
今回は男性5名、女性8名の計13名の参加でした。

1日目 4月19日
✈ 08:55 発 成田: 中国国際航空(737-700)
  11:30 着 上海

出発まで時間があったので、空港内でちゃっかりと足つぼをしてもらった。
ここで、大阪組の人達と添乗員さんと合流して広西(こうせい)チワン族自治区の桂林へ向かう。

✈ 15:50 発 上海
  18:15 着 桂林

🛏 桂林泊

2日目 4月20日
🚌 三江(さんじゃん)へ向かう。

龍勝の棚田
桂林から北へ約8kmの所にある。辺りは霧が出ており、一抹の不安があったものの、途中でバスを降りて徒歩で懸命に登って行くと「あれ?」濃霧で真っ白・・・😓
有名な観光地なのに残念。

三江着後、伝統的な水車が残る山道を通り、トン族の暮らす馬安(まあん)村の散策

程陽(ていよう)の風雨橋
1916年に建造され、5つの橋脚の上にそれぞれ5つの鼓楼があって長さは76m。
釘を一本も使わず、木を組み合わせる技術は中国ではトン族だけのものだとか。日本では昔からある技術だが。
屋根は4層になっており、こんな立派な橋見たことなく、大したたまげた!
橋は豊作祈願のため水を司る龍の形をしている。

程陽(ていよう)の風雨橋

百家宴
夕食の宴が開かれるというので、その場所へ向かうと階段があって、そこにはトン族の人達が民族衣装を着てズラリと並んで待っていてくれた。いきなり、歓迎の歌が始まった。
トン族の男女は恋愛をする際、仲間同士で唄を歌い、お互いの気持ちを伝えるとか。我々も2曲お返しをして、その後会場へと通された。

そこでは別の歌や踊りを披露してくれた。
彼らが使う玉屏簫笛(ぎょくへいしょうてき)という竹笛には彫刻が施されていてとても綺麗だし、音色も美しい。
同じ竹笛でも芦笙(ろしょう)はリードの付いた竹管を木製の長い吹管にはさみ、樹皮で巻いてあるという珍しい形をしている。

長テーブルに座って彼らと一緒に夕食が始まった。料理は彼らが家で作ってきてくれたものがズラリと並んでいた。中にはお酒を飲み交わしていた人もいた。貴州特産のマオタイ酒?
ここで生まれて初めて「イナゴの佃煮」を食べてみたが、大変美味しかった。

🛏 三江泊

3日目 4月21日
トン族が一番多く住む村である貴州省の肇興(しょうこう)へ向かう。

途中、地坪(ちへい)の村に立ち寄る。
ここでも風雨橋の見学をして昨日の物よりは小さ目ではあったが、中に描かれていたトン族の生活の様子は色鮮やかに残っており興味深かった。

肇興着後レストランで昼食(トン族の民族料理であるなれ寿司や油茶など)

その後、ホテルに荷物を置いて村の散策へ
村の中には鼓楼が5つ(仁団、礼団、義団、智団、信団)、花橋が5つ、劇楼が5つある。人口は4千人で全員の姓が「陸」というらしい。

トン族は杉の木には神が宿ると信じていて村の守り神として建設したのが鼓楼であり、重要な会議や結婚式などに使われる。

早速、13層もある鼓楼の前の広場で歓迎式を開いてくれた。やはり、民族衣装を着て15名ほどが横2列に並んで素敵な歌声を披露してくれた。

トン族の人達

この村は藍染めで有名な村で工房へも行ってみた。
併設の店舗では素敵な色合いの服がたくさん売られていた。
上質な藍だというのは分かったが、残念なのは色移りがしないような処置がされていないようで、商品に触っているうちに手が真っ青になったこと。
村の中を流れる川では藍を流している様子が見られたし、家々の窓には藍染めの生地が干されていたりした。

後は丘の上にある小学校まで登っていくと5つの鼓楼がすべて見られた。

トン族の村の夜景

🛏 肇興泊

4日目 4月22日
本日は小さな村を訪問しながら榕江(ようこう)へ向かう。

地門【左に手偏がつく】(じもん)トン族の村の散策)→チャオジェ(古い町並みが残る古鎮で文革歴史館があった) →昼食 →車江(小さなトン族の村で鼓楼や風雨橋などを見学。映画「単騎、千里を走る」の舞台となった事もある)

🛏 榕江泊

5日目 4月23日
ロウケツ染めで有名な麻塘(まとう)村を経由して鎮遠(ちんえん)へ向かう。

ところが、途中で土砂崩れが発生しており、散々迷走した挙句に麻塘村には立ち寄らずにそのまま向かう事に。

鎮遠は漢族の街。
湖南省と雲南省を繋ぐ要所として約700年の歴史があり、明代の四合院形式の青龍堂がある。トン族の鼓楼に似てはいるが、寺院なので中にはお堂などがある。
我々は時間の関係で中には入れなかった。
無【左にさんずいがつく】陽河(ぶようがわ)が西から東に蛇行し、「東洋のベニス」とも称される。1991年の冬に水力発電用のダムが建設された為に水位が上がり、建物はまるで水面に浮かんでいるように見える。
町全体が昔風の家屋が並んでおり急に観光客も多くなった。

🛏 鎮遠泊

6日目 4月24日
凱里(がいり)へ向かう。

無陽河クルーズ
マレーシアのグループとの混載で1時間半のクルーズ。孔雀や仙人などに見える山と案内されたが、心の目で見るのがいいのかも。

無陽河クルーズ

麻塘村
昨日、あれほど迷走したのに今日はアッという間に到着・・・

住民はミャオ族の支系で「革家人(かかじん)」と呼ばれ、太陽を射落とした中国神話最大の英雄で月の女神となる嫦娥の夫である后羿の末裔だとか。この村の人口は400名あまりだが、中国全体には5万人ほどいる。
言語、服飾、生活習慣、信仰と礼儀などは独特のものを持っている。
民族衣装はろうけつ染め、刺繍、赤い帽子に特徴がある。
因みに中国には55の少数民族がいるが政府は「革家人」を少数民族には含めていないとか。
とても素敵なロウケツ染め売りのお姉さんたちがあちこちに。

革家人の人達

高台から村の様子を眺めた。
すると丁度、田んぼを耕している水牛が1頭いて何故だか、我々を見ると「も~!」と何度も叫ぶ。曲がる時にも首をこちらに向けるし、あたかも「この仕事は辛いよ~」と悲しそうに泣いているように聞こえたのは私だけだろうか。🐃

凱里着後、夕食(酸湯魚【さんたんぎょ】魚や野菜を酸味のあるスープで煮込んだミャオ族伝統の鍋料理)

🛏 凱里泊

7日目 4月25日
今回のハイライトであるミャオ族の恋愛のお祭りである姉妹飯節【しまいはんせつ】の見学の為に、施洞【せどう】へ向かう。因みに姉妹とは「若い女性」のことだそうだ。

ミャオ族の人達

昔、年頃の娘たちはなかなか結婚できずにいた。そこで、彼女たちは、遠くの村から若者に来てもらおうと、ご馳走を作りお祭りを開いた。付近の村から年頃の男たちがやって来て、歌に踊りに、競馬に、闘牛にとにぎやかなお祭りになった。
娘たちは厚くもてなし、別れ際には自分のハンカチに草木で色を付けたおこわを包み、お土産として渡した。これがきっかけとなり、男たちはしばしば遊びに来るようになり、相手を見つけてめでたく夫婦になった。
姉妹飯節はこうして始まったと言われていて3千年の歴史がある。
何故男性ではなく女性が行動を起こしたのか疑問に思うが、そんな野暮なことは言わないでおこう。🤔あくまでも伝説らしいから。

現在、姉妹飯節で出会う若者は少なくなってきていて、どちらかといえば豪華な銀の民族衣装を披露することが目的に変わってきているそうだ。
ミャオ族はかつて戦いで住む土地を追われ、全財産を銀の装飾品や衣装に変えて持ち歩くようにしていたという歴史がある。現在でも銀細工は嫁入り道具として使われており、少しずつ買い足して豪華な装飾品や衣装に縫い付けている。代々親から受け継がれてきた大切な銀の衣装を披露する機会でもある。

朝から大雨でどうなることかと心配したが、ホテルを出発する9時ごろには上がった。1時間で着くとのことだったが、2時間もかかって会場へ到着。
簡単に村の散策をした後、昼食は姉妹飯(赤、黒、黄、白、青など5色)を頂いた。おこわなので日本人の口にあう。

姉妹飯

お祭りは15時から始まるとの事だったが、情報が錯綜して全くあてにならないスケジュールなので、早めに会場入りした。

いよいよ、お祭りのスタートで村ごとにプラカードを持って入場行進が始まった。
銀の冠を被り、銀飾り衣装はもちろん、そうではないタイプの民族衣装を着ている人もたくさんいて年齢層も様々だった。
総勢300名ほどで、村ごとに輪になって踊りの披露が始まった。
しかし、途中から観光客と村人たちがもみくちゃになってしまい、全く統制がとれていない混沌としたお祭りになってしまった。
確かに民族衣装は綺麗だったが、あまりにもごった返しており、途中で広場の隅に逃避をした。

ミャオ族のダンス

ご存じの方も多いと思うが、日本のバレンタインデーは特殊で、女性からチョコレートを男性に送るという習慣は、お菓子メーカーが考え出したことで、本来は違う。
キリスト教圏ではこの日には一般的に恋人、家族や友人のような大切な人に贈り物をする習慣がある。

🛏 凱里泊

8日目 4月26日
六枝郊外の「長角ミャオ族」の村へ向かう。

長角ミャオ族の人達

本日も長い、長い移動でミャオ族の村に到着したら、既に夕方近くになっていた。
村の入口には民族衣装の女の子達が待っていて、歓迎の歌を歌ってくれた。
その後、広場に通されて彼らの特徴である大きな髪を結う手順を見せてくれた。
まず、水牛の角の形をした長さ50cmの木製の櫛に2.5mの毛糸を巻き付けて大きな髷を結う。この髷には先祖代々(祖母、母など)の毛も入っている。昔は全部が本物の毛で髷が作られていたそうだ。髷の重さは5kgにもなるそうで、彼女たちはそれを支えるためにじっと立っているときは腰に手を当てる。

髷を結う
後ろ姿
長角ミャオ族の人達

15分ほどで慣れた手つきで結い上げた後は、歓迎のセレモニーが始まった。
段取りが悪くて、一人など遅れてくるし、その子は最初から泣いており、「おら、こんな所に来るのは嫌じゃ」とでもいいたいのか、ずっと泣いたままだった。
それに歌も踊りも揃っていなくて、ま、その方が素朴だし、初々しいし良かったかもしれない。

🛏 安順(あんしゅん)泊

9日目 4月27日
空港のある貴州省の省都である貴陽へ向かう。

黄果樹大瀑布(こうかじゅだいばくふ)
東アジア最大の滝で幅101m、高さは78m。
滝の入口を進んでいくと盆栽園となっており、そこを眺めながら行くとエレベーターで下に降りていくようになっている。
この滝は「水簾洞」と呼ばれる鍾乳洞が滝の裏側にあって、そこからも見ることができる。水しぶきを浴びながら滝の裏側も見学をした。
ここの名産は「波波塘【ははとう】」というお菓子。

黄果樹大瀑布

老漢族の村
明時代に少数民族の蜂起を鎮圧する為に派遣された漢族の兵士の子孫が住む。腰に888本の黒い糸の束をぶら下げている。
村は600年の伝統を守りながら生活をしており、迷路のようになっている。一軒の民家のお庭を見せてもらった。

その後、「地劇」の鑑賞。これは映画「単騎、千里を走る」にも出てきた仮面劇。
顔には黒い布を被っており、おでこの辺りに仮面をつけている。その理由は馬に乗った偉い人が見る時にお面が正面に見えるからだとか。背中には旗を数本差していて、チャンバラ?
「三国志」がテーマの10分ほどの劇だった。

地劇

貴陽へ向かう道路の両側は「菜の花」の取り入れが盛んにおこなわれていた。真っ黄色でとっても綺麗だった。

スルーガイドさんは中国の「日本語コンクール」で1位となった人で本当に綺麗な日本語をしゃべる人だった。

🛏 貴陽泊

10日目 4月28日
✈ 08:05 発 貴陽: 中国国際航空(A320)
  10:50 着 北京

✈ 13:25 発 北京: 同上(787-800)
  18:00 着 成田

{結び}
少数民族の人達はそれぞれの文化や伝統を守り続けて暮らしており、いつまでも絶やさないでもらいたいです。また違う少数民族の人達にも会いたいです。

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