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宇宙と繋がってしまった話

これは私の人生が変わった話。

いままで、家庭、環境、恋愛、仕事・・・などにおいて、
基本的に底辺レベルだった私。
「上手く行く」という言葉はどうやら私の人生にはないようなのだ。
やっと掴んだと思ったら、すぐに音を立てて崩れる。
人の5生分くらいは泣いてきたと思う。
なぜ、いつも私なのか。
他の人は、そう簡単に崩れていかないのに・・・。
私がほんの少しだけ「幸せだ」と思ったら、
すぐに落とされる。
なぜだ。
ずっとそう天に嘆き泣いていた。


しかし、
それはすべてがプロセスにしか過ぎない、ということを
知る日がくるとは思ってもみなかった・・・。

数年前のある日、いろんなことがうまくいかなすぎる自分に対して、
今までの人生を振り返ってみた。
母親のこと、元旦那のこと、子供の頃のこと、仕事や恋愛etc・・・。
なんだか不思議とパズル式にどんどん繋がっていったことを
よく覚えている。
キーワードは「カウンセラー」であった。
昔から、心理学や哲学などに興味があり独学で学んできた。
それらによって自分の壊れていく心をなんとか繋ぎ止めていたんだと思う。
しかし、これが一気に現実的に繋がった。
似ても似つかない自分の人生におけるキーワードを
パズルのように当てはめていく。

起きたすべての事柄は偶然や神のいたずらではないということ。
すべて起こるべくして起きたことであり、必然的、
そして自分にとって重要な意味をもたらすヒントの連続であったということが、そのパズルのピースの繋ぎ合わせにより、一つひとつ繋がっていくのだ。

「だからか!」
と、湧き出てきて止まらない涙で視界が見えなくなるほど感動していた。
自分の今まで生きてきた残酷とも思える現実は、
すべてここに繋がっていたのだと。
「私はカウンセラーになるのだ」と。
そして永遠と思えるほどに泣き崩れた。

よし!と立ち上がった瞬間、
自分の中に美しすぎる、あの壮大な宇宙を見てしまった。
「なにこれ・・・すごい・・・・・(絶句)」
言葉が出なかった。
そしてその中に小さなダイアモンドのような光を見た。
なんだ?
それは瞬時にわかった。
「私だ・・・・。」
驚愕としか言いようがない光景を私は確かに確認した。
また涙が溢れてくる。
「人間ってすごい、人間の体ってすごい・・・・」
「本当に宇宙なんだ・・・、繋がっているんだ・・・」
言葉で表現できるのはここまで。
これしか言いようがないからだ。
誰もわかってくれる人はいないのだが、
確かに私は見たし、
漠然と
「・・・大丈夫!」
という感覚がくる。
フワフワしているが、確かな、壮大な大きなエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。
その光こそが、自分の本当の姿、魂の姿、輝き、光そのものだということを瞬時に悟った。
直観的というより、すでに知っていたような、
何度も会っているような、とにかく、人間の姿ではない、本当の自分の姿であるということがすぐに理解できたのだ。

よく不思議体験と言われるが、私には全く縁がないものと思っていた。
霊のようなもの、怪奇的なような事象は何度も体験しているが、
自分が異次元との関わりをもつなんてことは考えたこともなかったのだ。
私が、スピリチュアル的な感覚を持っていることも、
知らなかった。

そこから一気に私の人生は動き出したのは言うまでもない。
私の人生、今までのすべてが何だったのだろうと思うほど、
壮大な背景を身に着けてしまったような感覚であったのを記憶している。

こう文章にしてみると、かなり軽く感じられるが、
実際のことを事細かく書き記したならば、
何冊本が仕上がっていくのだろうというレベル。

その後はスピリチュアルなものや、今まで独学で勉強してきた心理学や哲学など、気になるものはとことん調べ漁る毎日を過ごしてきた。
ブログなどで、私と似たような感覚をもった方の記事をたくさん見て回った。
だが、何かが違う。
なんだか、ふわっとしすぎていて、なぜか響かないのだ。
きれいごとばかりの言葉を並べて、皆同じような表現を使う。
わかる部分はわかるのだけど、響かない。
そんなんで良いのか?スピリチュアル・・・・。
と思ってしまったほどだ。

その後、さらにこの分野の学びを深めたいと突進している私の運命は
ある人との出会いによって飛躍することになった。
私の身に起きたことを、私以上に知る人が出てきたのだ。
そして、誰も理解できぬであろう私の体験や表現をその人は
ひとつひとつ感銘を受けながら熱心に聞くのと同時に
私も知り得ないその背景においての「裏付け」を施してくれた。
色々なことがわかった。

一番初めに教えられたのが、
「あなたも見てしまったんだね。」
「繋がってしまったのだね。」
通常は、対相手がいること。
または環境など、他の要因を伴ってはじめて、
見る、対面する、繋がる感覚を得るものだという。
お寺のお坊さんが山に修行へいき覚醒して帰ってくるような、
それと同じことを私は自力でいってしまったようなのだ。

その人も数年前から数奇なものとの対面に困惑し悩み、
調べ倒しているといった最中であった。
私と知り合って3回目で、
「自分と同じ人がいる」と、漠然としているが、決して逃げることはできないような、激しい只ならぬ感覚が湧き上がってきたのだとか。

そこでも共通点は「カウンセラー」であった。

二人でたくさん話した。時間もわからなくなるほどに。
そこでの対談は私にとって驚愕でもあったが、体の芯では
「すべて知っていた」ような、自分を客観的にあるいは自分自身が映像の中の一人のような、自分が浮いているような、とにかく今までの自分がどんな感覚であったのかさえ分からなくなるほど異次元の空間にいるような感じがしていた。
そしてたくさん・・・・、この世のことを実際に知ることになる。

この感覚は普通ではない・・・。
それからの日々の中で、
ある時から自分の中のもう一人の自分と対話するようになっていった。
多重人格者になったのかもしれない・・・。
私は今まで数々の精神疾患を伴ってきたが、ここにきて本当に
「やばい人間になってしまった」と、
打ちひしがれる現実にも向き合うほどだ。

だが、これは精神疾患ではないようだ。
実際に自分と対話しているのだ。

他のスピリチュアルを語る方の中にも私のように自力で繋がってしまう人が最近やたら増えているようで、一般的には
「ハイヤーセルフと繋がる」ということらしい。
ブログ記事などをみると、こういう人は他にもたくさんいるようだ。
(本当かどうかはさておき・・・。)

しかしながら、だ。
どうやら一般的なスピリチュアルレベルではないようなのだ、
私が携えてきた運命は。

よく、スピリチュアル系の方は「使命」という言葉をよく使う。
確かに「使命」はあるのだが、
多くの方はその背景を知らない、もしくは漠然としかわからない。
だから、言葉はよくないが「その程度」であるため、
薄っぺらく感じてしまう。
皆同じような言葉を使い、きれいごと、きれいにまとめる・・・
みたいな。

真のスピリチュアルの世界は実際にそんなに「甘く」はない。
「楽に生きよう」だなんてありえないのが「真」のスピリチュアルである。
多くの方により、スピリチュアルという言葉が一般的に広まってきたが、
私がその後知ってしまったその世界観は壮大過ぎる背景ゆえに、
まさに「精神の世界」と呼んだ方がしっくりくる。

ワンネスとか軽々しく言うが、そういう方は真のワンネスを知らない。
ワンネスの壮大さは人間が容易に語れるものでは決してないし、
その「真」の姿は誰もが目を覆いたくなる、逃げたくなる仕組みを持つ。
多くの方はその真にたどり着く前に、「死」を選んでしまうほど、
その試練や学びは肉体を滅ぼしていく。
実際に私も「繋がった後」の日々は過酷というか地獄というか、まさに
精神病を患ってしまったような、「やばい奴状態」が次々に試練としてやってきた。
私はこの精神世界へ続くプロセスの中に、知らない間に飛び乗ってしまった状態。何度も自分対自分の底が見えぬ、抜け出すことすらも許されない試練に直面してきた。悪魔とも思える声や目、恐怖と不安、怒り、次々に自分の中から只ならぬものが姿を現してきて、それに向き合い対面、解消しなければならない。そうやって自分の精神を内面をクリアにし、研ぎ澄ますことで、少しずつその壮大な全貌を垣間見ることができてくる。
精神的だけではない。精神世界と物質世界(現実的)は反面しているがゆえ、ありえない現実の物質的追い込みも容赦なくやってくる。
確定、決定していた仕事が一瞬でなくなってしまうなど、当然生活には大きく支障が出てくる。いつまで経っても貧乏、絶望という言葉が一番近い感覚だろうか。

ただ、
これは精神世界に神通する人間においてほんの一部の人だけだという。
その目的やいわゆる「使命」が様々であることからも、
このような聖域に近づけるものはごくわずかだというのだ。

自分にこんな世界が待っていたなんて、以前の自分が知ったなら
どうしていたのであろうか。
もう、以前の自分は居ない、
感覚・考え方すべてがひっくり返ってしまった今では、想像すらできない。

先に記したとおり、
この世はすべてパズルのピースをはめていくキャンパスなのだ。
偶然などはなく、すべて必然であり、すべて決められている。
キャンパスという舞台に自分はひとつのピースだということに過ぎない。
大きなキャンパスはそれこそが壮大な「ワンネスー1なるものー」であり、
誰一人として例外はいないのだ。

肉体と魂は別物であって、魂の乗り物が肉体である。
私はこの自分の魂を見て確かめて、いまでは対話する。
だがしかしながら多くの人はそれを知らないし、知り得る手段すらない。
だから、肉体の思考、意識、自我、エゴに主導権を握らせながら日々を生きている。
肉体に備わっている思考は、あくまで肉体に備わっているものであって、
それは本来の自分ではないということを知ってほしい。
思考はこの世の観念や概念が元になっていて、
それをもとに自分を動かしている。
だから皆「悩む」のだ。
本来の自分は魂(波動・光)なのだ。
魂の世界には観念や概念などは一切存在しておらず、ルールもない。
それによって、この世の観念、概念がルールというような締め付けに抑えられ、苦しめられている。というのが現状の姿であること。

世の中のムードが一気に変わり始めている。
型にはまらない、「自分らしい」ということを追求していっているのも
自然の流れから成るもの。
この世は成長していくものなのだ。
今まで占めていた、お金、権力、地位、肩書、名誉、実績から、
そういったものではなく、自分のこころの幸せ、
自分らしさに焦点が当たる。
まさに物質世界から精神世界へ移行していっていることの証明でもある。
自分の中の魂が成長とともに、
この観念の物質世界から真の解放を求めて
藻掻き始めているといっても良い。

私はそういったことを、怯むことなく、
自信をもって発信していこうと思うのだ。
薄っぺらさは、肉体、物質上だけの世界であるからそう感じる。
しかし、実際は人間も物も空気も空も
すべて光子、波動、エネルギーからできている。
皆同じであること。根源は同じなのだ。


「私だけのレア体験」という表題にしては重たい内容になってしまったが、
そこは先に謝罪したいと思う。

そして、私だけのレア体験ではあるが、
これからまた違う形で多くの方が精神世界と触れ合う、
垣間見るようなことがぞくぞく起きてくることだろう。

それを単なる不思議体験とか、軽いスピリチュアルとかではなく、
真の世界からの働きかけなのだと理解してほしいと思う。
これから時代は更なる進化を遂げるために、
多大なるエネルギーを要して、
その歪みを改善させようという力が働いてくる。
病む人、自殺を考えてしまう人、天災、人災、戦争、
何が起こるかわからない現実が加速していく。
そういった時こそ、真の自分に委ねてほしい。
真の自分は決して死ぬことはないし、裏切ることもない。
何より、ひとりではないということも伝えておきたい。
今はまだわからないかもしれないが、
根底では皆繋がっている、
同じ波動でできている。
頭の思考ではなく、自分の深いところからくる感覚、直観を信じてほしい。

それがこれからの時代に、
これからのあなた自身に何よりも必要になってくる、
とここに断言したい。

お題とは少し違う内容になってしまったこと、
お詫びいたします。

最後までありがとうございました。









#私だけかもしれないレア体験

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