見出し画像

「お客様は神様」という噓

近年、サービス業全般で特に問題になっている事の一つに、カスタマー・ハラスメント(通称:カスハラ)が挙げられます。

その問題の中で、事あるごとに「お客様は神様」と言う言葉をよく耳にします。

そして、この言葉が起因していると思われる、サービス業の接客現場で発生するトラブルも、メディア等で数々挙げられることが多くなりました。

また、それらはサービスを提供する側からではなく、提供されるサービスに納得や満足がいかない「客側の人間」からの、不当なクレームとして発せられる事案が多いように感じます。

時代の変革と相まって、過去のクレーム・ケースと明らかに違うのは、サービス提供側と客側とのトラブルの様子が、隠し撮りや防犯カメラ等に映り込み、まさにそのトラブルの瞬間の映像が、いとも簡単にSNSというメディアに上げられて、瞬く間に広く世間(世界中)に拡散されてしまうということです。

そういった数々の問題映像を注視すると、それぞれの映像に映るトラブルの内容が、互いにリンクしない別々のケースであるにも関わらず、クレームを言っている客側の発言の内容には、ある特徴的な共通点があることに氣がつきます。

それは、前述の「お客様は神様」という言葉が、度々発せられているということです。

ある映像では、受付のカウンター越しに客が「ふざけんな!お客様は神様だぞ!神様に対してこんな失礼な対応は無いんじゃねぇのか!」と、カウンター内のスタッフに暴言と共に迫り、スタッフが「申し訳ございません」と繰り返し平謝りしていたり、また別の映像では、店の玄関先で「客をバカにしやがって!訴えてやる!客は神だろ⁉ 怒らせてタダで済むと思うなよ!」と、激高して店のスタッフに迫り、スタッフは氣後れしたのか、その場で暴言を吐く客に対して土下座をしている姿が映っていました。

他の、幾つかのトラブル現場の映像も似たり寄ったりで、それらの共通点もやはり「お客様は神様」という共通する言葉でした。

かつて、商売の大基本として接客業に携わる日本人の多くが、特に疑問に思うことなく漠然と信じてきた、この「お客様は神様」という鉄板ワード。

今や、日本国内で接客業に携わる人達にとっては、自分たちを苦しめる「デッド・ワード」と化してしまっているようです。

そもそも、この「お客様は神様」という言葉…
というよりもその精神は、一体いつ頃から発生してきたものなのでしょうか?

カスハラが社会問題になってきた今日に至っては、そう疑問に思う方も多いのではないでしょうか⁉

そこで、数々の資料を紐解き、また老舗の経営者等に聞き込み調査を敢行し詳しく調べてみると、この「お客様は神様」という言葉については、殆どの人が思い違いをしていることが判ります。

この言葉は、接客業に携わる多くの人たちが、氣がついた時には既に身近にあって、あたかも古(いにしえ)の大昔からの「格言」のように思ってしまいがちですが、実は言葉の発生源(出どころ)は意外にも新しく、主に昭和40年代から50年代にかけて、国内で活躍をした演歌歌手の故・三波春夫氏であることは、あまり世間に知られていない事実であったりもします。

もちろん、どんな事にもその論拠が一つしかないということは無いのですが、諸説ある中でもこの「三波春夫氏起因説」は、現在に於いては最有力説でもあるのです。

しかし、だからと言って三波氏にその功罪があるわけではありません。

そもそも、当時三波氏は、現代に語られているような意味合いで「お客様は神様です!」と発していた訳ではなかったのです。

三波氏は生前、歌に対しては常に「真摯で謙虚な心の姿勢で臨むべきである」という、信念を持って歌に臨んでいた稀有な歌手でもありました。

なので、「歌をお客様に披露する時は、常に神前にある真摯な氣持ちで歌を披露しないといけない」という三波氏自身の独自の心持ちを、様々な場所で発する時に「お客様は神様です!」と、歌とその歌を聴く「お客様」に対する謙虚な姿勢から発していたものなのでした。

それを、幸か不幸か当時のメディア等の様々な媒体が、もちろん様々な事情があったのであろうとは推測しますが、「お客様は神様」という部分だけを切り取って(編集して)様々に発表したことで、そのことが日本国中の接客現場に於いて、いつしか言葉の真の意味が変遷していき、お客様自体が「神様」そのもののような意味合いで捉えられていって「お客様=神様」なのだから、言われたこと(要求されたこと)は、絶対に実行しなければならない…という、漠然とした不文律のようになって、今日に至っているということなのです。

つまり、「お客様は神様」という言葉の真の意味は「客自体を神そのものとして対応する」ことではなく、接客する側の個々の人間が、あくまでも自身の接客信条として「お客様が神様であるかのように接すること」にあり、その心持ちで接客して行けば、やがて商売繫盛に繋がっていくであろう…
という、商売に於いての「三方良し」や「四方良し」といった、今で言うコーポレート・アイディンティティー(Corporate・identity )つまり、企業理念のようなものなのです。

そして、それは接客する人間のやる氣や、更には商売に対しての本氣度を促す精神の一つでしかないということであり、接客する側の人間も、ましてや当然のこととして客側に廻る場合の人間も、この重要な精神を再認識する必要が充分にあるのです。

これは、視野を広くして世界に目を向けてみると、その意味するところが解かってきます。

世界には、約200ヶ国弱の国々がありますが、その各々の国の中で「お客様を神様と同等に扱わなければならない」と、接客業に携わる人間の多くがそう思っているのは唯一、日本だけなのです。

世界中のどこの国であれ、商売をする側と客側はあくまでも対等であり、国によってはどうかすると商売側のほうが「サービスを提供してやる」というように、立場が強い場合もあったりします。

サービスを提供する側と客側の間にあるもの。
それは「売買契約」です。

売買契約という行為は、(各々の国の)法律に則って行われる商行為であって、その契約を締結する双方は、あくまでも基本的に対等です。

そして、その契約内容によっては差異が出たりする場合もありますが、基本的に「どちらかが上で、どちらかが下」ということはあってはならないのです。

また、これは世界共通認識の一つであることは、厳然とした事実でもあるのです。

この半ば、当たり前の事実を鑑みれば、日本に於ける商行為の中で飛び交う「お客様は神様」という言葉とその精神が、いかに世界からズレた概念として、多くの日本人に認識されてしまっているということが、容易に解かるのではないでしょうか。

客側の人間自体を「神そのもののように扱わなければならない」という思い込みが、近年頻発するようになってきた理不尽なクレームを量産し、接客の現場の最前線で対応する人間が時に心を病み、結果・休職者や離職者が増加するという、忌々しき事態が多々発生している現状があります。

しかしながら、ここにきてようやく「おっとり刀」の如くではありますが、先ずは東京都が全国初の「カスハラ」防止条例を制定するに至りました。

これは、接客業にとって画期的な前進の一歩であることは確かですが、この防止条例が日本国中の自治体すべてに施行され浸透して行くには、残念ながらまだまだ相当の時間がかかるのではないでしょうか…

「お客様は神様」という言葉は本来、商売に於いて尊い意味合いで捉えられなければならないものであるのに、逆に接客業に携わる人間を苦しめる忌まわしき精神に貶めてしまったのは、他でもない我々消費者一人ひとりの「オレを(ワタシを)神のように扱え!」という、消費者各々の強い「承認欲求」が齎(もたら)したものであることは否めません。

サービスを提供する人がいてくれるからこそ、はじめて客としてサービスを享受することが出来るのだ…という商売の大基本原則を前に、今こそ客側の立場に立つ時の人間は、過去の間違った認識をアップデートさせ、その良きシステムに対して謙虚になり、またサービスを享受できることを幸せに思い、感謝の心を忘れないようにすることが、日本の自由経済という、多種多様な商品やサービスが行き交い、欲しいものが簡単に・そしてすぐに手に入るような、地球上では恵まれた部類に入る国の社会構造の維持に繋がっていくのです。

「お客様は神様」という精神は、本来「嘘」であってはならず、日本が世界に誇れる「おもてなし」の精神の基礎となる「ホンモノ」でなくてはならないはず。

いつしか、歪んで捉えられて来たこの精神に対して、長いあいだ誤解を構築して来てしまった我々昭和を生きて来た世代が、本来の良き精神に正していくのは必須の責務でもあるのです。

そして、これから先の日本で生きていく未来の日本人に対して、今の日本を生きている我々こそが、サービス業に限らず「仕事」と呼ばれるものに広く、そして全般的にこの良き精神を紡いで行き「サービス」というものの、更なる向上に貢献して行く責務があることを、様々な仕事にそれぞれ携わっている我々個々人、一人ひとりが改めて自覚する必要があるのではないでしょうか⁉

#創作大賞2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?