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春の統一地方選挙 ー 応援のお仕事
最近統一地方選挙でテレビ新聞メディアやFacebookなど賑わっていますね。
地方議員には他市町の立候補者の応援に行くというお仕事があります。
今年も応援側で働いている町議の皆さんを見ていて、昨年当選したばかりで馴れなくて大変だろうなあ、町議の仕事の生産性が落ちちゃうのはあんまりよくないよねえ・・なんて思いながら、ふと、はて自分の4年前はどうだったんだっけと思い返しました。
怒涛の調査活動
議員としては8か月目。
7月に当選してまず開始したのはヒアリングと現場調査でした。
公約は、
①女性の声を議会に届ける。
②永平寺町に今ある資源を生かした無駄使いのない町づくりを目指す
③カフェ経営者ならではのおもてなし演出力で観光客・移住者を増やす
④永平寺町のIT活用筋力アップ
⑤運転免許証を返納しても快適に暮らせる高齢社会の安心町づくり
の五本でしたが、
これ以外に本命の課題が2本ありました。
本当に叶えたいことは些細な妨害を受けたくないので、
できるだけ黙っておくタイプです。
その課題とは
(1)発達障がい支援について
(2)永平寺町の文化財保護事業について
です。
(1)は①に、(2)は②にそれぞれ内包されるかなとは思いますが、本丸中の本丸というわけです。
当選と同時によーいスタートで
全課題を同時並行でヒアリングのアポを取っていきました。
特に発達障がい支援についてはデリケートな内容なので
絶対に当事者を傷つけるような攻撃材料になってはいけません。
町の健康福祉センターや社協関係の職員さん、県関係の病院の先生方や社協関係の職員さん、近隣市町の議員さん、支援相談員さん、就労支援センターさん、放課後児童クラブの先生、臨床心理士さん、そして当事者さん、今振り返るとほんとうにたくさんのたくさんの皆さんに人脈を伝ってアポをとってはお話を伺いに行きました。
実は知事にお願いし、副知事とお話させていただいたこともありました。
県からも資料をいただきました。
またマインドフルネスにメンタルコントロールの効果が期待できるのではないかという思いから、マインドフルネスの先生やまちづくり会社の方にイベントの開催をお願いする活動もしていました。
発達障がい支援についての一般質問は、満を持して行いたいという思いから準備期間を1年半設けました。
文化財保護事業については、すぐ取り掛かりたい思いから、当選したその年の12月議会で一般質問しています。
半年の間にこちらもたくさんの人に会ったりお電話したりしました。
町と近隣市町の学芸員さん、文化財保護委員さん、歴史研究会さん、前職議員さん、学校の校長先生、地元の郷土史愛好家の皆さん、歴史を大切にしている事業者さんなど。
そもそも選挙に出ようと思ったのも、
2018年春にカフェの営業をしていたときに
歴史研究会の皆さんがふらりとやって来られて
資料館が閉館になるが、何とかできんかと言って来たことがきっかけでした。
その後、町の広報誌を見たり、議会だよりを見たり、資料館を訪れてみて
本当に閉館になるのだろうか、中の収蔵品はどうするのだろうといよいよ心配になったのでした。
正直、歴史研究会さんや現職議員さんがすでにどうにもできていないなら、議員になるしか方法はないと思いました。
文化財保護については大学のときに博物館学芸員の単位を履修していたので、文化財保護法や社会教育法、教育基本法については基本的な知識がありました。
大学時代に地元の白山平泉寺の発掘調査が進んでおり、資料館も立つような噂があったため、ワンチャン、バイトでもいいから雇ってもらえないかと思い取得していましたが、その後いつの間にか勝山市には県立恐竜博物館が立つ話が賑わい、平泉寺の資料館の話はまったく聞きませんでした。
現在の平泉寺の資料館が立ったのは、それからだいぶ経った後でした。
ボランティアの清掃会に参加するようにはなっていましたが
ちょっと甘酸っぱい切ない思いがしたものです。
古民家カフェ経営時にはその知識を活かして、ブログで歴史の名所の案内などをしていたこともあり、福井県の歴史にはそれなりの基礎知識もありました。観光客を永平寺町に呼び込もうと真剣に取り組んでいたことでもありました。
発達障がいについても、古民家カフェ経営の中で、お客さんと話をする機会が多く、テレビや本やネットでも情報収集していたため、基礎知識がありました。
なので、議員としては、今現在の福井県及び永平寺町の行政レベルでの取り組みの現状をできるだけ詳しく知ることが必要でした。
表面的な質問だけでは、何も取り組んでもらえません。
問題の原因を知ること、現場の迷惑にならないこと、できればほんのちょっとの予算や工夫でぐんとよくなったり、いきわたっていないところにいきわたるような方法がないか・・・
そこまで知る必要がありました。
そのため色んな立場の方から多面的に情報収集し、そしてそれぞれの方から改善要望の声を集めていきました。
議会日程の合間にどんどんアポの予定を入れて行きました。
2018年12月の一般質問は本当に命を懸ける真剣勝負の気持ちで挑み
町内から12の要望書を集め併せて提出しました。
今思うと半年でここまでやっていたのだなあ・・・とか
行政側は意味が分からなくて気味が悪かったろうなあ・・・と思います。
半年で本丸の一般質問・・その後
その後どれくらい要望が反映されたかを見る当初予算審議が3月にありました。当初予算に反映されるには12月での要望では遅いのですが、多少はレスポンスがあるのではという期待もあるわけです。
しかし予算案にはあまり考え方など改善される部分も見えず、初めての予算審議でかなりきつい詰問をした覚えがあります。
第二審議まで意図的に食い下がりましたし、
(※永平寺町議会は本会議主義)
自分でもここまでやるのは怖いと思うくらいの圧力感で質問しました。
知識不足で的外れな質問も多いだろうと恥ずかしい気持ちもありましたが
まあとにかく真剣であることを理解してもらわなければという思いでした。
理事者も回答がしんどかっただろうと思います。
私があんまり執拗なので、他の議員さんも怖かったのか、行政に対し「ちゃんと回答してやれ」などヤジを飛ばしてくれたりしました。
議長ももし力で押し切るタイプの方であったら、問答無用に止めていたのではないかと思います。注意は何度かあったような気もしますが、質問の内容を冷静に精査し中立性を保ち、挙手を認めていただけたことにとても感謝しています。
平成31年3月定例会|議事録|永平寺町議会 (eiheiji-gikai.jp)
4年間議員をしましたが、この時が一番紛糾した議会になったと思います。
そういうヒリヒリした議会をしている合間合間に、統一地方選挙のお手伝いがありました。
応援演説をしたり、選挙カーに同乗して走り回ったり、ひどいと130km離れた先の町に応援派遣されたり、交通費も前泊も自腹です。
普通は新人議員は演説までしないのですが、女性議員だと割合その機会が回ってきます。最初から知事選や参議院選でマイク持たされたり、原稿も予算審議の質問通告や議会だよりの編集、議会と語ろう会の資料作成や議事録作成の合間に作成していました。徹夜もよくしていました。ヒアリングや町内団体さんの活動参加などもどんどん増えていた時期でした。
さらに悪いことに虫歯が悪化していて、とんでもない頭痛に襲われていましたが、歯医者を予約する時間も取れていませんでした。
桜を見ると、そのときのことを思い出します。
いやあ・・忙しかったなあ・・
大変だった。
ただヒリヒリした時間の中で、強制的に気分転換になっていたので
その点では応援のお仕事は良かったのかもしれないと思います。
文化財保護の事業については
その後何度か一般質問や予算質疑、決算質疑で質問を繰り返し
町職員の採用案が出るたび学芸員を増員してほしいとお願いし
何度もヒリヒリしました。
一時は壁にぶち当たっているような気がして思い余り
文化財保護法に詳しい弁護士さんをネットで探し、
理解に誤りがないか、見落としがないかと
県外に法律相談に行ったこともありました。
その中で、文化庁の方が講演されるという情報を教えてもらい、
直訴に出かけたこともありました。
このときばかりはもう自分が一線を踏み外しているのではないか
判断もよくつかなくなっていたと思います。
こんな話をいきなりしていいのだろうかと内心冷や汗をかきつつ
名刺を出して状況をお話したのですが
その文化庁の方がほんとに偶然に当時の当町担当であったのは驚きでした。
ただそのことが功を奏したということは一切ありません。
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![](https://assets.st-note.com/img/1680059424373-mT9AzydKfE.jpg?width=1200)
私がそのとき実感したのは、政治というのは、
担当課長や首長が特定のテーマについて熱心だとかいうことでなければ、
誰か一人の公務員、一人の首長、一人の代議士がなにか命じて動くというものではなく、意識や認識の少しずつの変化の総体が織りなすもので、その変化というものは、信頼性が必要であり、その信頼性は合理性や法、学術的知識だけでなく、地道に時間をかけた社会の取り組みの汗がなければならないという実感でした。
地元古民家カフェ経営7年で地元郷土史のPR活動した実績などはまだまだ役に立たないと痛感しました。
あるいは理解してもらえなくても、議員としての名刺を使って
自力でなんとか町の文化財がデータアーカイブとしてどこかに残るように
頑張るしかないという気持ちもありました。
町の歴史を守りたい
私はその後、3方向でそれぞれの団体さんの活動に取り組み、
永平寺町の歴史資源がどれほど重要性の高いものかを示すための活動を開始しました。泣くような祈るような薄氷を踏むような思いでした。
ひとつは歴史研究会さんと、町内の文化財全般についてのフィールドワーク
ひとつは道場研究会さん・福井ヘリテージ協議会さんと、
県内の真宗道場の分布についての調査
ひとつはじょやま会さんと県指定史跡の越前波多野城の登山道整備とPR
でした。
2019年から腰を据えてこれらの取組みを開始しました。
2019年、2020年は山に登ったり県内中に調査活動したり
我ながら驚くほどの活動量でした。
協力してくださる方もどんどん増えていきました。
福井を愛する心はみな同じなのだなと行く先行く先で感じることができました。
また行政に協力を要請していくなかで徐々に関わり方も構築されていきました。
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たくさんの皆さんの取組み
想いのバトンの繋がり
これらの取り組みが町長や行政に認められたのか
町内の文化財の重要性を理解していただけたのか、
県埋蔵文化財センターの所長をされていた先生を
文化財調査員として雇ってもらえ
担当職員もつき、また今後は学芸員も雇用される予定として
少しずつ前進してきました。
身体が病んでしまって議員をやめてしまったわけですが
歴史研究会さんではできるところまではと今でも細々と活動をお手伝いしています。
道場研究はコロナで調査活動が失速し保留になっていますが、集めた分の情報は永平寺町の文化財調査員の先生にお預けすることができ、先生のご研究のテーマにもお役に立てそうな内容ということで受け止めていただくことができました。
じょやま会さんの活動については、当初は遺構調査の拡大や地域の拠点づくり、全国への情報発信などの方向性があり、私も役員としてたくさんの人を巻き込み、ご協力いただき、活動に奔走しておりましたが、途中会長の交代により、会の方針が地元小学生との交流のみに活動を縮小することとなりました。また地元新興宗教団体からの寄付金を受けられたことを知った時点で、申し訳ないけれど、議員としても個人としても私の倫理感には合わないものと感じ、参加を取りやめることとしました。
これまで行政とのヒリヒリとした対話もありましたが
地元の方にも歴史に価値を置かれない方との対話もありました。
学校の校長先生のひとりの方は
「子どもたちに郷土史に触れさせる意味はない」とおっしゃいました。
永平寺町には先土器時代や縄文時代から近代にいたるまでの文化財があり、
教科書に登場するような資料を現物として見学することができます。
歴史を事実として体感できる瞬間です。
それをそのようにおっしゃられたことは大変な悲しみでした。
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またじょやま会新会長さんにも「整備した道について文化財調査に許可を出す気はない。文化財調査員の先生の予算もどうせ来年までだ」と言われました。以前は町に文化財保護とPRを要望されていましたし、文化財の予算拡大はじょやま会さんの活動実績によるところも大きく、町長もいつも応援されていたので、ショックな思いでした。
ただ山林に子どもたちを親しませたいなら、町内には緑の村という町の予算で整備されている山林施設があり、以前地元の小学生はこの山を課外活動で使っていました。
それを敢えて地元の文化財保護対象の山で遊ばせるならば、正しい知識で山城の遺構についての学習機会を提供できる態勢がなければなりません。ご理解を得られなくなったことは残念でした。
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生涯学習の文脈では、
歴史は個人の趣味のひとつと軽視されがちな気がしますが
私は戸籍や地籍と同じで、政治も民俗も記録されることで
国は成り立つものと思っています。
またこの国の歴史が文化として国を守るものだとも思っています。
文化の尊厳を誇る国は他国からも尊重されるとも思っています。
歴史を愛することは町を愛すること
太平洋戦争の時、京都が空襲を免れたのは貴重な寺社仏閣文化財があったためであり、それを残すべく働きかけがあったからです。
日本という国は有事の際は空襲が最初の前提となります。
今最近もまた有事の危険性の高まっている中では
重要な文化財が自治体内にどれほどあるかと主張しておくことも
防衛手段のひとつとなり得るのです。
稲田朋美衆議院議員は、「今年は禅」と言って永平寺をとてもPRしてくださっています。
昨年末にはAppleのCEOのTim Cookさんが永平寺を来訪してくださいました。スティーブ・ジョブスさんが永平寺を大事に思われていたそうです。
また禅はヨーロッパでも関心が高まっています。
そういったことのPRが永平寺町の助けになるときが来るかもしれません。
また、福井県は白山信仰がありますが
白い山を信仰することは世界各国に見られます。
そうした文化的共通性が福井を助けるきっかけになるときが来るかもしれません。
現に勝山市にあるブータンミュージアムさんは、福井市から移転した理由として、ブータンで信仰されている白い山と白山の姿がよく似ていて勝山市からその姿が見えるからと仰っていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1680060629689-bPLyfBKyI5.jpg?width=1200)
勝山市さんが白山平泉寺で世界遺産を目指されていたことは
そういう意味でもとても大切な取り組みです。
こうした文化は主張しなければ無いも同じことです。
くだらないと鼻で笑う人もいるでしょう。
しかし平時における平和のため不戦のための外交対話努力とは、
私はこういうことも含まれるものと思います。
令和元年12月定例会における請願第1号
【全国知事会の「米軍基地負担に関する提言」の実行を求 める意見書提出に関する請願】への反対意見として、ライシャワー駐日大使について言及をしたことがありました。日本の文化を大切に思うライシャワー駐日大使のような存在があってこそ日米関係改善があったという引用です。
ちょっと飛躍しすぎのように感じる意見かなと思いつつ、
私自身の意見として含めさせていただきました。
このときは誰にとっても平常時バイアスからかなり外れたものになるだろうなと思ったのですが
今になってみるとそれも一理あるかもしれないと、
思ってもらえるような気もします。
町に想いが通じていくということ
このあと、当時の議会事務局長と会話して
「さすがにやりすぎて皆ひきましたかね」と笑ったら
「いいや、あなたはよく勉強しているね。御見それしました」
と、急にかしこまって頭を下げられました。
やりすぎという自覚があったので少しびっくりしました。
多分前段の経緯説明のことだとは思うのですが
私が真剣であることをご理解いただけたのかなと思われました。
そういう繰り返しで役場の皆さんにも
少しずつ少しずつ信頼をしていただいていけたのかなあと思います。
話があちらこちらとりとめなくなりましたが
先日急逝された方なので、
ついそのときのことも懐かしく思い出しました。
議員として大切なことを一からご指導いただきました。
例えば質問するときは事前に行政に意図を話しなさい
よくコミュニケーションをとりなさいなど
お教えいただいたなあと思い出されます。
手の内を明かすようで最初嫌でしたが
多分大切なことなのだろうと思い
文化財の一般質問のときから事前打ち合わせをするようになりました。
そしてそれはやはり行政と気持ちを通じるために
町を想う気持ちが真剣であることを信頼してもらうために
とても大切なことでした。
また来年桜が咲いたときに
同じことを思い出すかなと思います。
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![](https://assets.st-note.com/img/1680059190139-hggXXeH35d.jpg?width=1200)
私のこの経験が
今度の統一地方選挙で当選される新人議員さんに
少し参考になればと思います。
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