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今日を今日と思えないあなたへ②

こんにちは、こうんです。

この間、ついに退社しました。
WEBデザイナーとしてやっていくぞー🔥と構えていたのですが、
一つ区切りが着いたと思ったら、気が抜けたようで
疲れが一気にやってきました。
なのでしばらく休みます。

上の画像は、四葉のクローバーです🍀
母が畑で見つけて、持ってきてくれました。
穴が開いてます。
幸運の中にも、落とし穴や欠点はあるんだよと
深読みしました。笑

「元気になってきたけど、休みたいと思ったので休みます」と
病院のお医者さんに報告しにいったら、

まあその先生は『これから新しい仕事探して頑張っていこう』と
応援してくれていたのですが、

「いいと思います。大きな決断をしたとき、
人はカーニバルが必要なんです。お祭りというか、
フェスティバルみたいな。どんちゃん騒ぎとか。」
と言ってくださいました。
否定されなくて、嬉しかったです。


私が病院通いになって、会社を辞めることになった経緯とその心の内を
書きます。

1.主な退職理由

皆さん、IRって聞いたことありますか?

カジノが入ってたりする、統合型施設のIRではありません。
Investor Relations(インベスター・リレーションズ)といって、
企業が株主や投資家に向け必要な情報発信を行う仕事です。

株主や投資家向けの広報(財務情報なんかも対象)
みたいな感じです。
私はその仕事をやっていました。

在籍当時、社内向けにIRについて発信することがあって、
(社内でも「IRってなんじゃらほい?」な人が多かったです)
その時に『株主や投資家向けの広報』という表現を
どっかのサイトで見つけて、使おうとしました。

私は、まあまあ分かりやすい比喩だと思うので、
今でも人に説明するときはこの表現を借りてますが、
当時の先輩に全否定されたのを毎回思い出すので
少し腹立たしいです。笑

そのIRという部署の仕事をしていたとき、
先輩(仮にSとします)から受けた扱いに端を発し、
適応障害を発症、のちにうつ状態・うつ病と診断されました。

2022年7月上旬の発症から約10か月経った今、症状は大分回復しました。
でも薬の服用は続いており、いつやめられるかはっきりと分かりません。

発症から約1か月後、2022年8月上旬から休職に入り、
翌年5月中旬まで9か月強のお休みをいただきました。
IRは東京本社での仕事で、地元の支社的なところで復職することも考えていましたが、
戻って働くことを想像すると不幸な気持ちになるので、退職することにしました。

直接的な退職理由は、上記です。

でも、見方によっては私が繊細過ぎただけ。
世間知らずすぎただけ。
被害妄想が激しすぎただけ。

そこに善と悪があったのか。
主人公と悪役がいたのか。
「負けて」しまった私が悪いのか。

今でも自信はありません。

2.発症当時の状況

その部署は、業務量に人員数が比例していませんでした。

業務内容は、投資家対応から決算説明資料の作成、適時開示、
情報開示義務のある書類制作、決算説明会の開催、
株主通信の制作など多岐にわたり、
会社を代表する情報発信を行うため
正確で慎重な対応が常に求められました。

それに加えて、当時のIRには財務・経理の専門知識を持ち合わせている人がおらず、
他部署の様々な方々に協力を仰ぐのが必至の状態。

あの業務量を、上司(仮にJとします)・S先輩・若輩者こうんの3人でこなすのはほぼ不可能でした。
(J上司は部署を掛け持ちされていたので、日々の業務を行うのは実質二人)

管理職試用期間だったS先輩の自主的、自己犠牲的な残業がなければ、
決して回っていなかったでしょう。
そのような業務に忙殺される状況が続いていたことも、
パワー及びモラルハラスメントが起こる大きな要因であったと思います。

★こうんの職歴

少し説明します。
こうんは2020年4月から働き始め、
1年半後の2021年10月から本社に異動、IRの仕事を始めました。

最初の1年半は、まさに「現場」。
マニュアルに従って、わりと枠に収まった、
思考をそこまで必要とされない業務を行っていました。
舐めてないです。実際そうだったんです。

業務と並行して、新卒プロジェクトという地獄のような丸投げミッションを
課されていた時もありましたが、普段の業務は内容が面白く、
周りの先輩方も優しい人が多くて、好きでした。

IRの仕事では、それが一転。
専門知識やら「普通」のビジネススキルやら、
非常に多くのことを求められるようになりました。

「2年も働いてきたのに、こんなこともできないの?」
と言われることもありましたが、
『いやいやいや、1年半はほぼ単純作業しかしてなかったから!』
と結構本気で思っていました。
勉強不足だと言われればそれまでですけど。

大学卒業直後の方が、まだ適応しやすかったのでは…とも思いました。
あの頃は、授業やら課外活動やら色々やっていたのですが、
単純なスケジューリングとか、アポ取りとか、情報網の使い方とか、
少しは慣れていたから。
同じ部署の中だけで1年半働いてきた今となってはもう…
主体的に行動するのがすごく難しかったです。
高いハードルを感じました。

んーでも私、卒業前もちょっと病んで、最後の学期は卒論と授業だけ頑張ってたしな。
学生と会社員では、求められる精度も違うだろうし。
あんまり関係ないか。少しだけ関係あるか。

IRの仕事自体は好きでした。
難しかったけど、大事な仕事だからやりがいがあったし、
新しいことを仕事で知れるのは楽しかったです。

東京ライフもとても充実していました。
よく連絡を取る友達は地元(東京の前は地元にいました)に
あまりいなかったので、コロナで会えていなかった人たちも含めて
たくさんの人に会いました。

それに、会社で正社員として働かせてもらえたことにも感謝しています。

大学卒業後初めての会社勤めで、講習や業務などを通して様々なことを学びました。
IRという、難しくもやりがいのある業務に携わる機会をいただけたことも、
ありがたいことだと思っています。

だからと言って、私があの時経験したことは絶対に肯定しませんが。

次回は、3.発症経緯から書きます。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました!

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