見出し画像

今日を今日と思えないあなたへ⑤

こんにちは、こうんです。
最近笑いのツボが浅くなったみたいです。家族と犬の散歩をしていたら、笑いすぎて訝しがられました。

うちの犬はボーダーコリーのオスです。今6ヶ月で、家に来てもう少しで3ヶ月になります。
名前は、こうん(名字) アッカーマン 琥珀丸です。
普段はこはくと呼んでいます♡
はい、家族の中で唯一ミドルネームがあります。進撃の巨人が好きで、かっこいいキャラの名字を拝借しました。
あ、でも私が1番シンパシーを感じているのはそのかっこいいキャラではなく、死に急ぎ野郎の異名を持つ主人公です。

4.休職中の症状

*前回書いたこと*
・適応障害と診断されるまでの経緯
・満身創痍でこぎ着けた休職
・先輩が私に取った態度、上司の対応はハラスメントだったTT

回復のきっかけ

2022年8月上旬に休職に入りましたが、症状の改善を感じ始めたのは半年経った2023年の2月頃になってからです。

2022年10月末に東京から地元に戻り、地元の支社的なところ(こうんが最初に配属された所)での面談(2023年1月末)がきっかけでした。

支社で一番偉い人と、人事の一番偉い人が、私の話を親身になって聞いてくださり、
「そのひどい状況で休むことにしたこうんの判断は正しい。絶対に自分を責めないで」
と言ってくださいました。

東京で面談してくださっていた方も、懇切丁寧に対応してくれていたと思います。
でも、私が経験したことがひどかったとは、間違っていたとははっきり言ってくださらなかったんですねー。声かけてくれた役員の人も、そういう声かけはしてくれなかった。私も休むのに精一杯で、糾弾する力なんてカケラも残ってなかったし。

私が受けた扱いは、良くなかった。
ひどかった。
会社が目指す所と逆行している。
会社側の人にそう言語化してもらえただけで、あんなに気持ちが楽になるとは。

終わりのない辛さ

回復するまでは、突発的な涙、無気力、聴覚過敏、強い眠気、不眠等の症状に悩まされました。

Zoomで人と話す。
友だちと会う。
買い物に行く。
病院に通う、、、等
それまで当たり前にできていたことができなくなり、非常に苦しかったです。

その頃、日英通訳のコースをオンラインで受けていたのですが、
少し褒められるだけで涙が土石流のように溢れ出てしまい、私の横にはあっという間にティッシュの山が。
授業に最後まで参加できなくなりました。自分は本当に壊れてしまったんだと思いました。

押さえきれない憎悪にも戸惑いました。あのときのことを少し思い出すだけで、憎しみがフツフツと湧き上がるのです。憎しみに飲み込まれることは、本当に救いがなく、非常に苦しいことでした。初めての経験でした。

妹が描いた当時の私(頭に💩乗ってるのが私)

人や過去を許せない気持ちを少し受け入れることができたのは、下記の本がきっかけでした。
言葉が全部優しいので、おすすめです。私は電車や飛行機で読んだのですが、涙腺が崩壊して大変だったので、涙脆くなっている人は気をつけてね^^


初めは1か月ごとに診断書を出してもらい、都度休みを延長する形を取っていましたが、
10月末に地元の病院で3か月休養の診断書をいただいてから、少し気が休まるようになりました。

心が壊れると、治るのには本当に時間がかかるようです。
また会社ではよく、「実家でゆっくり休んで」と言われていましたが、実家だからと言って心が休まるわけではないですよね。
特に私は、それまでないくらいの人間不信にも陥っていたのですが、それは家族に対しても例外ではなく、どこにも逃げ場がないような気持ちでした。

二次被害‥?

2022年11月頃、支社の人事の偉い人(仮にEさんとします)を交えてオンラインで面談したとき、
「3か月も休むなんて聞いたことない」と言われました。
休んでいることに罪悪感を感じ、私はだめな奴なんだと、改めて傷つきました。

今年の4月末には、Eさんから今後のことでお電話いただいた際に「休職は本来半年までだが、特別措置で8か月に伸ばしている」と突然言われました。
その規則を知らなかったので面喰いましたし、メンタルがまだ回復していない頃に聞いたらとてもショックを受けただろうと思いました。

就業規則に書いてあることなのだろうとは思いますが、在職中は恥ずかしながら規則を参照する余裕すらなく、ただ休みたい一心でした。
休職に入ってからはPCも返却し、規則は読めない状況でした。
悲しくも、二次被害に合った気持ちになりました。

ちなみに、「3ヶ月も休むなんて」と言われたことをかかりつけのお医者さんに話したら、
『それはその人が知らないだけです。自分が正しいと思いこんでいるのでしょう。』
とおっしゃっていました。この先生に出会えただけでも、地元に戻ってきた甲斐があったと思います。

ワイの診断名

東京の病院では、診断名「適応障害」、投薬なしでした。

カウンセリングは別料金がかかるし、特に指示されなかったので受けていませんでした。
受けていたら少しは違ったのかな‥?

お医者様は、すぐに診断書を出してくれてとても有り難かったです。
でも、「私はこれからどうなるの?この症状は治るの?どうすれば良くなるの?」という私の差し迫った疑問には、あまり答えてくれませんでした。
まあ、仕方ないんですけどね。
病院に行く度泣いてしまうので、本当に嫌でした。

東京でこんなだったので、地元の病院に初めて行くときも、あまり期待しないようにしていました。
結果、期待以上で涙腺が崩壊しました。笑

いつもすごく混んでいるのですが、新しいお医者さんは、きちんと時間を取ってくれます。
私の話を聞いて、診断基準を丁寧に説明して(←泣きすぎて覚えてない)、治療方針を立ててくださいました。

私の診断名は、うつ状態、うつ病になりました。
『そんなブラックな会社が今でもあるんですね‥。適応障害って最近流行りの診断名ですが、酷い環境に適応しろっていうのがおかしいと思う。うつには3つの条件があって‥¥€°÷§£』
と言っていました。先生の話は面白くて興味深く、温かいので、今度別に書きたいと思います。


私がこのnoteを書いているのは、自分が経験したことをなかったことにしたくなかったからです。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったもので、あんなに辛かったこともだんだん忘れます。だから良いこともあるんだけどね。

過ぎたことだけど、無かったことにしないために、書ける限り書きます。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。次は、退職時に私が会社に望んだことを書きます。


この記事が参加している募集

#振り返りnote

86,099件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?