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今年最初の満月を見上げて考えたこと

今夜は月が綺麗だ。
調べてみると今年最初かつ今年地球から最も遠い、すなわち最も小さい満月だという。

月が綺麗といえば、夏目漱石が”I love you”を「月が綺麗ですね」と訳した逸話がつとに有名である。
真偽は不明であるにも関わらずネットミームのように広く知られてしまったことで、気軽に「月が綺麗ですね」と言えなくなってしまった日本人のなんと多いことか。

はっきり言って、現実に「月が綺麗ですね」と言って”I love you”を伝えた気になっている人間が目の前にいたら、私はその人が苦手だ。
明確に「好きだ」と言うかさもなくば黙っていろ、と思う。

だが文学は別。
現実のコミュニケーションでは「面倒くせえ」としか思わないまどろっこしさが、文学になると時折ぶっ刺さってくる。
それを楽しみたいというのが、私が本を読む理由の一つかも知れない。

リアルでは受け入れ難いふわふわした描写やセリフが、文学の上では楽しめるのはなぜかを考えてみた。
答えは恐らく、文学には決まりがあるからだ。物語の必然性と言うべきか。

物語は必然性を持って書かれるものだ。
心情や考えが直截簡明に述べられていなくても、描写やセリフから必ず読み取ることができるのである。
たぶん、国語のテストで求められる読み方がそれだ。
川を眺める人物が「広くていい川だなあ」と思うならばその人は明るい気持ちでそこにいるし、「汚い川だなあ」と言えば暗い気分なのだ。
「褒められて恥ずかしそうに口元を歪めた」のなら嬉しかったのだし、「優勝した彼を睨みながら口元を歪めた」のなら悔しかったのだ。

ここに、「月が綺麗ですね」の解釈の一つとして無粋な書き換えを試みる。
「愛するあなたを想って見上げる月が美しい」のである。

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