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柚子湯

一日遅れの柚子湯であった。

柚子をくれた人は、「台所にずっと置いてあったから、香りが飛んじゃってるかもね」と笑っていたが、実際、鼻に近づけると乾いた植物のにおいがした。

ぽちゃん、ぽちゃんと湯船に入れる。     人並みに、柚子湯を。けれども不安になった。

実は柚子湯に限らず、風呂の楽しみ方がわからない。風呂や温泉につかってゆっくりするという感覚が、この年齢になってもつかめない。露天風呂でならまだ、体はあついが頭は涼しい状態を気持ち良いと感じられるけれど、室内にある風呂ではすぐに暑さが辛くなるだけで、飽きてしまう。私にとって入浴とは、身体の清潔を保つための手段にすぎないのだった。

今、我が家の湯船に浮かぶ4つの柚子。温められても、香りは全くしてこない。         どうしたものか。とりあえず湯をかき回すと、柚子はぷかぷかと動き回った。実の3分の1くらいが水面から出ており、お互いに寄り添ったり、離れたり、私にくっついてきたり。その動きに、かわいさ、さらには健気さすら感じるようになってきた。木からもがれたその柚子の実に、命を見る。そしてそれは、柚子が、例えば緑がかった茶色みたいな暗さを持ったいびつな形をした立体ではなく、黄色くて丸みを帯びていて、比重が丁度良いからだった。

私はしばらくのあいだ、柚子を、湯船の中でくるくる回したり、足を斜め上に伸ばして爪先でつつき上げたりしていた。それから再び手に取って鼻に近づけると、優しい香りがした。両手に一つずつ持ち、お手玉のように、放っては受けた。落ちてきた実は、ぺたんと音をたてて手のひらに収まる。湯の中でぷかぷかしていたものが、ぺたんぺたんと重みを主張してくる。手に柚子の香りがつく。

三つで、できたらいいのに。私は両手に一つずつ持っていたのを、右手に一つ増やしたり、反対に左手に一つ増やしてみた。しかし、三つでやるお手玉は、頭で考えるより先に玉を正確に放って受けなければならず、混乱した。慌ただしく手から放たれた柚子は、壁にぶつかって湯船に落ちたり、洗い場に飛び出たりして、ぼしゃん、ぶしゅっ、べたん、という音をたて、穴が空いたのだろう、みるみる水を含んで重くなった。

柚子の香りが、少し風呂場に広がった気がしたが、鼻が慣れてしまったのか、すぐにわからなくなった。湯も冷めてきた。

結局、楽しかったような疲れたようなで、湯船を出た。いつもより急いで、身体を洗った。

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