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対話のあるネット空間

 そこは対話のないネット空間だった。
 運営の分裂が起こる度に参加者が減っていき、いまでは半匿名、実名の世界に参加できないものしか残っていなかった。
 浅慮な言説、多様性を尊重しない、民主主義を守らない。
 うずまく陰謀論。嫉妬、嫉み。
 地獄だった。学級崩壊した学校ですら注意する先生はいる。注意する人すらいなかった。
 それでも、広告を出す企業は存在した。しかし、そういう企業は普通に昼間に働く人が人生ですれ違いさえ起こらない企業だった。
 企業の狙いはあきらかだった。
 日本の市場経済は高度化したが、明治の維新の改革者いやフリードマンが夢を見た新自由主義ですらなかった。
 そんなビジネスが生き残れる世界にイノベーションは起こらない。
 そんなネットの空間は世界を変えられない。
 しかし、ネット自体が死んだわけではない。
 半匿名でもいざとなれば身元を追えて、民主主義を尊重するネット空間は自分が変わりたい人々を惹きつけた。
 そして対話が発生していた。
 その対話はエンゲージメントと呼ばれる、いままでと異なる形態だった。
 しかし、民主主義は尊重されていた。

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