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そこは対話のないネット空間だった。 運営の分裂が起こる度に参加者が減っていき、いまでは半匿名、実名の世界に参加できないものしか残っていなかった。 浅慮な言説、多様性を尊重しない、民主主義を守らない。 うずまく陰謀論。嫉妬、嫉み。 地獄だった。学級崩壊した学校ですら注意する先生はいる。注意する人すらいなかった。 それでも、広告を出す企業は存在した。しかし、そういう企業は普通に昼間に働く人が人生ですれ違いさえ起こらない企業だった。 企業の狙いはあきらかだった。 日
横浜西口のビブレとドン・キホーテの間の路地。通称・ビブ横。今日も人生をあきらめた少女がいる。 午前2時にその少女はビブ横の植え込みの前でうずくまっていた。 俺は持ってきたおにぎりを2個とペットボトルのお茶をその子の前に置いて、自分のたばこにジッポで火を点けた。少女は気づいたようだった。 「おじさん、これはなに?」 「どうせ、腹が減っているだろ。食わないなら構わない」 それを言うと、少女はおにぎりを包んでいたサランラップを乱暴にはぎ、がぶりと大きな口でおにぎりをほおばっ
今夜はメシが食える。敵兵を一人、殺した。 拠点のテントに戻った。拠点を守る味方が構えている兵士のカラシニコフにはマガジンが装填されていない。極東の平和ボケした国みたいだと思った。もう、拠点防衛に使う弾丸など残っていない。しかし、そんなことを口に出そうものなら督戦隊の女子高生士官に背中から弾を撃ち込まれる。俺は、そんなロバを二人は見た。いや、もっと、見ていたかもしれない。この戦争がはじまって、何年かを俺は忘れていた。その間に中止になった五輪は夏季、冬季が数度あった。
これは結婚する前の話。 僕は、当時、東京にある中堅SIerに勤務していた。所属会社が、本社は東京だが滋賀に工場のある製造業の工場の制御装置をコントロールするシステムを受託した。このシステムについては、それはそれでおもしろいが今回の物語と関係ないので、またの機会にしよう。 このシステムの開発に僕は設計の段階から携わっていた。そのため、滋賀の客先へ定期的に訪問していた。この仕事はいろいろとお互いに思惑があり、プレッシャーもあった。しかし、救いがあった。 この工場には社食が
土曜日の夜のUR団地がある商店街のスナック。駅からのバスの終点駅にある。この先は山でもう人は住んでいない。 客はこの団地に住んでいる男女数人。 地元スナックにラブアフェアなどないはずだったのだが… また、ママが僕のボトルを他の客に出して安い悪い酒でも補充したのだろうか?やけにいけない酔い方をしていた。意識は飛ばないが、いつもより、いい体が熱くなって気持ちよくなった。いつもはシーバス・リーガルの12年で、これは酔い方が上品だった。 ママと商店街の八百屋のおやじがカラオ
今週からリアル・オフィスへの出社だった。 いまの会社はコロナのパンデミックの最中に入社して、入社初日からフルリモートの勤務だった。同僚との仕事はインターネット越しでしかしたことがない。と言っても、前職はフルリモートではなかったから、はじめてのリアル・オフィス勤務でもなかった。それでも三年ぶりだ。 久しぶりに朝、早く起きて、寝間着からオフィスで見栄えがいいビジネスカジュアルに着替えた。数年ぶりにジャケットへ袖を通した。玄関のドアを開けて、外で出る時は緊張した。女性が久々にセ