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交縁寺

 横浜西口のビブレとドン・キホーテの間の路地。通称・ビブ横。今日も人生をあきらめた少女がいる。
 午前2時にその少女はビブ横の植え込みの前でうずくまっていた。
 俺は持ってきたおにぎりを2個とペットボトルのお茶をその子の前に置いて、自分のたばこにジッポで火を点けた。少女は気づいたようだった。
「おじさん、これはなに?」
「どうせ、腹が減っているだろ。食わないなら構わない」
 それを言うと、少女はおにぎりを包んでいたサランラップを乱暴にはぎ、がぶりと大きな口でおにぎりをほおばった。寺の若いのが作ってくれたおにぎりだ。少女はあっという間におにぎり2個を食べ、お茶を飲みほした。俺は吸い終わったたばこを携帯灰皿に入れて、少女に話しかけた。
「今日は帰るところはあるのか?」
 少女はスマホを見たが、画面は真っ暗だった。バッテリーが切れたのだろう。家出2日か3日目か。これ以上になると危ない人がさらって行って、ビブ横にすらいられない。少女は首を振った。
「俺がお世話になっている寺へ行くか?とりあえず、寝るところと飯だけはある」
 
 俺は少女についてくるよういって、歩き出した。寺はビブ横から歩いて40分のところだ。昼間ならバスを使う。当然だが、この時間にバスはない。少女はなにも言わず、俺についてきた。
 寺に着くと少女は息を切らしていた。そして、本堂裏の部屋へ少女を案内した。特に用途の決まっていない会議などをする部屋だ。遅い時間だったが住職には電話をしてあった。布団を敷いたのは若いやつだろう。俺は少女に言った。
「今夜はここで寝ていけ。朝食はちょっと早いけど、朝のお勤めの後だ。それまでは寝とけ」

 寺の朝は早い。今日は土曜日だったので8時半からの朝のお勤めだが、平日は6時半からだ。さすがの少女も本堂で「南無妙法蓮華経」を唱えはじめたら、気づいたのだろう。本堂に少女は入ってきた。
 少女は住職や若いやつ、俺と一緒に「南無妙法蓮華経」を唱えはじめた。この子はまだ大丈夫だとこの時に感じた。
 朝のお勤めが終わると住職が少女に声をかけた。
「お疲れ様です。ここは何日いても構いません。ただ、寺の仕事は手伝ってもらいます。それさえ、やっていただければ。着替えは信徒の女性のでも用意します」
 少女は察したのだろう。はじめて声を出した。
「はい。ここは怖いところの感じがしないです。そういう団体みたいな感じでもないですが」
俺は言った。
「この住職は単なるおひとよし。困っている人を見るとほっとけない。だから貧乏寺。交縁寺(こうえんじ)なんて言われているよ」
 住職が「お祖師様、日蓮様のお教えを守っているだけです。ところで、南無妙法蓮華経を唱えて、どうでした?」
「はじめてでしたけど、すっきりしました」

 朝食の後、少女は寺内と寺の墓地をほうきで掃くことになった。少女は慣れない感じはあったが、一生懸命ではあった。住職と俺は、それを見ながら、話した。
「性的虐待ですかね?」
「わたしはそう思う。ただ、素直なところを見ると、わりといい家かもしれない」
「逆にやっかいですね。閉じているこころを開きにくい」
「そうだな。ところでどこがいいと思う?」
「ラーメン屋のじいさん、ばあさんのところはどうですか?あそこは娘さんが嫁に行って、手が足りていなかったような」
「子どもには重労働だぞ?」
「それぐらいのほうがいまのあの子にはいいかと」

 少女は一週間、朝はお勤めをして、その後、寺の掃除をしていた。時間があると寺の若いのと話をするようにもなった。こいつのことを少女に訊かれた。
「おじさん、あの人、まだ若いし、男だよね?でも、なんか、そういうのがないの。なんか、学校の同級生と話しているみたい」
「まあな。あいつのこころは女性だ」
「わたし、はじめて」
「坊主だからではなく、君は性的な対象には見えていない」
「おもしろい寺だね」

 二週間後、信徒でラーメン屋をやっている夫婦がやってきた。
 少女が泊っている本堂裏の部屋で俺と住職、寺の若いやつ、少女、ラーメン屋の夫婦の6人で話をした。この頃になると少女は寺のことをわかっており、自分でお茶を淹れてきた。布団も自分であげていた。
「うちはとにかく人手が足りなくて。給料はそんなに出せないけど、神奈川県の最低時給にプラス200円は払うじゃ」
 住職は。
「ここにずっといても構わないが、外で働いて、自分で稼いだ方がいいと思ってな。自分で考えなさい」
 俺たちは少女を見守った。少女は少し考えたようだ。
「はい、働かせていただきたいです。ただ、お願いがあります。高校に行かせてください。昼間は働けないですが、それ以外は働きます」
 住職はこの答を待っているようだった。
「高校の手続きはわたしがやろう。そうか、よかった」
 ラーメン屋のばあさんが。
「じいさんの作るまかないはここのご飯よりおいしいよ」
 若いやつが渋い顔になった。
「あたしのご飯だっておじいさんに教えてもらいましたよ」
 みんなで笑った。

 ある日曜日の夕方、住職、若いやつ、俺でラーメン屋へ食事に行った。
 店内は客であふれかえり、制服にエプロン姿の少女は忙しそうに厨房とホールを行き来していた。
「こんにちは。ラーメン定食を3人分いいかな」と俺は少女にオーダーした。
「はい」
 少女は伝票にペンを走らせた。
「ごめんね、いまは忙しくて話せないけど。ここは楽しいです。給料が出たら、お寺にお賽銭をします」
 少女はすっかり変わっていた。
 ラーメンは涙の味がした。

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