物心ついた頃にはすでに両親の顔色というものを伺って生活していた私。喧嘩してない日の記憶がほとんどないほどに家庭内は常に戦場で、あの時の自分に二つ名が与えられるとしたら、間違いなく「マインスイーパ」だろう。 そんな環境で育ったせいか、己を出すことが許されるという感覚がなく、何か理不尽なことや災いに襲われても感情を押し殺す、それこそが正しく美しいものだと自分に言い聞かせていた。登下校中はよくサカナクションの「アイデンティティ」を聴いては物思いにふけっていたなとふと思い出す。
「俺がついてるから安心しろ」 まさか、本当にただついているだけで何も言わず、置物のように黙り込んで座っているだけだなんて誰が予測できただろうか。一瞬でも兄をスーパーヒーローだと期待してしまった自分を責めながら、初めて親に本音をぶつけた19歳の5月。 あの時の出来事は私の人生史上トップを争う修羅場である。 精神的に限界がきて初めて精神科に行き薬をもらってきたこと、かなり勇気を振り絞りこれまでずっと思ってきたことを伝えた私に父はこう放ったのだ。 ーーー「ごちゃごちゃ言ってる