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書きたい衝動

大体いつも衝動で何かが起こっている。
何かが起こってしまって、それをどうにかしようとする。

それが悪いのか良いのか知らないが、
何かを起こすことでしか生きられない。

何かを起こす前はいつもワクワクしている。
あれこれ考えて、落ち込んだり、さらにワクワクしたりする。
共犯者がいると悪質で、もっとワクワクすることを他の誰かが持ってくる。そしてあーだこーだ言うのが楽しい。

何も起きないと自分が泥以下の価値の存在に思えて死にたくなる。
泥に謝りたい。

大体仕方ないから自分で何か起こしたりするのだけど、周りの人が迷惑していないか考えてしまう。

大体物事を起こした後に自己嫌悪するのだから、行動するしかないのだけれど、思い出しては確実に死にたくなる。

どうしてこんなに上手く生きられないんだろう。何十年もやっているのに、芝居も上手くない。前歯が出ているので悲しげな台詞を喋っても笑っているように見え、以前アンケートに書かれた「悲しいシーンで何あの役者ヘラヘラしてんだ」みたいな言葉を思い出す。確かにおっしゃる通りです。出演した舞台の映像を自分で観ていて画面を割りたくなったことが幾度ともなくある。

とある先見の明がある人には「自分をもっと好きになった方がいい」と言われる。

今年はもう何も出演予定がない。
今年は終わった。泥のようになっているしかない。
何もないのが恐ろしくて楽天スーパーSALEでベッド、マットレス、カーテン、ボックスシーツ、など買ってしまう。
これは安い、安いぞ。
しかも3000ポイントくらい貯まる。
止まらない。
EC関連の職に就いていたのにそんなこと言うのもどうかと思うが、気軽にボタン一つでこれらのものを買えてしまう世の中も恐ろしい。
足があってその気になれば色んなものを見て回れるのに。指先しか使わずに財布も開かずに家具を買っている。すごい堕落だ。恐ろしい。

と、そんな感じで負の感情をまとい続けると、ふっと「衝動」が降ってくる。

台本を書かなくては、今書かなくては死ぬぞ、むしろこれを書かずして死ねるか。

こういった衝動や、周りの人やらに生かされているのであって自分の意思で生きていたりものを書こうとするわけはないのだから。

そう思った瞬間に、ふと自分に対する責任が軽くなり、何も考えなくなる。

ここまで書くと、辛いことがないと書けないのか?と思われそうだけど、まあ、ある程度はそうです。

というか、自分を追い込まないと書けないかもしれない。


それで、いい感じに追い込まれてきたところです。

私は小さい頃から画家の両親を見ていて、同じ家に居て、こんなに孤独な戦いを続けることはしたくないなあと思って人で作る演劇を選んだはずなのに、結局は孤独になることで作品を作っている、例外にもれず、よい人たちに囲まれるほど私もまた孤独を感じてしまうように出来ているのです。

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