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【読書手帳】高専教育の発展 -学習社会から学習歴社会へ-

高専は社会に知られていない。
アンケートに答える時、いつも在籍欄に『高専』がなく、私は悲しい気持ちになったりもする。

高専の仕組みについて書かれた本も珍しく、読まないわけにはいかなかった。

著者 : 矢野眞和,濱中義隆,朝野敬一
出版社 : 岩波書店
発行年 : 2018年


読む前の感想

著者は皆、社会学系の学者だった。

どんな視点で高専が調査されているのか非常に楽しみであったが、あくまでも調査と結果に重点があるように感じられた。

(そもそも高専に関しての統計が今までに明かされていなかったため、それ自体はとても価値のある内容だと思う。)

筆者たちの主張

筆者の主張としては、(すごーく省略した上に、私なりの解釈を含むので誤解してほしくはないですが......)以下のような感じだった。

著者は、単なる学歴(20歳前後でどこで学んでいるか?)ではなく、学習歴(生涯にわたって何を学んだか?)が評価される社会であるべきであると主張している。
そこで高専生に注目して、彼らは専門の知識を持っており、それが社会に一定の評価を得ていると言うモデルが既にある。
特に、専攻科(本科5年の後に、2年の専門学修を行う機関)での、卒業生による学修が進めば、社会人学生の促進となり、学習歴社会へと近づく。
高専は、悪い面はありつつも、学習歴社会への一歩となる画期的な機関だ。


読んだ後の感想

高専が、社会においてどれくらいの評価を得ているのか?活躍しているのか?を示してくれるような本であった。

しかしそもそも、私は「社会に評価されることが良いのか?」を考えたい。

文中には一部、理系との不一致による退学や留年が問題として記されていたが、それ以上の言及はなかった。
私が知りたいのはむしろここで、彼らがその後どのような進路を選び、社会との関わりを持てているのかという点が気になっている。

(拡張すれば、高専ではなくとも、専門教育においてフェードアウトした人々も対象である。)

経済において、社会に役立つことにおいて、高専がどれだけ貢献できているのか?
また、それに対して相応しい評価を得られているのか?
学歴社会ではなく、学習歴社会とは?
なぜ高専は評価されているのか?
そのような疑問を追究したい時がきたら、また読んでみようと思う。

オムライスを食べにいこうと思います。