キューバ音楽と老境の越路大夫のスゴい声
キューバというのは、昔から音楽が特別に豊かな国で、小さな島国なのに、ソン、ルンバ、マンボ、チャチャチャと、何回も新しい音楽形式を作り出し、世界中に大流行させました。
そんなキューバのミュージシャン達の演奏をYoutube聴いていて驚くのは、じーさん・ばーさんが上手いこと上手いこと。特に、歌に味わいがあって素晴らしいっす。
「歳とっても、鍛錬を重ねてれば良い声出せるんだなぁ」
と、いつも感銘を受けてるんですが、
「でも、日本人でもそーなのかなー?」
という疑問がわき上がんないすか?
で、
そーいえば文楽の竹本越路大夫も、引退した後、老境に入りながらスゴい声出してたな
ってことを思い出しました。
昔っから、文楽が気になってたんす。
なんでかっつーと、明治の思想家・政治家・自由民権運動の理論的指導者で「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民が、
喉頭癌で余命が一年余りだろうと宣告された際、『一年有半』という著作を著したんです。
そこで兆民は、生涯を捧げた社会評論や哲学の他に、深く愛した人形浄瑠璃、つまり文楽をテーマの一つとして様々に書き記しています。
現実としての死、すぐそこに迫ってきた死を明確に意識しながら、残り少ない大切な人生の時間を使うものとして、文楽を選んでいるのです。
言い換えると、死をかけて文楽を楽しみ、論評している、と。
そのような文楽の魅力とは何なのだろう、ということが、昔っから気になっていました。
が、文楽というのは、あるいは能もそうですが、言葉が違いすぎて、現代の素人には容易に楽しめないですね。
それに、音楽も伝統的すぎて(現代とは違いすぎて)、全体としてある程度以上の素養というか、現代物を見る時とは違う訓練された判断基準を持たないと、全然よくわからず、したがって楽しめません。
そんなある日、NHKで「人間国宝ふたり ~吉田玉男・竹本住大夫~」というドキュメンタリーを見まして、これが素晴らしかった。
人形遣い・吉田玉男(初代)と義太夫語り・竹本住大夫(7代)、二人の当代最高峰が共演する舞台を、稽古、舞台裏、自宅と取材しながら文楽を見せていくわけです。とても好評だったようで、その後DVDになりました。
ここで、竹本越路大夫(4代)を知りました。
住大夫が、この方、2014年に惜しまれつつ引退されましたが、
本番を前にして、引退した兄弟子の越路大夫に稽古をつけてもらいに行くわけです。
越路大夫は88歳、引退して12年。
ここもわたしたちの心を打つわけですが、当代最高の義太夫語りとして賞賛されている70歳を越えた竹本住大夫が、兄弟子で88歳の越路大夫に稽古をつけてもらいに京都を訪ねるわけです。
スゴい。
そして、住大夫に稽古をつける越路大夫が、またスゴい。
もう引退して12年もたってるのに、スゴい。88歳なのに、スゴい。
低く、澄んだ、地響きするような声で朗々と謡って稽古をつけます。
「なんで引退して80代にいながら、あんな声が出せるんだ」
と、感銘を受けました。
で、越路大夫の自伝を探して読みました。絶版になっていて、高かった(T - T)いま、安くなってますね。
越路大夫は文楽が好きで好きで、若い頃に戦争だったり、人間関係だったりで一旦別の仕事をしたりしたけど、やっぱり文楽が好きで好きで、考えて稽古して、考えて稽古して、あの声を獲得していました。
だからきっと、引退後も好きで稽古をしていたのだと思います。弟子達に稽古をつけることも多かったのでしょうが、ご自身でも謡っていたのではないでしょうか。
声が衰えるのは、国籍でも民族でもなく、ただただ鍛錬の問題なんだ
ということなんでしょーね。
鍛錬を続けていれば、若い勢いで咲く「時分の花」ではない「まことの花」が咲くのだ(by 世阿弥)、と。
キューバのじーさん・ばーさんの声が良いけど、日本人にもそれは当てはまるのだろうか、と疑問を持った時、
日本には越路大夫がいた
ということを、思い出しましょう。