音楽LIVEの映像制作と黒澤明と小津安二郎の名言
以前、LIVE映像制作が続いた時期がありまして、バンドネオン奏者の海上亞佑巳さんや
コントラバス奏者の吉田水子さんのプロジェクトのLIVE映像を制作しました。
こーゆーことやる時に、「さー、やろう」と思うと、不思議に昔学んだ記憶が蘇ってくるもんすね。若いときは、勉強しとくもんだね。
まず思い浮かんだのは、黒澤明の言葉。
「撮影というのは編集の素材を集める作業だ」
つまり、映画(動画)は、撮影の時に作られるのではなく、編集の時に完成されるんだ、と。
編集の際に、あーしたり、こーしたりするための素材を集めるのが、撮影なんだ、と。
至言ですね。さすが、世界のクロサワ。
では、どうやって上手く素材を集めようか考えて思い浮かんだのは、これも黒澤明が「七人の侍」で編み出したという「マルチカム方式」です。
何台かのカメラで同じ場面を別の角度や別の意図で撮り、編集で良いものをピックアップしてつなぎ合わせる、と。
で、我々の場合、基本3台で撮影することにしました。
と、ここまでは黒澤明の言葉を頼りにしていましたが、撮影に入ったら、小津安二郎を心に置きます。
黒澤明という人は、映画の世界に入る前はセミプロの画家で、したがってアーティストなんです。
独特なイマジネーションと、類いのない造形力で、力強く、彫るように独自の映像を作っていくので、ちょっと他の人には真似できないんです。
一方、小津安二郎というのは、映画の世界に入った時はカメラマンなので、どっちかっつーと職人芸で、「映像」というものが持つ可能性を、慎重に、広範囲に見極めながらご自身の表現を昇華させたようなところがあります。
だから、我々も参考にしやすいんです。表現が論理的だし。
そーゆーことで、小津安二郎のようになるべくカメラを動かさず、なるべくパンもせず、なるべくカメラが余計なことをせず、見ている皆さんに、ちょっとした、微妙なことを堪能いただけるように、素材を作っていきます。
だいたい、最近カメラ動きすぎじゃないすか?映像も切り替えすぎだし。
カメラワークや映像が重要なんじゃなくて、それを通して見せるべき何かを捉えるのが重要なわけなんだから、どーにかしてほしいものです。
さて、そーやって素材が集まったら、最後は編集に入るわけですが、ここでも小津安二郎の名言を肝に銘じます。
つまり、「芸術のことは自分に従う」と言えるだけの研鑽を日々積んで、他人の顔色や常識や文法なんてものに捕らわれないで、自分の表現を全うしなければならない、ということですね。
そして、それが個性を生むんだ、と。
個性こそが、芸術の命です。
小津の個性が、世界の映画史に燦然と輝く「東京物語」や「麦秋」「晩秋」をはじめとした芸術を生んだわけです。
その小津の名言を頼りに、つなぎ合わせた映像を何十回も何百回も見て切り替えやエフェクトの編集ポイントを探して、色んなことに迷いながら、最後は自分に従って作り上げます。
音楽家の皆さんの技能や表現の熱が、上手く皆さんに伝わる映像になっていると良いのですが。