小説:上高地にポール・エルデシュが来たら その2
上高地の大将
2週間が経った。
上高地にはすっかり夏が来て、強い陽射しがあたっている。でも、気温は22度。これが高原の醍醐味、夏は天国。
上高地バスセンターの食堂で、バスガイドのマイコと運転手のジローが昼食を食べている。
急に、カツカレーを持ったアズサがジローの隣に座る。マイコが驚く。
「あ、アズサちゃん!久しぶりー!仕事どう?慣れた?」
アズサがスプーンをかかげる。
「楽勝です。すぐ慣れました。でも、アルバイトが15人に増えたんだけど、話が合わなくって、、、」
マイコが心配そう。
「あら。それは大変。どんな話するの?」
アズサが力なく笑う。
「もー、うわさ話やら、男女の話ばっかりで、つまんないの」
ジローがビックリする。
「えっ?学生って、そーゆー話するんじゃないの?」
アズサがビックリし返す。
「そーなの?だって、せっかく、こんな美しいとこに来てるんだから、もうちょっと別のこと話せばいいのに」
マイコが尋ねる。
「仕事はなれたの?楽勝なの?」
アズサ、うなづく。
「楽勝です。毎日、色んな人に会えて楽しいです」
ジローが尋ねる。
「外国の人、多いの?」
アズサ、うなづく。
「毎日いらっしゃいますね」
マイコが尋ねる。
「タカシくん、元気?」
アズサが目を細くして、じっとマイコを見る。ジッと見られて、マイコがちょっとドギマギする。
「な、なによ」
アズサは細い目でニヤッと笑う。
「今日で確信に変わりましたよ。ジローさん」
ジロー、急に話しかけられてとまどう。
「え?なにが?」
アズサ、細い目にしてニヤニヤしながら、
「マイコさん、タカシさんに好意を抱いてますね?」
マイコ、目を泳がせてドギマギする。
「ち、ちがうわよ。ちがうわよ。なによ、急にヘンなこと言って」
ジローも目を細めてニヤニヤしだす。アズサとジローが並んで目を細めてニヤニヤしてマイコを見ている。マイコはドギマギして、お茶を飲む。すると急にマイコの隣にタカシが座った。
「やぁ、みなさん」
みんなビックリしてタカシを見る。マイコは少し顔を赤らめる。それをアズサとジローが目を細めてニヤニヤして見る。アズサがわざとらしく高い声で言う。
「あぁぁ、タカシすわーん、いまタカシすわーんの話してたぬぉー」
タカシは興味なさそうに「へー」とつぶやく。
アズサは少しいぢけて鼻の下を伸ばす。
マイコは少し頬が赤い。
タカシはそーゆーことに全然気づかず、アズサに向かって言う。
「アズサくん、バイト続きそうだから、シゲルさん紹介するよ」
アズサ、ちょっとビックリ。
「続きそうだから?」
マイコがうなづく。
「そうだよねー。みんな続かないよねー。あれ、何で?2週間もたつと半分くらいになっちゃう時あるよねー」
アズサ、ちょっとビックリ。
「えー!そうなのー?」
ジローが笑いながら
「特にアズサちゃんみたいな可愛い子ちゃんはす~ぐいなくなっちゃう」
マイコもタカシもうなづいて笑う。アズサは、なぜかちょっと憤慨する。
「あたしは最後までいますよー」
タカシがうなづく。
「だからさ、シゲルさん紹介するよ」
マイコが口を挟む。
「上高地の大将よ。昭和の初めから上高地にいる人。帝国ホテルができた時、管理人になったらしい。それに、千人以上遭難者を救助しているの」
アズサが感嘆する。
「へー。エライ人なのねー」
タカシが続ける。
「シゲルさんは外交官試験受けようと思って、その勉強するために静かな上高地に来たんだって。最初は」
マイコとジローがビックリする。
「へー、そーなの?」
「知らなかった」
タカシが続ける。
「だから、英語のできるアルバイトに興味津々なんだけど、すぐいなくなっちゃうようなヤツはイヤだから、続けそうだったら紹介してくれって」
タカシが立ち上がる。
「さぁ、行こう。いま、シゲルさん歩いてるの見えたから」
アズサが拒む。
「えぇー!カレーまだ一口も食べてないのよ。カツカレーだよー」
タカシがせかす。
「カレーはいつだって食べられるじゃない」
ジローが小さく吹く。小さな声でアズサに言う。
「これだろ?これこそ上高地らしい話ぢゃないか。カツカレーはオレが食っといてやっから」
アズサ、顔をクシュっとしてジローに抗議するが、タカシにせかされて仕方なく立ち上がる。テーブルの上のカツカレーを見ながら、名残惜しそうに去って行く。
梓川沿いの帝国ホテルに向かう道を、タカシとアズサが黙々と歩いている。アズサがチラチラタカシを見る。
「タカシさんは、ほんとに喋んないですねー」
タカシが喋り始める。
「あ、あぁ、ごめんね。うーん、と、大正池は大正時代に焼岳が噴火してできたんだぜ」
アズサ、苦笑。
「知ってますよ。なんですか?その話題」
タカシがアズサを見る。
「え?世間話って、こーゆー話じゃないの?」
アズサ、さらに苦笑。
「世間話だったんですか?ヒドいですね」
タカシが好意を持った笑顔を見せる。
「ははは。ヒドかったかな?世間話苦手なんだよ」
アズサ、真顔で言う。
「しょーがない人ですね。アタシが教えてあげますよ。そーだなー、タカシさんが一生懸命になってることを話してみてください」
タカシが尋ねる。
「上高地で?」
アズサが答える。
「いえ。人生で」
タカシが「うーん」と考え込む。考え込みながら歩いている。そのまま十分くらい歩いていると帝国ホテルが見えてきた。タカシが驚く。
「あっ、帝国ホテルに着いちゃった」
アズサが苦笑。
「え、えぇー!十分くらい黙って歩いてましたけど、、、」
タカシが照れ笑い。
「帝国ホテル着いちゃったから、世間話は置いといて、あれ上高地帝国ホテルね。帝国ホテルの裏側っていうか、正面玄関の反対側」
アズサがうなづく。タカシが続ける。
「で、そこの小道を入っていくとシゲルさんの小屋があるんだ」
小屋の前に二人が立ってる。入口に「木村小屋」という看板がかかっている。タカシが引き戸を開けて中に声をかける。
「こんちはー」
中からシゲルの声がする。
「おー」
タカシが声をかける。
「お茶女の才媛を連れてきましたー」
中からシゲルの声がする。一音上がっている。
「おー」
タカシが小屋の中に入っていき、アズサが続く。部屋の中は雑然としている。本もたくさんある。部屋の真ん中に、髭をはやしたシゲルが座っている。シゲルは、目を丸くしてアズサを見ている。
「なんだー、タカシくーん、こんなむさ苦しいとこに連れてくるようなお嬢さんじゃないなー」
シゲルが笑いながら立ち上がる。
「帝国ホテル行こう。オレはちょっとした顔なんだぜ」
ほんとだった。上高地帝国ホテルにシゲルが入っていくと、通り過ぎる従業員がみんな重々しくシゲルに頭を下げる。
そのままドカドカと喫茶店に入っていって、店長らしき人に何かささやいて、窓際の席にドカッと座った。
アズサとタカシはソロっと座ってキョロキョロあたりを見る。
すると、うやうやしくウェイトレスが近づいてきて、アズサとタカシの前にケーキとコーヒーのセットが置かれる。シゲルの前にはコーヒーだけが置かれる。
「ボク、ケーキいらないですよ。シゲルさん」
タカシが言うと、シゲルはさっそくコーヒーを飲んでいる。
「女の子一人だけじゃケーキ食べにくいだろ?一緒に食べろよ」
シゲルはアズサを見てウィンクする。
「悪いやつじゃないんだけど、気が利かないんだよなー。ひとっつも。いつもボーッとしているし」
アズサが笑う。
「ほんとですよねー。さっき世間話の仕方をレクチャーしてあげたんです。これから少しずつ良くなると思うんで、長い目で見てあげてください」
シゲルが目を見開いて、大きな声で笑う。
「ふ、ふ、ふふぁふぁふぁふぁ。タカシくん、いい娘が来たなぁ。こりゃぁ、いい娘だ」
アズサとタカシが梓川沿いの道をバスセンター方向に歩いている。
「シゲルさん、君のこと、すごく気に入ったんだなぁ」
アズサがビックリする。
「そうなの?」
「うん。「いつでも来なさい。帝国ホテルでケーキ食べさせてあげる」なーんて言われたの君だけだぜ。あそこのケーキ高いんだぜ。おいしいけど、すごーく高いの。だって、帝国ホテルだから」
アズサがなんだかよくわかんないように「ふーん」と言う。二人は無言で歩く。梓川の水が棲んでいる。
「ボクのやってること、普通の人には難しくてわかんないらしいんだ」
穂高岳を見ていたアズサが少し驚く。
「なにが?」
タカシがアズサを見る。
「え?世間話だけど、、、」
アズサがタカシを見る。
「あ、あぁ」
タカシが穂高岳を見る。
「だから、なんかわかりやすい例題ないかと思って考えてたんだけど、思いつかない」
アズサが少しあきれる。
「あなた、真面目なのねぇ」
タカシが横目でアズサを見る。
「そーなの?それは皮肉?」
アズサが真面目に答える。
「皮肉じゃないよ。でもさ、世間話っていうのは、もうちょっと気軽なものなの」
タカシが晴れ晴れとした顔で言う。
「うん。だから苦手なんだ」
上高地にポール・エルデシュが来たら
昭和42年の夏休みが始まった。
昼時の上高地バスセンターには、「ここは新宿駅か?」ってほどのたくさんの人がいる。リュックを背負った男だけのグループ、夏服を着た男女のグループ、老人の夫婦、孫数人を連れた大家族等々たくさんの種類の人で賑わっている。
それを、バスセンターの食堂から、ナオミとバイト仲間の青年2人が座って見ている。ナオミが言う。
「やっぱ、夏休みに入ると混むねー。これから大変だ」
青年が嘆く。
「忙しくなるんなら、もうちょっとメシうまくなんないのかなー」
「ほんとだよなー。バスセンターの食堂の方が全然ウマいって、どーゆーことだよ」
ナオミがふと外を見ると、アズサがバスセンターに立っている。村営ホテルのノボリを持っている。
「あ、アズサちゃんだ」
青年も見る。
「あの娘、バイト同士の話にあんま入ってこないよね」
「イカしてるよな。こんな山の中に、あんなイカした子がいるとは思わなかった」
ナオミが言う。
「そうよ。アズサちゃんはあんた達みたいなジャガイモの相手はしないの」
青年二人が笑う。
ノボリを持って立っているアズサの前に、松本電鉄バスが止まる。ドアが開いてマイコが降りてくる。運転席からジローが手を振っている。アズサは満面の笑みで手を振り返す。マイコのうしろから、たくさんのお客さんが降りてきて、全て見送ったあと、マイコが言う。
「いやー、夏休みは忙しいねー。しかも釜トンネルにさー、まーた自家用車止まっちゃってて、大変よー」
アズサがビックリする。
「えー!、まーた止まってるのー?どーりでイギリスからの団体さん来ないわけだ」
マイコが尋ねる。
「いつ到着の予定?」
「12時半」
マイコが自分の腕時計を見る。
「もう30分くらいかかるかも」
「はぁー。あと30分立ってるのかー。どーしようかな。一度帰ろうかな」
「食事まだでしょ?一緒に食事しようよ」
バスセンターの食堂にアズサとジローが並んで座っている。その向かいにマイコが座っている。3人の前に水が置いてある。アズサが目を細めてマイコを見る。
「マイコさん、タカシさん情報を仕入れましたよ」
マイコが興味深そうに言う。
「なになに?教えて教えて」
アズサが満足げに言う。
「タカシさん、難しぃーことが専門なんだって。普通の人にはよくわかんない難しいこと」
ウェイトレスがカツカレーを3つ持ってくる。マイコが受けとりながらアズサに言う。
「具体的には何よ?」
アズサがカツカレーを受けとりながら苦笑する。
「わかんない」
マイコが笑う。
「なによ、その、足の小指がかゆくてしょーがないけど、かけないようなビミョーに不快な答えは」
ジローがカレーを食べながら同意する。
「うまいこと言うね。オレもかゆい」
急にマイコの隣にコーヒーカップを持ったタカシが座る。
「やー、みなさん、ごきげんよう」
3人ビックリする。マイコの頬が少し赤くなる。アズサが目を細めてニヤニヤしながら言う。
「あー、タカシすわーん、いまタカシすわんの話してたとこなんれすよー」
タカシが興味なさげに別の話題を尋ねる。
「バス、遅れてるの?」
マイコが楽しそうに答える。
「あたしたち40分くらい遅れた。釜トンネルの中で、まーた自家用車止まっちゃったの」
タカシがうなづく。
「だーから、ぼくのフランスからの団体さんもなかなか来ないんだなー」
アズサがスプーンを振りながら尋ねる。
「タカシさん、タカシさん、難しい専門ってなに?マイコさんが知りたいんだって」
タカシがマイコを見る。マイコ、スプーンを振ってドギマギする。
「な、な、なによ、もー、アズサったら、、、」
タカシが真横からマイコを睨んでいる。マイコはなんだかドギマギしている。アズサとジローが目を細めてニヤニヤ見ている。タカシがマイコの耳元でささやくように言う。
「数論」
アズサとマイコとジローが同時に首を少しかしげる。そのままタカシを見て10秒くらい止まる。タカシ苦笑。
「そうなんだ。みんなポカンとするんだ。だからあんまり言わないんだ。説明するのも難しいし」
気を取り直したようにマイコが尋ねる。
「アズサ、スーロンって知ってるの?」
アズサがキッパリと言う。
「知らない」
ジローが胸をなでおろす。
「よかった。日本で一番頭良い女子大に行ってる人が知らないんだから、オレが知らないのも当然だな」
タカシを外を見る。
「あ!ユニオンジャックつけたバスきた。アズサくんの団体さんじゃない?」
アズサが心からブーたれる。
「えぇぇー。まーたカツカレー食べられなーい。せっかくのカツカレー」
マイコが笑う。
「今度あたしがオゴッたげるから、さぁ仕事、仕事」
アズサが立ち上がって、少し涙目でマイコに近づいてくる。
「ほんとよ。食べさせてよ。あたし、がんばってタカシさんの情報収集するから」
タカシが苦笑する。
「タカシさんも聞いてるんだけど、、、」
アズサがカツカレーを見ながら外に出て行く。
食堂から、マイコとジローとタカシがカツカレーを食べながらバスセンターでイギリスからの団体を迎えるアズサを見ている。バスから降りてくる一人一人にアズサが挨拶をしている。
最後に、メガネをかけて頭がモジャモジャのおじさんが、太った目鼻立ちのととのったおばあさんの手を引いて降りてきた。その人を見て、バスセンターの食堂にいるタカシが急に立ち上がって、小走りに走り出る。マイコとジローがビックリしながらタカシを見送る。
食堂から、マイコとジローがカツカレーを食べながらバスセンターを見ている。
メガネをかけて頭がモジャモジャのおじさんがアズサに訛った英語で尋ねている。
「ここにタカシュがいるはずなんだが、知らないかね?」
アズサが答えに困る。
「タカシュ?」
食堂から走り出てきたタカシが叫ぶ。
「エルディシュ先生!」
アズサはビックリしてタカシを見る。エルディシュもタカシを見てほほえむ。
「タカシュ、きみはこんな山の中で何をしているんだ?」
エルデシュとアニューカの部屋
村営ホテルの食堂に、エルディシュとそのおかーさんアニューカが座っている。そこへイギリス人団体の案内を終えたアズサが入ってくる。
「あれ。タカシさんは?」
エルデシュが無表情に答える。
「ボクらの部屋を探しに行ったみたいだ」
アズサがビックリする。
「えぇー、予約取ってないのー?」
エルディシュがうなづく。アズサが少し怒気を含む。
「ダメじゃなーい。こんな山の中で食べるものも泊まるとこもなかったら死んじゃうよー。下りのバスは4時には終わっちゃうんだからー。山をナメちゃダメよ-」
エルデシュとアニューカがシュンとする。
「すまない。こんなとこだって知らなかったんだ」
アズサがため息をつく。
「ま、しょーがないわね。はるばる外国からいらっしゃったんだもんね」
アズサはお茶を入れて、エルデシュとアニューカの前に置く。ヨーカンも置く。
「はい。日本茶ね。熱いから気をつけて。それはヨーカンね。日本のケーキ。甘いの。疲れてる時にいいのよ」
エルデシュとアニューカがヨーカンを食べてニッコリする。アズサもニッコリし返す。
「どうしてこんなとこまでタカシさんを尋ねてきたの?」
エルデシュがモグモグしながら言う。
「説教があって中国に行ってね、日本の古い友人に会ったんだ。そしたらタカシュの話になって、数学をやめて山の中で死んでるらしいっていうから、ビックリして飛んできたんだ。アニューカも一度日本を見たいって言うし、、、」
アズサが、とてもビックリした顔。
「あの、質問したいことが、たくさんできたんだけど、まずね、中国って、あの中国?気軽に入国できない共産主義中国?中華人民共和国?」
エルデシュがうなづく。アズサがビックリした顔のまま。
「そこで説教ってなに?講義したってこと?」
エルデシュがうなづく。アズサがビックリした顔のまま。
「あなた、ずいぶんエライ人なの?」
エルデシュが照れて苦笑する。
「エラくはないよ。数学が好きなだけだよ」
アズサが不思議そうに尋ねる。
「あなたはタカシさんの先生?」
エルデシュが一口お茶を飲む。
「先生じゃないよ。研究仲間っていうか、その道の先輩ってとこだろ」
エルデシュが急に立ち上がって、手を横に広げた。アズサはビックリしてビクッとする。でもアニューカは動じず、ヨーカンを美味しそうに食べている。エルデシュが手を広げたまま言う。
「わかった。きみはタカシのボスなんだろ?それでぼくとタカシュの関係を知りたいんだね?」
アズサが困ったように答える。
「いえ、上司じゃないけど」
エルデシュが座る。
「タカシュに始めて会ったのは、ブダペストだよ。ぼくの母国のハンガリーの」
アズサがまたビックリした顔になる。
「へー。ハンガリーの方なの?」
「ハンガリーでね、毎年数学のコンテストがあったんだよ。そこにタカシュがいたんだ。ボクは審査委員長だった」
エルデシュがそう言ってお茶を一口飲む。アズサが尋ねる。
「へー。で、どうだったんですか?」
エルデシュがお茶を飲みながらアズサをにらむ。
「なにが?」
「タカシさんのコンテストの成績」
アズサが言うと、なぜかエルデシュは少しビックリしてお茶を置く。
「え?知らないの?」
「え?なんで知ってるの?」
エルデシュが少しアズサを見る。アニューカが美味しそうにヨーカンを食べている。
「きみはタカシュのボスじゃないの?」
アズサが苦笑する。
「ボスじゃないわよ。あたしが部下」
エルデシュがニヤッと笑う。
「そうか。知らないのか。彼は天才だよ。ボクと本も出したし」
アズサが息をのむ。目を見開いて、口を3回パクパクする。やっと息を吐く。
「だー、息を吐くのを忘れるくらいビックリしたー」
後ろで誰かの入ってくる音がしてアズサが振り向くと、タカシだった。
「あぁ、タカシさん、どーでした?部屋ありました?」
タカシ、アズサを手招きして、二人で廊下に出る。
「いやぁ、困ったよー。主任がさ、「そんな、誰だかわかんない人たちを泊めるわけにはいかない」って言うんだよー」
アズサ、こともなげに言う。
「うん、まー、主任の立場ならねー。村営ホテルを切り盛りしてるって言っても、そもそもはお役人なわけだから、イレギュラーなことはしないでしょーねー。そもそもって言えば、あのおじさまはどなた?」
タカシが困った顔のまま答える。
「数論の世界的権威」
アズサがビックリした顔でエルデシュを見る。エルデシュは二人をジッと見ていて、アズサに見られたので小さく手を振る。アズサも、ビックリした顔で小さく手を振り返す。
「世界的権威に見えないわねー」
タカシが明らかに困っている。
「どーしよー。こーゆー問題、全然解けないんだよー」
アズサ、少し楽しそうに「ふふふ」と含み笑い。タカシがすねたように睨んでいる。アズサが楽しそうに言う。
「ふふふ。あたしが一肌脱いじゃおうかなぁー」
タカシが手を合わせて拝む。
「頼む。頼む。きみ、世渡り上手だから、お願い」
アズサが苦笑する。
「やめてよ。夢見る乙女をつかまえて「世渡り上手」って」
タカシが手を合わせたまま、
「ごめん。でも頼む。なんでも言うこと聞くから」
アズサ、ニヤニヤする。
「じゃ、さ、夏の間にカツカレー10杯食べさせて」
タカシが手を合わせたまま、気軽に答える。
「いいよ」
アズサ、ガッツポーズ。
従業員食堂にアズサが一人で座ってお茶を飲んでいる。柱時計が9つ鳴る。従業員が5人ほど食堂に入ってくる。その後ろからタカシが小走りに入ってきて、アズサの前に座る。
「アズサくん、アズサくん、どうなった?無事に運んだ?」
アズサはお茶を飲みながら、慇懃に答える。
「ここの寮に押し込んだわよ。今夜はカツカレーの夢を見るわ」
タカシは安堵してイスの背にもたれる。アズサがお茶を3回すすると、急にタカシが言う。
「あ。電話だって。おとーさんから」
アズサ、すぐに立ち上げる。
「それを最初に言いなさいよー」
エルデシュの正体
目白のアズサの家の黒電話の前におとーさんが立って電話している。
「おー、元気でやってるかー。そーか、そーか。おかーさんさんから言付け聞いてな、うん、調べてもらったよ。その先生な、ポール・エルデシュっていうお名前だそうだよ。確かに世界的権威だ。湯川秀樹先生も在籍したプリンストン研究所でアインシュタインと机を並べたこともあるそうだよ」
村営ホテルの小さな電話室で、アズサが仰天している。
「あ、あ、あ、アインシュタイ~ン!!」
目白のアズサの家の黒電話の前におとーさんが立って電話している。
「いい機会だから、その先生に色々話を聞くんだぞ。いつも言ってるけどな、どんな分野でもエライ人ってのはエラくなった理由があるんだから、迷惑にならない範囲でなるべく話を聞くんだぞ。それがおまえの人生の財産になるからな」
村営ホテルの上にキレイに月が出ている。ホテルも従業員寮も月に照らされている。寮の1階の一番ハジの窓から、エルデシュとアニューカが月を見ている。
次の朝は晴れた。河童橋から穂高岳がよく見えて美しい。
アズサが寮のベッドで気持ち良さそうに寝ている。ドンドン、ドンドンとドアを叩く音がする。何回も何回も続く。アズサが目をあける。めんどくさそうに起き上がってドアをあけると、タカシが立っている。
「アズサくん、ごめん。ちょっとお願いがあるんだ」
アズサが半開きの目で言う。
「なんですか?今日、あたし、午後番だから10時まで寝る予定なんですけど。楽しく。スヤスヤと」
タカシ、満面の笑み。
「今日、休みにしといたよ」
アズサ、髪をポリポリかく。
「誰が?」
タカシ、満面の笑み。
「ボクが。アルバイト長のボクが、アズサ君のシフトを変えといた」
アズサ、髪をポリポリかく。
「なんで?」
タカシ、満面の笑み。
「今日、付き合って。エルデシュ先生と話しなきゃいけないから」
アズサが大きなアクビをする。
「なんで、あたしが付き合わなきゃいけないの?」
タカシ、満面の笑み。
「だって、先生にはアニューカがいるからさ。ボクにも援軍がいないと」
アズサ、髪をポリポリかきながらタカシを見ている。タカシ、満面の笑みで拝み出す。
「お礼はするよ。カレー以外に。だから、頼む。頼むよ」
アズサ、少し考えてニヤリと笑う。
「じゃ、本ちょーだい」
タカシ、拝みながら、
「何の本?」
アズサ、ニヤニヤしながら、
「あなたの本。サイン入りで」
タカシ、拝みながら固まる。
「うーん、そーれはちょっとー、恥ずかしいなぁー」
アズサ、髪をポリポリかいて、アクビをしながら部屋の中に戻ろうとする。タカシが袖を持って引き留める。
「わかった。わかった。あげる。あげる。でも、手元にないんだ。送ってもらうから、ちょっと時間ちょうだい」
アズサがニヤッと笑う。
朝靄に包まれた上高地バスセンター。新島々や薮原や木曽福島から続々とバスが到着して、どんどん人が降りてくる。みんな、バスセンターの食堂の前を通り過ぎる。
食堂の一番奥のテーブルに、アズサ、タカシ、エルデシュ、アニューカが座っている。みんなモーニングを食べている。エルデシュがパンを食べながら外を眺める。
「ずいぶん朝から混むんだねー」
アズサもパンを食べている。
「お昼にかけて、もっと混むよ。夏だけで40万人も来るんだって」
エルデシュが驚く。
「へー。こんな人がいる避暑地、はじめて見たよ」
エルデシュがアニューカにハンガリー語で話しかける。二人が興味深そうに食堂の外を通り過ぎる人々をながめている。タカシが急に話し出す。
「父が急に亡くなりまして、、、」
エルデシュとアニューカがタカシに目を移す。タカシが続ける。
「それで、大学を続けるのが困難になりました」
エルデシュが答える。
「そうか、そうか。ボクに相談してくれればよかったのに、、、」
そこへ、シゲルがノッシノッシとやってきた。
「タカシくん」
タカシが驚く。
「あ、シゲルさん、どうしたんですか?滑落かなんかあったんですか?」
シゲルが首を振る。
「あのさ、そこのお二人はバスが到着する前に河童橋あたりを散歩してなかったかな?」
アズサが答える。
「歩いてましたよ。朝食前のお散歩で」
シゲルが苦笑する。タカシが立ち上がって席を譲る。シゲルは苦笑しながら、一礼して譲られた席に座る。
「いやさ、さっきさ、連絡があったのさ。バスの到着前に見知らぬ外国人の男女が河童橋を歩いてたって。心中者じゃないかって」
アズサが笑いながら通訳すると、エルデシュとアニューカが声を出して笑う。シゲルも笑う。
「いや、心中者ってなるとさ、オレが話を聞いて説得することになってるのさ。だから探しに来たんだけど、、、」
タカシが恐縮している。
「すいません。この方、ボクの先生でポール・エルデシュ博士です。そちらはお母さんのアニューカです。ハンガリー語で「お母さん」ていう意味です」
シゲルが笑いながら二人に手をあげて挨拶する。エルデシュとアニューカも笑って手をあげて挨拶する。シゲルがタカシに尋ねる。
「タカシ君の先生て、何の先生?そいれば、タカシ君て何やってたの?」
アズサが身を乗り出して、秘密を教えるように、
「それがシゲルさん、エルデシュ博士は数論の世界的権威なんですって」
シゲルがポカンとする。
「スーロン?何それ?」
アズサが悲しそうな顔をする。
「わかんないの。アタシたちみたいな普通の者どもにはわかんないの。しかも、タカシさん、その世界的権威と本を出してるんですって。16歳の時に!16歳よ!」
シゲル、止まる。エルデシュとアニューカがコーヒーをすする。シゲル、大きく息を吐く。
「あー、ビックリした。あんまりビックリして息が止まっちゃったよ」
アズサが笑う。
「でしょ?でしょ?タカシさんが天才だなんてねー」
タカシ、照れる。シゲル、ビックリした顔でタカシを見ている。
「いやー、なんか色々聞きたいとこだけど、何聞いたらいいのかわかんないよぉ」
向こうからシゲル呼ぶ声がする。
「あ。巡査が呼んでる。じゃ、失礼するけど、すごいなー。タカシ君天才だったのかぁ。だーからいつもボーッとしてるんだなぁ」
首を振りながらシゲルが去って行く。
みんなコーヒーを一口飲む。
タカシが話題を再開する。
「手紙はお出ししたんです。ハンガリーの方に」
エルデシュが「しまった」という顔をする。
「あー、それはすまなかった。ハンガリーは引き払ったんだ。政情が不安定だから。ベル研究所のロンのところに連絡先変えたんだよ」
タカシが続ける。
「それで、どうしたらいいかわからなくなって、とりあえず静かな山の中でも行ってお金でも貯めようと思いまして、、、」
エルデシュとアニューカがうなづく。
「数学はしていたの?」
タカシがうなづく。
「あとで証明を見てください」
エルデシュが明るい顔でうなづく。
「それは、よかった。数学を続けているなら、あとは何とかなるよ。ボクが何とかするべきだよね?アニューカ?」
アニューカが深くうなづく。
アズサの才能
村営ホテルのフロントで、黒メガネの主任が苦々しい顔をしている。
「えぇぇー!ニュージャージぃー?」
主任の向かいに、すまなそうな顔でアズサとタカシが立っている。その後ろに、興味深そうな顔のエルデシュとアニューカが立っている。アズサがすまなそうに、
「えぇ、ニュージャージー。エルデシュ先生の資産を管理しているのがロンて人で、その人も世界的権威らしいんだけど、その人に電話してお金送ってもらわないといけないんですって」
主任が苦々しい顔で応じる。
「その人がベル研究所にいて、それがアメリカのニュージャージーにあるのね?」
アズサがとびきりの可愛い笑顔になって、うなづく。主任、ちょっと相好を崩す。
「でもさー、いくらかかんのよー。しかも、ニュージャージからお金到着しないと電話代金もらえないんだろー」
アズサが主任を拝む。
「お願いします。お願いします。アレだったら、うちの父に前払いさせます」
主任がエルデシュを苦々しく見る。
「だってさー、こんなみすぼらしいじーさんにさー」
アズサが覚悟を決めたような顔になって、両手を下ろす。
「ここで電話させてくれないと、あとで主任が怒られますよ」
主任が少しドギマギする。
「えっ?なんでボクが?」
アズサが主任の方を向きながら、アズサの後ろに立っているエルデシュを指さす。差した位置がちょっとズレているので、エルデシュはアズサの差しているところに動く。
「このおじいちゃまはね、20世紀最高の数学的頭脳の一人なの。プリンストン研究所でアインシュタインとも机を並べて研究したの」
主任が驚いてエルデシュを見る。
「ア、ア、アインシュタイン!」
主任に見られて、エルデシュが小さく手を振る。アズサが続ける。
「プリンストン研究所はね、世界で最も優れた研究機関よ。原爆を作ったフォンノイマンやオッペンハイマーもいたのよ」
主任がまた驚いて、またエルデシュを見る。エルデシュが主任に小さく手を振る。
「えぇー?このみすぼらしいじーさんがぁ?ほんとかい?」
アズサ、エルデシュを見る。
「パスポート出して」
エルデシュが素直に胸のポケットからパスポートを出してアズサに渡す。
「あのね、ハンガリーがね、このおじいちゃまの母国ハンガリーがね、このおじちゃまだけが使える特別なパスポートを出してるのよ。それがこれ!」
アズサがパスポートを一枚めくって主任の目の前に掲げる。パスポートに貼ってあるエルデシュの写真が笑っている。
「よく読んでみて。これはね、戦争があっても革命が起こっても、このおじいちゃまがハンガリーに入国できるようにって、ハンガリー政府が特別に発行したパスポートなのよ。なぜだかわかる?」
主任が首をふる。アズサの声が大きくなる。
「このおじいちゃまがハンガリーの財産だからよー!このおじいちゃまの頭脳は、ハンガリーが世界に誇る財産なのよー!」
アズサの勢いに押されて、主任は何回もうなづく。
「わかる?エライのよ。すごーくエライ人なの。だから、いつ帰るかわかんないけど、帰る時は安曇村村長や松本市長を表敬訪問するわよ。安曇村や松本市が招待するわよ。きっと。その時「村営ホテルの主任にエライ目にあわされた」なーんて言われたら、主任困るでしょー!」
主任、目を見開いて何回もうなづく。横に立っているタカシが小声でつぶやく。
「さすがだ。アズサ君、さすがだ」
村営ホテルの小さな電話室でエルデシュが電話をしている。
河童橋が夏の日差しに映えている。穂高岳も美しい。河童橋の見えるベンチに、アズサ、タカシ、エルデシュ、アニューカが横並びで座っている。エルデシュが話している。
「ロンからお金が届くまで2~3週間かかるみたいだから、それまでここにいるよ。ここは避暑にいい。ねぇ、アニューカ」
アニューカが満面の笑みでうなづく。アズサが心配そうな顔になる。
「それは楽しそうでいいけど、部屋空いてるかなー。この時期、どこも満杯だし、村営ホテルの部屋も新しいアルバイトがきたらふさがっちゃうし、、、」
村営ホテルのフロントで、黒メガネの主任が苦々しい顔をしている。
「えー!そりゃー、無理だよー」
主任の向かいに、すまなそうな顔でアズサとタカシが立っている。その後ろに、興味深そうな顔のエルデシュとアニューカが立っている。アズサが可愛い顔をしてみる。主任が人差し指を左右に振る。
「ダメダメダメ。可愛い顔してもダメ。可愛いけど、いくらアズサ君の頼みでも、これは無理」
アズサとタカシとエルデシュとアニューカがみんな悲しい顔になる。それを見て主任も困る。
「うーん、あ、あのさ、松本電鉄さんがさ、夏の間二部屋おさえてるんだよ。運転手さんとバスガイドさん用に。それ譲ってもらえるように頼んでみれば?」
みんなの顔がパッと明るくなった。
バスセンターの食堂で、ジローがカレーを食べながら言う。
「えー!そりゃ、俺たちじゃどーにもできないなー」
ジローの横に座ってカレーを食べているマイコも同意する。
「そーねー。力にはなりたいけど、総務の話なのかなー?」
二人の向かいにエルデシュとアニューカが座り、その後ろにアズサとタカシが立っている。みんな一斉に悲しそうな顔をする。ジローがそれを見て言葉をしぼりだす。
「うーん、社長に頼んでみれば?俺たちも口添えするから。さっき釜トンネルのあっちで作業してたから、もうすぐ昼メシ食いにここに来るよ」
マイコが同意する。
「ジローさん、それいい案。話も早いし」
アズサが質問する。
「なんで松電の社長さんが釜トンネルの向こうで作業してるの?」
マイコが不思議そうに答える。
「なんでって、当たり前でしょ。忙しいからよ。道の点検とか整備とか。毎日こーんなにお客さん来るんだもん。夏はいつも松電社員総出なのよ。社長も専務も部長も。松電本社は、夏の間空っぽよ」
ジローが食堂の入口を見て手をあげる。
「あー、来た来た、しゃちょー!しゃちょー!」
松電社長が座って腕組みをして考えている。松電社長の前に食堂のおばちゃんがカレーを置く。よこに座っているジローが言う。
「しゃちょー、一肌脱いであげてよ。せっかく世界的な人が上高地に来てるんだからさ」
社長が「うーん」とうなる。向かいに立っているアズサが、横に立ってカレーを食べているマイコに話かける。
「ジローさんて、ちょっとトッポイの?社長さんに向かって気安くない?」
マイコが笑う。
「トッポくないわよ。エライのよ。だってジローさん「山の運転手」だもん」
アズサがつぶやく。
「山の運転手?」
マイコがうなづく。
「松電には「町の運転手」と「山の運転手」がいてね、「山の運転手」は運転技能が特別高い人だけがなれるの。だから社長が直接面接して決定するの」
アズサが驚く。
「へー。ジローさん、エライんだー」
マイコがうなづく。
「それに、ジローさんは満州の戦車部隊で、社長は満州の自動車部隊だったから、気が合うみたい」
社長がまた「うーん」とうなってから話出す。
「やっぱダメだ。申し訳ないけど。ジローさん、会社はさ、あんたたち山の運転手やバスガイドのご苦労をねぎらうために部屋を用意してるわけよ。だからさ、オレはうんとは言えないよ。世界的な人が上高地に来ていただいてうれしいけどさ、だけどさ、オレはジローさん達を大事にする義務があるじゃない。それが社長の役目でしょ?」
沈黙が流れる。アズサがエルデシュとアニューカに翻訳して伝えている。すると、ジローの後ろに立っているタカシが急に声を上げる。
「この前の戦争で悪の枢軸国から文明が救われたのは、そちらにお座りのエルデシュ博士の予想がキッカケだったんです」
みんな、同じように「え?」という顔をしてタカシを見る。タカシは続ける。
「大西洋でナチスドイツのUボートが華々しく活躍し、米国から欧州に送られる重要な物資がことごとく沈められていました。沈められた船舶は3千隻を上回ると言われています」
みんな、同じように「なにが?」という顔をしてタカシを見る。タカシは続ける。
「それを止めたのは、ナチスドイツの暗号機「エニグマ」を解読できたからです。エニグマ解読に不可欠な糸口を提供したのはウィリアム・トゥッテという英国の数学者で、彼が公に才能を認められたのは、この」
と言って、タカシはエルデシュを手のひらで指す。
「このエルデシュ博士の予想の誤りを証明した研究でした」
みんな、同じように「なに言ってんの?」という顔をしてエルデシュを見る。エルデシュはみんなに小さく手を振る。
小梨平キャンプ場の中をアズサとタカシが歩いている。アズサが笑っている。
「でもさ、効かなかったねー。あなたの演説」
タカシが苦笑する。
「効かなかったかな?」
アズサが笑顔で言う。
「うん。ひとっつも。「予想の誤りを証明した」なんて何だかよくわかんないし、、、」
タカシが苦笑する。
「ははは。アズサくんのマネをしてみたんだけど、イマイチだったかな。ま、いいよ。ボクが部屋明け渡してキャンプ場で寝れば、一件落着」
小梨平食堂の前に来た。タカシが食堂のドアをあけて挨拶する。
「ミドリさん、すいません、お世話になります」
30代くらいの女性が出てきて、ブスッと向こうを指さす。
「あそこの裏の明神方向のはじっこでキャンプしてね。この忙しい時期、お客さんたくさん来るから、邪魔にならないように」
タカシが明るく「ありがとうございまーす」と言って、出てくる。アズサが心配する。
「だいじょぶなの?ずいぶん愛想のない人だったけど、、、」
タカシが笑う。
「そうかな?ミドリさんはお客さんには明るく笑顔で人気あるんだけど、普段はあんな感じなんだよ」
夜になった。安曇野村村営ホテルの上にキレイに月が出ている。ホテルも従業員寮も月に照らされている。寮の1階の一番ハジの窓から、エルデシュとアニューカが月を見ている。
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