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名づけられなかった感情たちへ

悲しい、と思ったときに、

「それは悲しいことだね」と
誰ひとりに認められることがないと

胸にうずくまるその気持ちが

「悲しい」

というものだと、わからない。

だから、言葉、特に感情に対するそれは、
人とともに響きあって、共感しあって
丹念に織られていくものなんだと思っている。


子どもの頃、特に十代前半は
兄にたくさん殴られてけなされるのが
当たり前だった。

でも、殴られて痛いより、
唯一無二の兄と仲良くなれないことの方が
ずっとずっと心が痛かった。

そして、気づいていた。

兄の心がとても傷ついていることに。

私は兄に対応するのに必死だったけど
兄は、私より早く生まれた分、
父と母の長年に渡る不和と一人で闘っていた。

その方がどれだけしんどかっただろうかと思う。

だから、殴られたりけなされたりすることの
痛みに関しては、少し無感覚だった。

でも、後から振り返ると、
私はしっかり傷ついていたんだと思う。

それが痛みだと気づくこともなかった。


父と母が罵り合っているのを聞いて、
いつも傷ついていた。

父が母を傷つけることに。
母が父を傷つけることに。

どうしたら二人が仲良くなるんだろう。
どうしたら二人が分かり合えるんだろう。

いつも仲裁役をした。

母は言い争いが始まるたびに、
私の顔を怖い形相で見た。

「ほら、腹が立つでしょう
 私の気持ちをわかってよ」

暗黙の助けを求める合図。

私はどちらも傷つけたくなかったから、
常にフェアでいようとした。
双方の弁護をし続けた。

いつもそんな調子だったので、
私は父と母に「わかってもらう」ことを
期待することがなかった。


社会人になって、
やっとのことで家を出た。

何日も何十日も、涙が止まらなかった。

私、泣きたかったんだ。

そのとき、初めてわかった。
家では、泣くこともできなかったんだってこと。

母は私が苦しがると、
「そんなことない」って否定したがった。
『私は一生懸命「母親」として
 やるべきことをやっている』
そう、認められたかったんだと思う。

だから、私は家で「苦しい」と言えなかった。
「苦しい」と思うことすら、母を傷つけるようだった。

家にいる間はあまり泣かなかったのに、家を出てからは、それなりに色々大変だったのもあって、よく泣いた。泣けるようになったんだ。

そしてあるとき、父と母に対して
激しい怒りが湧き上がって止まらなかった。

「どうして私のことを助けてくれなかったの?」

そんなこと、思い浮かべたこともなかったのに。

苦しいのが当たり前で、そこに助けはないのが当たり前だった。

私は、ものすごく生きづらかった。

どうしてこんなに生きるのが辛いのか

その答えの一つは、自分の感情に対して、配慮してこれなかったからなんだろうと思う。

感情を見ることを、他者にされなかったことから、自分自身の感情を見なくなっていた。自分を優先していいときがわからなかった。
辛いとか悲しいとか苦しいが当たり前すぎて、それが問題なんだと気づけていない感情が、頭に浮上している問題より、ずっとずっと深いところに横たわっていた。

苦しみは自分が自覚して発信しないと誰も気がつかない。でも私は、負の感情を受けとめられる場を見つけることができず、発信することもできなかった。

家と学校しか居場所がなかった頃。学校は問題を起こさないことを学ぶ場で、自分を大切にすることを学ぶにはひどく難しい場所だった。

感情が軽視された時代を生きていたんだと思う。



感情を見つめて、その存在を認める。

その胸の内にあるのは「寂しさ」なんだと。

「悲しさ」なんだと。

「苦しさ」なんだと。

そう認めてあげるだけで、
心はホッとするのだ。

辛かったことに、「辛かったね」。

悲しかったことに、「悲しかったね」。

苦しかったことに、「苦しかったね」。

嫌なことには、「嫌だね」。

怖かったことには、「怖かったね」。

そんな小さな積み重ねが、
どれだけ心を救うだろうか。

膨大な心の動きに、一つひとつ名づけていく。

そこにあった感情たちに、
存在を認め、意味を認め、理解し、
そこに在ることをゆるしていく。

そうすることで、重たい感情は
終わらせていけるのだ。

そしてはじめて、自分が自分になれる。


幸せを目指すなら、
感情の声を聞くことは不可避だ。

それなら、なんのために
感情を押し殺し続けて生きるのだろうか。

感情とともにあること。

感情を尊重すること。


それはいのちの力を取り戻すことだ。


感情とともに躍動するいのちの力を
大いに発揮しながら生きることは
わたしたちをやわらかであたたかで
うれしい存在にしてくれると思う。

母も、父も、兄も、傷ついた人だった。

そして、それらは言葉や体の暴力として
連鎖しているのを、ずっと見ていた。

負の連鎖を止めたかった。

私にどれだけのことができたかわからない。

でも、今、家族は信じられないことに、
まだ家族の形で、多少の擦れ合いはあっても、
お互いを家族として尊重している。

罵り合いとけなし合う言葉の代わりに、
感謝の言葉と労りの言葉をかけ合えている。

子どもの頃からずっとずっと夢見てきたこと、
その何割かは、叶えられたのだ。


だから、今が一番しあわせだ。



いかに負の連鎖を終わらせるか、

いかに命の温かさと明るさを
次の世代に繋げていくか、

それが、心ある人がつくってきた
歴史なんじゃないかと思う。

そして、その所産はたくさん残されている。
私は膨大なその恩恵の上に立っている。

だから、めげないでいられる。

私は人間になれて、幸せだ。

学んで、感じて、考えて。
そんな毎日のささやかな歩みは
過去の人たちとも未来の人たちとも
繋がっているんだと思う。

ひとは、ひとの幸福がうれしいから。

そんなことを実感できる
このnoteの場にも心から感謝。

長文になってしまいましたが、
読んでくださったあなたに
心から感謝しています。

ありがとうございます。

日々の営みを通して、人の幸福を祈って、
あらゆるものをつくってきてくれた人々に、
心から感謝を。

人を常に癒やし、やすらぎを与えてくれる
この地球に、深い感謝を。


ささやかな一つの命も

大河の一滴のよう

すべては繋がり 絡み合い 光り

自分を主張しながら

他と溶け合っている

そして大きな流れをつくり

うねりをつくり

やがて海に出る

そこには太陽の光が照り

きらきら きらきら 輝いている

朝は桃色の朝日が照らし

夜は深い闇が覆う

ときに荒波となって分かとうとも

広大さと静寂の中で一つとなる


いのちが織り成す壮大なタペストリーの中で

誰もが役割を持っている

無駄なものなど一つもない

無駄なことなど一つもない



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