植物癒し|小林大輝『植物癒しと蟹の物語』【本文公開1】
#note の読書感想文コンテスト「 #読書の秋2021 」の課題図書、
小林大輝さんの著書『植物癒しと蟹の物語』の
本文P3〜23を公開します。
*コンテストのお知らせはこちらをご覧ください。
#植物癒しと蟹の物語
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あなたへ
これからぼくの語ることがどうか
あなたを聴くことになりますよう
ぼくより
植物癒し
はじめまして。ぼくはヒトのたくさん住む街で植物癒しをしています。植物癒しとは枯れそうな植物をちょっとだけ元気にする仕事で、水をあげたり肥料を土に与えたりするのとはまた少し違います。
主に植物の話を聴くのが大切なことなのです。もうちょっとだけ丁寧に言うとすれば、元気になろうとする元気すらなくしている心に寄り添う仕事です。ぼくはこの仕事に誇りを持っています。
植物というのはヒトの言葉をしゃべりませんが、ヒトの言葉に込められた想いや考えを深く理解して、ものすごく丁寧に聴いています。
ぼくなんかはヒトの話を聴いているふりして、わかっているふりして、うんうん、なるほど、すごいすごい、などとうっかり適当にうなずいてしまうことがたくさんありますが、植物は生まれてから死ぬまでの間、いつもヒトの話す言葉を一生懸命聴いています。どんなときもずっと耳を澄ませているのです。これはなかなかに大変なことです。
いつだって心を尽くして聴いているので、話すヒトと一緒になって怒ったり、悲しんだり、喜んだりします。
近頃、ヒトの世界では話す力、伝える力、発信する力が大事だと盛んに言われているようですが、聴く力というのは本当はそれらを上回るほど、とてつもない力を持っているのです。
賢いウミガメは、もしも世界中の植物がヒトの話を聴くのを一斉にやめたら、瞬く間にヒトビトは心の豊かさを失い、口げんかから殴り合いにまで発展し、1日待たず、核爆弾を撃ち合って滅びるのだと言っているそうです。
それほどまでに植物はヒトの話を聴いているのです。この事実はもっと知られるべきだと、ぼくの親友の長老ゴキブリも言っていました。
森の植物はさまざまな声に耳を澄ませながら、豊かに成長していきます。バッタが羽ばたけば、心は一緒に草の上を跳ねます。鳥が鳴けば、心は一緒に空を飛びます。地に根を張り、じっとしているだけのように見えますが、本当はとても自由に生き生きと過ごしているのです。
ただ、どんな言葉でもまっすぐ聴こうとするために、雷や嵐のような天候の叫びを受け止め切れず、枯れてしまうこともあります。それでもいつも一生懸命生きようとしています。
ひとつひとつの緑が命を全うできるようにヒトが祈ることは、植物を助けます。ほんの少しでいいのです。どうか祈ってあげてください。
なぜこんなことを願うのかといえば、いま街中に満ちあふれているのが祈りではなく、植物を苦しめる呪いばかりだからです。
街では自ら枯れてしまう植物がたくさんいます。本来、植物には日の光を浴び、水を飲んで、酸素を吐き出し、自らを癒やす力が備わっているというのに、それを封じて枯れてしまうのです。最初に述べた、元気になろうとする元気すらなくしている心とはこのことです。
街には植物にとってつらい言葉があふれています。聴いているヒトのことをけなしたり、罵ったり、あざわらったり、からかったりする言葉です。こういう言葉を聴くと、植物は心を閉じて静かに消えていこうとします。とても悲しいことです。
植物はあなたが望むのなら、そのとおりになります。あなたが自分で望んだことに気づかなくても、その想いを汲み取っているのです。
あらゆる言葉の中でも致命的に植物を枯らせてしまうのは、声に出して口にすることすら叶わないヒトの心です。心を苛まれ、想いを蝕まれ、苦しむことさえあきらめようとしているヒトが「沈黙」という形で叫ぶ最後の悲鳴です。
植物は、ヒトのように空気の振動で声を聴いているのではありません。言葉に込められた心の波長を聴いているのです。それゆえ、声にならない言葉であっても、はっきりと受け取ることができます。
沈黙の悲鳴を受け取った植物はそのヒトそのものになりきって、一緒に生きることをやめようとしてしまいます。限界を迎えたヒトの代わりに植物が枯れることは、しばしば起こります。決して珍しい話ではありません。
心に結ばれた勇気の糸がプツリと切れて、自ら命を落とそうとする寸前で植物は大地に根を張り、そのヒトが思いとどまるよう、必死で支えているのです。
誰ひとりとして自分を助ける者はいないのだと、嗚咽を洩らし、己をあわれむことしかできないときにも、ヒトの声は確かに植物へ届いています。でも、その声を受け取ろうと頑張りすぎた街の植物たちは、やはり自ら枯れていくのです。
ここで、ようやくぼくの仕事が始まります。いわばヒトを癒やす植物たちをまた癒やすのが、ぼくの仕事というわけです。河川敷、橋の下、公園、毎日あちこち街中を歩いて回って植物とお話をします。
心を閉ざしてしまった植物はなかなか返事をしてくれません。それでも毎日ほんの少しでも語りかけます。最初はみんな心がいっぱいで、こちらの意図を汲んで会話することすら難しい場合がほとんどです。みんな口々にヒトの心から聴き取った感情をつぶやいています。
「もうダメだ、おしまいだ」
「自分には価値がない」
「なんのために生きているのか」
こういう言葉を、大切な呪文のようにずっと唱えています。残念ながら、ぼくは大それたことなど言えません。むしろ植物の言うことに「なるほど」と耳を立て、ただその言葉を聴いているだけです。
「どんなふうにおしまいなのかな」
「価値ってなんだろうか」
「なんのために生きているんだろうね」
口をついて出る台詞といえば、せいぜいがこのくらいのものです。
そうして隣に座ってぼやいていると、そのうち植物のほうからぼくの言葉に応えてくれるようになります。
「あなたは気楽でいいですね。わたしはこんなに苦しんでいるというのに」
これはある日、大きな公園に置かれたベンチの足元で咲く、名も知らぬ白い花に言われた言葉です。こんな皮肉を言われても、ぼくは相変わらず思ったとおりを口にすることしかできません。
「たしかにぼくはお気楽だ」
「わたしの気持ちなど、あなたにはわかりもしないでしょう」
「もしよろしければ、あなたがどんなに苦しいかをぼくに教えてはくれないだろうか」
「いいでしょう。何も知らないあなたに教えてあげます。まったくしようがありませんね」
難しく考えなくても、素直に聴いていれば植物たちがこうして自分から話してくれるのです。
「わたしが話を聴いているヒトは、会社員という職業をしています。いつも昼食のあとに飲みきれず余った飲料水をわたしに分けてくれる優しいヒトです。おかげで私の葉と花は随分育ちました。大変に感謝しています。彼は電話という装置でひっきりなしに誰かと連絡しています。聴こえる心の波長からも彼が優秀で、頭の回転の速いことが伝わってきます。身なりも整っていて、見た目からは何も問題がないように見えますが、彼はいつもどうしようもなく急いでいます。心が一つ所に落ち着くことなく、常に目まぐるしく動き続けているのです。なのに、彼はどうして急いでいるのか、自分で自分のことがさっぱりわからないのです。わたしは彼と出会ってから、いつか枯れるのになぜわたしは咲くのか、という不安にいつも襲われています。ほかのすばらしい草木を押しのけてまでこの土を勝ち取り、咲くことに何の意味があるのかという疑問ばかり浮かんできます。いままでそんなことは考えてもみませんでした。つまり、これはきっとあのヒトの気持ちなのです。彼は絶えず目の前に現れる恐ろしい競争の中をどうにか生き抜いています。しかし、勝利すればするほど、彼はより深く呪われていくのです。昨日、彼がわたしの下を訪れたとき、身に纏う衣服が丈夫な皮の生地に新調されていました。手首には真新しい時を刻む機械が巻かれていました。彼の身なりは日ごとによくなっています。それと反比例するように、ベンチへ腰掛けて口にする昼食の量はだんだんと減っているのです。顔も少し頰がこけたように見えました。心の声を聴くと、気持ちもひどく重くなっているのがわかります。装いは美しい宝石のようにピカピカと輝いていますが、わたしにはそれが彼の心を地面へ縛りつける重石に見えるのです。彼の心はじたばたともがいて、落ち着きをなくし、ますます速くなっていきます。どこに行くかもまだわかりはしないというのに」
こんなふうに話を聴いていくと、苦しんでいる植物たちは、ふとぼくに尋ねることがあります。たとえば、この白い花は想いを吐き出したあとでハッとして次のように言いました。
「わたしたちはどこへ行くのですか?」
こういうとき、ぼくはいつでも正直にぼくの心を話すことにしています。一緒になって思い悩んだり、苦しんだりできたらよいのかもしれません。でも、ぼくはぼくに過ぎず、植物は植物に過ぎないのです。いつものようにぼくは素直な気持ちで答えました。
「さあ、ぼくにはわからない」
白い花はどうにも納得がいかない様子でした。
「では、あなたは? あなたはどこへ行くのですか?」
「ぼくはどこへも行かない。いつもごろごろしておひるねしているだけだもの」
「そうですか。それはよいですね。でも、わたしの彼は、あなたのように生きることをひどく恐れているのです」
「それはどうして?」
ぼくが首をかしげた瞬間、ヒトが青ざめるときのように、白い花の葉先がわずかにしおれるのを見ました。
「自分が何者でもないことにおびえるのです。恐ろしくて仕方がないのです。わたしにも彼のような身に纏う道具があれば」
「君も自分の身を守る服や腕時計がほしい?」
「願わくば。けれど、わたしは地に咲くだけの花。心を覆う衣も手も何ひとつとして持ちません。それゆえに、わたしはありのままおびえているのです。ある意味でわたしはヒトである彼よりも彼そのものなのです」
白い花は話している間に、いつのまにか自分が花であることを忘れ、もうすっかりヒトそのものになりきっていました。
いよいよ茎まで元気をなくして白い花はうなだれ始めました。どうしたものかと耳をピンと立てて考えていたら、とてもいいアイデアを思いついたので、ぼくはそれを伝えました。
「彼と君の両方にできる素敵なことをひとつだけ知っているんだけど」
「なんですか、それは」
「おひるね」
「おひるね? お昼寝をして何が得られるというのです?」
「なにも」
「何もない?」
「そう、なにもないんだ」
「何もない、ということはお昼寝にはまるっきり意味がないということになるのでは?」
「そうだよ。意味なんてないんだ」
白い花はすっかり呆れたようでした。
「それならば起きて働いていたほうが遥かに有意義でしょう。わたしは残った仕事を片づけますよ」
「ねえ、思い出してみて。君はヒトじゃなくて花なんだよ。ここに咲いているだけでいいんだよ」
「ええ、わたしは花です。それでも彼はヒトだ。ヒトは立っているだけでは生きていかれない」
「いま、彼の想いに触れて君がヒトになっているように、彼だって本当は花になれるんだ」
「いいえ、彼はヒトであることから決して逃れられはしない。だからこんなにも苦しいのですよ」
「そんなことはない。ヒトは自由だ。何にだってなれるよ」
「なら、わたしはどうやって自由になればいいのです?」
「さっき言ったとおりだよ」
「お昼寝ですか」
「そのとおり」
「ばかばかしい。お昼寝なんか時間の無駄です」
「無駄じゃない時間なんてないよ」
「なんですって? 無駄じゃない時間がない? では、あなたは何もかもが無駄だというのですか」
「そう思う。この世界に価値のあるものなんかひとつもありはしないんだよ」
「では、あなたはいまどうして生きているのです」
「生きている限り、無駄な時間なんてひとつもないからさ」
「あぁ、あなたの言っていることはめちゃくちゃだ」
「ほら、よく考えてもごらんよ。まず、ぼくらのなにもかもが無駄だってことがわかったとする。でも、そのあとでもう一度落ち着いて考えてみれば、価値がなにもない以上、ぼくらは、ほかのなにものとも比べ合うことができないということがわかる。すると、今度は逆に、無駄なものがこの世からひとつもなくなってしまうのさ」
「もう。よくわからないことばかり言って。あなたと話していたらだんだん眠くなってきましたよ」
「それはすごくいいね、眠るといいよ」
そのときにはもう返事はありませんでした。白い花は深い眠りにつきました。あるいは眠ったのは花ではなく、この花が気にしているヒトだったのかもしれません。どちらにしても、ぼくはその両方に向けて語りかけました。
「目を開いているか閉じているかの違いだけで、いつもぼくらは夢を見ているんだよ」
それだけ言い残して、ぼくは公園を後にしました。
もしかすると、夢はまやかしに過ぎないのかもしれません。でもぼくと話している間、白い花は会話にずっと夢中なまま、少なくともあの呪文みたいなつらい言葉を何度も繰り返したりはしませんでした。ぼくからすればこのひとときもまた、夢を見ることと同じなのです。
たくさんお話をして疲れたので、ぼくは大きなあくびをひとつしてから公園近くの住宅街に向かい、陽の光でほんのり温かくなったお気に入りの赤い屋根の上に登って、おひるねをすることにしました。
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ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
次回は10月22日(金)に
P25〜37「眠れる獅子」を公開します。
お楽しみに!
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