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薄志弱行な人間が、写真展を開いてもらったら

わたしは昔から意志が弱いです。

それも、「本当はこうしたいのに」と思っていることは少なくて
心底どうでもいい、自分じゃ分からない
と思っていることが多かった

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中1のときから9年間習っていたダンスは
同じクラスの子に「わたしの通っているスクールの体験レッスンに来ない?」と誘われて、全然興味なかったけどなんとなく入会して、
誘ってくれたお友達は、気が付いたら辞めていたし、
9年習ったけど、ダンスはぜんぜん上達しなかったな
スタジオのお友達に会えるのが嬉しくて通ってた


高校は、ネコが棲みついてるところに決めた
高校見学に行ったとき、母に「ここいいじゃん、お昼ご飯ひとりでもねこちゃんがいるよ」と言われたから
1年生から3年生までずっとA組で、教室が3年間変わらなかった
中庭にいちばん近い1階の、ねこちゃんが良く遊びにきてくれる教室でした
ちなみに友達は、少ないけれど
今でも大好きな大切なお友達が出来た


はじめてのアルバイトはマクドナルド
お友達と行きつけのマック、店員さんに顔を覚えられるくらい行ってた
「ここでことが働いてたらおもろいからここにしてよ!」と言われて決めた
家の最寄りでも、高校の最寄りでもない、友達の家の最寄り

そして高校卒業後の進路は、担任の先生に
「ここなら推薦取れるけど」と言われたところに決めた。他と比較もしなかった。

それが辛かったとか苦しかったとか
そういうわけでは全くなくて
むしろ、ありがたかった
心からなんでも良かったから、
決めてもらえて、それで喜んでくれる人がいて
満足していたし、自分でそれを望んでいた


ただひとつ、成人式の振り袖だけは
本当は試着した中の落ち着いた白い花柄の赤か、淡い黄色が着たかった。
試着を担当してくれた女性が「あなた!すごくピンクが似合う!これがいいわよ!」と
派手な柄の蛍光に近いピンクの振り袖を強く推していて
もうそれでいいや、と決めてしまった。
この体験からなのか分からないけど、今でもお店で試着をするのが苦手

意志も弱ければ、押しにも弱い。

自分で殆どなにも決めず、大人になってしまいました。


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そんなわたしが自分の意志で大きな行動を起こしたと思えるのは、これまでに3回

ひとつめは、ここでは話さないと決めていること

ふたつめは、ウインクキラーのモデルに応募したこと

みっつめは、ラピナスのスタッフに採用してくれと直談判したこと


ウインクキラー(写真家 中島圭一郎さんによる撮影企画)のモデル応募は
まだ"ウインクキラー"というプロジェクトが始まる前のこと
応募のメールをしたら、すぐにテストシュートに呼んで頂けて
すごく嬉しかったことを覚えてる
そして、中島さんに「今までで一番しっかりした文章の、想いのこもったメールだった」
と言っていただけたことも、ずっと心にある。

そこから、自分のやりたいと思った撮影内容を中島さんは叶えてくれたし
わたしがなんとなくでやっていたカメラのことを、イチから全部教えてくれた
話を聞いていて分からない、腑に落ちないと思ったことは帰ってから自分で調べた
写真を撮るのが大好きになった


ラピナス(子ども写真スタジオ)は、
当時スタッフ募集もしていなかったし
わたしは横浜に住んでいて、スタジオは埼玉にあったけど
それでも、「ここがいい」という確かなわたしの意志で
ダメ元だけど、真剣にメッセージを送った
当時、オープンしたてで、人を採用する余裕なんてなかったそうですが
「どれくらいシフトに入れられるか分からないけど…」と言って採用してもらえた
すぐにフル出勤になって、仕事として写真を撮るということに関して、たくさんの経験をさせてもらえた

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歩いてきた道を振り返れば、今までのことが全部続いていて
全てが積み重なって今なんだ、というのは
それはもちろんそうなんだけど

道は一本ではなくて、
細い道も太い道も、高速道路もあれば、信号がたくさんあって止まってしまう道も、踏切がぜんぜん開かないような道もある

思い返すと、人生が動いたなと思うこの三度は
ナビなしで自分で選んだ道だったなと思っています

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そして、今回の写真展のはなし


お話しを聞いた時にはほぼ開催が決まっていて
またわたしは逃げようとして
みんなやってるから、順番だから、日程ももう決まってるから。
わたしじゃ役不足じゃないか不安だけど、やるっきゃない、と思っていました

いよいよ写真展に向けての打ち合わせ、となる少し前
写真展でスタッフをしてくれて、運営も関わってくれているお友達が
そんなわたしの心情を理解して
「今ならまだノーリスクで引き返せるよ、どうする?」と連絡をくれていました

そのときは悩んでるとか不安だということはいわず
「やります!」と答えたけど
本当は心の中が不安でいっぱいだった

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「やっぱり怖いから、やめとく!」と一言お友達にお返事をすればやめられる状況で
わたしは、やるという意志を伝えたのです


もう一生こんな機会もらえないかもしれない
怖いけど、やりたくないんじゃない
すてきな写真は見てもらいたい


ハタから見れば、「今までみんな素敵な写真展だったし大丈夫でしょ!」「やってもらえるんでしょ?そこまで悩むこと?」と思うかもしれませんが
それこそ、今までたくさんの良い写真展を見て、準備も設営も解体も見てきて、あぁ良い写真展だったなと思えば思うほど
わたしにとっては、大きなプレッシャーでした


もしかしたら誰も来てくれないかも、
写真は素晴らしいのに、わたしが告知を頑張れなかったから、知名度が足りないから、見てもらえないかも
モデルがわたしでなければ、もっと素晴らしいものになったのかも、
やらなきゃ良かった、という結果になったらどうしよう
始まる前は、たくさん後ろ向きなことが頭を巡りました

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そんな不安を、みなさんが拭ってくれたことが
わたしにとってどれだけ嬉しかったか、伝わりますでしょうか

始まる前とは全く反対の気持ちで
最終日はずっと、終わらないで欲しいと思っていました

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夜明けまで写真組みを考えてくれたこと
過密なスケジュールの中、会場を設営してくれたこと
時間を作って会いに来てくれたこと
良いと思った部分を伝えてくれたこと
写真を見て涙を流してくれたこと
お花やプレゼントや差し入れを選んでくれたこと
一生懸命働いて稼いだでしょうお金で、作品やグッズを買ってくれたこと
何よりも、時間をかけてじっくり写真を、この空間を味わってもらえたこと

皆さんが大切にしてくれたこの空間を
大好きだと言ってくれたわたしのことを
わたしは大好きになり、大切にしたくなりました

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選んだ道を正解にしてくれたのは
写真展に足を運んでくださった皆様
わたしが知らない、わたしの魅力を言葉で伝えてくださった皆様
開催を実現して下さったスタッフの皆様
お友達、関係者の皆様
撮影してくださった、福島さん

この場所を、この8日間を
わたしの宝物にしてくれて
ありがとう

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写真展のきっかけは頂いたものだし、
開催に至り、準備や設営を進めて下さったのも全部福島さんやスタッフの皆さん
わたしは何の役にも立てなかったけど
最後の最後に、やる、と決意したのはわたし
どんな会場なのかよく分かっていない状態でしたが
新しい会場でやりたい!と言ったのもわたし

自分の意志で行動を起こしたら
わたしの人生は大きく動くのです

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カメラマンとして出会ったひとに、中途半端なモデル活動を知られるのがなんとなく恥ずかしいような気がしていたのですが
こんなに素晴らしい展示をして頂き
こんなに応援してくれる人がいて
どこが中途半端でしょうか

これからモデルとして実績を重ね、躍進していくぞ!
というような心持ちには到底なれませんが
それであっても充分です
わたしにはこれがあったから、と思える

この先、自分の人生がどんなふうに動いていくのか
楽しみです

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写真には愛が写ります
皆さんには見えたでしょうか


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ご来場、ありがとうございました


2022.3.15 coto

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