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【旅考】旅先の「日常がみたい」は額面通りじゃない

ローカルツーリズムを話していて、昨今のキーワードが「地方への旅は、その土地の日常が見たいんだよ!」という言葉。
有名観光地の「THE 名所」をみるものいいけど、ナマの生活感をみたいというものだ。

私もマチ歩きがすきなので、出張先ではキョロキョロと観察しながら出歩く。
その際に明確に気持ちがアガることがある。
 
それは「自分の住んでいるところの差異を見つけたとき」

東京にはみられない路面電車が走っている。
瓦や家の壁面の具合が違っていて、街並みが違う。
見たことのない食材がスーパーに並んでいる。
耳慣れない方言が飛び交う。

こういった「旅先の日常」のなかに「自分の非日常」を見つけたときに
アガる。

「旅先の日常がみたい」の本当の意味は「旅先の日常(と自分の日常の差異)がみたい」なのだ。

一方これまでのいわゆる観光は「旅先の非日常」が「自分の非日常」だと言える。
観光名所の古城やテーマパークは、旅先の地にとっても非日常だ。
でも、これはこれでアガる。
今までの旅行の王道ってそうだったのだから、心はやはり揺さぶられる。
ただ、そういうものが飽和したから、「旅先の日常」のなかに「自分の非日常」を見つける旅にシフトしたのだ。

そこでこぞってローカルツーリズムの合言葉になった「日常が見せよう」の概念。

しかし、「旅先の日常」が、「自分の日常」でもあった場合は、ぜんぜんアガらないものになる。
旅に出ている以上なにかしら刺激を求めているのに、それならわざわざ遠出しなくてもいいじゃん、というはなしだ。

ローカルツーリズムのニーズは変化しているけれど、旅行者が求めるものの本質は「自分の非日常」から変わっていないのだ。

ローカルツーリズムを企画するのであれば、「何が差異か」を意識している方が効果的なものができる。なんでもかんでもリアルを出せばよいというわけではなく、「見せ場」を用意するのは、最低限のおもてなしである。

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