自己紹介①

はじめまして。自己紹介します。

私は、野沢彌葆(のざわ みほ)です。HSCののち、HSP。

3姉妹の長女で生まれました。

父親はとても厳しく、優しい人です。プライドは平均的な昭和の父親。そこそこ高いです。4きょうだいの末っ子で、とっても可愛がられて育った人だったので、家庭を持つ父親としてはちょっとワガママな人でした。

母親は大変家庭的でうっかりキャラを隠さないチャーミングな人です。裕福な家庭、3姉妹の末っ子に生まれましたが、酒と女が大好きな父親(祖父)のためにあまり安定した家庭ではなかったようで、その分3姉妹の絆は大きかったみたいです。けなされて育ったため、自虐的に笑いを取るのはうまかった。

私はそんな両親の元で育ち、両親の代わりに妹たちの世話をしていました。

足に障害を持って生まれ、歩くのが2歳すぎだった私は、歌うことと本を読むこと、塗り絵が大好きな子供でした。

生後10ヶ月になっても寝返りもハイハイもしなかった私は、検査入院をしました。入院の3日間、環境が変わったことで一切ミルクを飲まなくなり、母親を不安にさせたことがあったらしいです。

私はその後手術を受け、幼稚園卒園までは毎月、小学校を卒業するまでは毎年8月に検査を受けに市内の総合病院を受診していました。

ーーー幼稚園の卒園アルバムには看護師になりたいと書いていて、今思えばその時の優しく関わってくれた看護師さんの影響で看護師を志したと思います。

手術を受けたのち、石膏で下半身を固めて重い私を、毎日抱っこして町内を散歩してくれました。残念ながら記憶はないです。

ーーーその頃、体の幅しかないベッドに寝かされており、両腕が落ちてしまうので両腕を頭の下に組んで寝ていました。今でも両腕を上げて寝る癖があります。

私の記憶で一番小さいのは、2歳10ヶ月の時のもの。

母親の高校の同窓会に連れて行かれました。赤いチェックのスカートと白いブラウス、襟はひらひらのレースが付いていたのを覚えています。

あの当時はとっても痩せていて、筋肉がないのでひょろひょろでした。母と手を繋ぎ、宇都宮市の坂道を上がったところにあるカフェへ入りました。とっても緊張していたのを覚えています。中にはたくさんの女の人がいて、みんな可愛がってくれました。

3歳になる頃にはひらがなとカタカナが読めて、大好きな「ノンタン」シリーズの絵本を読んでいたら、父がすごく褒めてくれました。嬉しくなった私は、もう一冊、早口ですらすらと読んで見せました。(ちょっと無理して頑張って読みました)そうしたら父はすごく驚き、褒めてくれました。すごく嬉しかったのを覚えています。

私が2歳6ヶ月の時に、妹が生まれました。その日からお姉ちゃんとしての人生が始まりました。






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