私のキャリア-意思あるところに道は開ける-
小学生の書く力を育てる専門家
奈良珠季です👋✨
最初に就職してから
早いもので…
間も無く10年が経ちます。
節目の年になるので
改めて私のキャリアを振り返ってみました!
◆なぜ初めはブライダル企業に就職したのか
◇その後に、なぜ学校の先生をしたのか
そして…
◆なぜ、起業をしてまで
学習教室 学び舎Cotobacoを作ったのか
お伝えできたらと思っています。
•
•
•
ざっくり10年の歩みはこんな感じ💁♀️
(大学で先生になるために教職について学ぶ)
↓
新卒でブライダル企業に就職(あれ?)
↓
公立小学校の先生になる
(小学1年生•2年生の担任をする)
↓
私立小学校の先生になる
(国語科•体育科で指導する)
↓学校での指導には、時間的•精神的な限界があることを痛感
小学校低学年から
読み解く力•書く力を育てる
「学び舎Cotobaco」設立
↓子どもたちと毎日楽しく過ごす傍ら
国際新堀芸術学院で高校生の指導
専門生の就職担当にもなる…!
•
•
•
ポジディブなこともネガティブなことも
様々な場所で色んな経験をしてきましたが
不思議なことに、全てが繋がっている今。
よく言われる
「意思あるところに道は開ける」
ということを実感しています。
私のキャリアや
どうやって道を開いてきたのか
ご興味のある方はぜひ
読み進めていただけたら嬉しいです☺️
・
・
・
ブライダル企業に勤めた理由は
東日本大震災がきっかけでした。
大学は教育の専門性を学ぶための
学校に通っていたので
当然小学校の先生になるものだと
思い込んでいました。
でも、2011年3月11日14:46に発生した
東日本大震災で大きく変わりました。
当時大学生だった私は
友人とボランティア団体を立ち上げて
日本財団さまに支援をしていただきました。
専門性を活かし
「被災地の子どもたちと遊ぶ」
というボランティアに多くの大学生が
賛同してくださり
宮城県気仙沼市に頻繁に足を運んでいました。
そこで、何気ない会話から将来の夢を
小学生の子どもたちに聞くと
警察官、看護師さん、消防士さん
リアルタイムでお世話になっている方々の
お仕事をあげる子どもたち。
それだけ、尊敬と感謝が幼いながらに
心にあったのだと思います。
でも、ある小学校2年生の女の子は
「夢なんて叶うわけがない」と
私の目をまっすぐ見て言いました。
理由を聞くと…
「今、目の前には、気仙沼の海が見える。
でも地震が来る前には
ここから海は見えなかった。
家も家族もいなくなって
何もないのに、夢なんて叶うはずがない。」
そんな話をしてくれました。
・
・
・
後から、女の子のおばあちゃんにお話を聞くと
津波が来ると警報がなった時、お母さんに
弟と車に乗せられた女の子。
しかし、お母さんはお財布を忘れたからと
車を降りた瞬間に、後ろから津波が来て…
津波に飲まれたお母さんは
目の前でどんどん小さくなっていく
女の子は2日間車の中で弟と過ごし
なんとか助かったそうです。
•
•
•
私は後1年で子どもたちの前に立って
先生として働くけれど
この子のような子たちの前に立った時
「夢って叶うんだよ」って言える大人に
なれるのか、自問自答の日々が続きました。
そして、出した答えは
まずは自分が夢を叶えることに決めました。
私は、人が喜ぶ姿が何よりも幸せを感じる。
だから、ブライダルの仕事に就くことがもともとの夢でした。
その夢を叶えるために
先生になることを
応援してくれていた親を説得して
進路を180度変えて
次の週には、就職活動が始まりました。
そして、とっても魅力的な会社に出会い
憧れのブライダル企業に就職。
企業理念は
「顧客満足度の追求」
朝から深夜までとにかく
「お客様のことだけを考えて仕事をする」
そのことだけを大切にしなさい
という指導を受けました。
だから、自分に矢印は一切向けず
とにかく朝から深夜まで働きました。
自分がしたい仕事ができて
幸せを感じ、一生懸命働く
一方で
そこで受けていた言葉は
挨拶代わりの
「アホ」・「おい、ブス」
関西の方々のノリだったのかもしれませんが
慣れない言葉をシャワーのように浴びていくうちに、だんだんと身体に症状が現れはじめ
結婚式で一番伝えたかった
「おめでとうございます」
という言葉さえもでなくなりました。
•
•
•
私が勤めていた会社の裏には
小学校がありました。
日中、外に出ると
子どもたちのキャッキャという声が
いつも耳に届くように。
日に日に、私のしたいことは?
と問うようになりました。
お客様の幸せな空間はチームで作る。
私がいなくても成り立つ。
でも、親よりも長い時間
子どもたちは先生と学校で過ごす。
夢を叶えた私が先生をやることに
意味があるのかもしれない。
自分にしかできないことはなんだろう
と改めて考えている時
心身への不調から
ドクターストップがかかり
退職を決意しました。
・
・
・
その後、療養期間を経て
私は公立小学校の先生となりました。
小学校1年生•2年生の担任を
させていただきました。
小学校で、純粋無垢な子どもたちと
向き合う中で
言葉とは恐ろしさをもっているけれど
優しさや美しい強さがあることも知りました。
特に低学年の子どもたちは
できないことが、できるようになること
一つひとつに目を輝かせて喜んでくれる🥹
そんな姿にやり甲斐も感じていました。
素敵な先輩方にも恵まれました。
・
・
・
小学校の先生は、一言で言えばスーパーマン。
全ての教科を教えるための準備をして
子どもたちと向き合う。
保護者対応(お客様対応に近い)もする。
会議もする。学校運営もする。
研修会にも行く。営業マンとも話す。
事務処理もする。
ここに、人間関係も加わってくる。
書いているだけでも目が回りそう👀💦
•
•
•
子どもたちは、本当に可愛い。
でも、あまりの多忙さに
子どものことに集中しきれない現状。
実際に、多忙さや人間関係などなら
精神疾患で休職している先生の数は
文部科学省の最新の発表では
年間6,500人を超えています。
もっと授業で勝負をしたい
授業力を磨きたい。
そんな思いから
私立小学校へ場所を変えることを決めました。
・
・
・
「決めました!」
といっても
まず、募集もされていない…!!!
でも、授業で勝負したい!!
という思いが揺らぐことはなく
希望する小学校の校長先生へ電話しました。
「うちは募集していないから」
と断られましたが
何度か熱意をお伝えしたら
「一度会いに来てください」
と言っていただき
試験を用意してくださいました。
試験は、「面接」と「模擬授業」。
人となりを知る試験と
先生方の前で授業力を測る試験でした。
子どもたちへ自分のできることを
自分の魅力を自分の考えを
言葉や表現で伝えきることを
求められました。
•どうして私が子どもと関わる仕事がしたいのか
•どんな経験をしてきたのか
•どんなことを子どもたちへ伝えたいのか
問われて、夢中で語ったことだけはおぼえています。
私は夢を与えられる大人でありたい。
私自身が不器用な子どもだったから
分からない気持ちが痛いほど分かる。
不思議なことに
子どもがどこで躓いているのかも
手に取るように分かり
分からないことが分かるようになる
分かるようにようにさせられる。
分かった感動を与えられる。
経験から言葉を紡ぎ、伝えると…
一緒に働こうと
手を差し伸べてもらい
私立小学校で働く
その門を開けてもらうことができました。
教科担当制だったこともあり、とにかく授業準備に集中できる日々!!
子どもたちを喜ぶ授業を考え
「そーそー、これこれ、
こんな勉強がしたかったんだ✨」と
子どもたちに輝く笑顔で言われた時には
何よりの喜びでした。
・
・
・
一方で、学校では決まった
カリキュラムがある。
学校の勉強のスピードに
ついていけない子や
私立小学校に通うだけあって
受験にクリアしてきた子どもたち。
実力が十分にあり
時間を持て余してしまう子も見ました。
そして、小学生ながらにして
中学生のような中間期末試験のある学校。
不思議なことに
どの教科でも高得点が取れる子は
読解力(文章を読み取る力)が
高いことが分かりました。
全ての学びの土台
「文章を読み解く力・書く力」は
どの教科においても大切だけど
学校では力を入れきれない。
だったら教室を創ろう
と学び舎Cotobacoを開くことを決めました。
校長先生からは
専任への期待をしていただきました。
専任を選んでいれば
収入は倍以上
でも、教室を開きたいという理由から
お断りして
非常勤講師として働くことを選ました。
2年間ほど
週5日午前中4時間学校先生をやって
午後は、教室を開講。
そして、契約期間満了までしっかりと働き
感謝をもって学校を退職。
その年に、結婚をして
Cotobacoの経営と指導に専念することに
しました。
・
・
・
学び舎Cotobacoを開いて
これまで総勢60名以上のお子さんが
通ってくれています。
一人ひとりが目的をもって通っていますが
コトバでミライを切り拓いた
りっちゃんという女の子がいます。
りっちゃんは
コロナがきっかけで
家に閉じこもるようになりました
友だちとの会話も減り
笑顔も少なくなって
私には「おとなしい子」に見えていました。
そんなりっちゃんから
6年生の6月に相談を受けました。
「中学受験がしたい。
どうしても入りたい学校がある。」
その学校は、偏差値56。
当時彼女が受けた模試では38。
受験まで残り半年。
だれに言わせても
「今からではムリ」という見解。
しかし、りっちゃんは
どうしてもそこに入りたい。
という強い希望から
作文を用いた受験で
チャレンジすることにしました。
・
・
・
りっちゃんは
5歳からシャチが大好きで
シャチに癒され救われてきた彼女は将来
「オルカセラピスト」
として起業をするという夢を抱き
保育園の年長さんから研究を重ね
シャチと泳ぐことを夢見て
最年少でダイビングの資格を取得していました。
憧れの学校に入れれば
中学生から起業ゼミで学べる
そんな環境で学ぶことを実現するために。
りっちゃん・お母さん・私の
三人四脚状態で臨んだ試験は
見事に合格!!
りっちゃんは今
夢の切符を掴み
憧れの門をくぐって通学しています✨
それだけでなく…
磨き上げたコトバの力を生かして
日本語でも英語でも
レポートを書けばA評価をもらい
委員会でプレゼンをすれば
彼女の想いに魅力を感じた
先生や高校生からも
委員長として推薦される
そんな日々を過ごしています
・
・
・
私は、自分自身が体験してきたコトバの力や
子どもたちがコトバによって
夢を実現させていく姿を見るたびに
コトバが人を打ち負かす凶器ではなく
人を支えるお守り
勇気となってほしいと願っています。
今では小学生だけでなく
高等専門学校や専門学校でも
言葉で夢を叶えることができるように
読解力に特化した授業や
レポートや小論文、就職試験対策を
しています。
そして、この夏からは満を持して
オンライン作文講座を開講。
長崎を皮切りに
全国の子どもたちへ指導を開始しました!
コトバに磨きをかけていき
自分のコトバでチャンスを掴み、夢を叶え
自分の世界を広げられる人を増やす
そんな子どもたちをこれからも
育てていきたいと思っています^^
・
・
・
今日もご覧いただき
ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?