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太陽がどうのぼるか教えよう【エミリ•ディキンスン#318】

この世には拒んでも絶対にやってくるものが三つある。税金、NHK、そして加齢である。

NHKが税金かどうかはさておき、子どものうちは柔らかくて元気で無垢である。歳を取ると肌のハリがなくなり、シワの数や深さが増し、眼は落ちくぼみ、首にもシワがよってくる。いやなこった。エミリ•ディキンスンの次の詩を謳えば加齢は防げるだろうか?原文を挙げよう。

I'll tell you how the Sun rose —
A Ribbon at a time —
The Steeples swam in Amethyst —
The news, like Squirrels, ran —
The Hills untied their Bonnets —
The Bobolinks — begun —
Then I said softly to myself —
"That must have been the Sun"!
But how he set — I know not —
There seemed a purple stile
That little Yellow boys and girls
Were climbing all the while —
Till when they reached the other side,
A Dominie in Gray —
Put gently up the evening Bars —
And led the flock away —
(#318)

次はことばのデザイナー(筆者)の拙訳である。

太陽がどうのぼるか教えよう
ひらりとリボンのように
尖塔がアメジスト色の空を泳ぎ
朝の知らせは駆けまわるリスのよう
丘は影帽子の紐をといて
むく鳥がくー!くー!っと
私は自分にやさしく言ったー
それが太陽でしたわね?
でも太陽がどう沈むか知らない
紫色に染まった踏み段を
黄色い少年少女たちが
ずっと越えようとしていた
向こう側につくまで
灰色の先生が
夜へのゲート棒をあげて
群れを追いやる

この詩は前半8行目までが朝、後半8行で夜のことを書いている。さらっと読めばさらっと読める。朝は美しや、夜は怖いやと。そこには2つの読み方がある。一つは「教会」、もう一つは「加齢」である。

Steeplesとは教会の塔のことだ。それらは朝に明るくなると消えると謳っている。Dominieは校長先生でもあり牧師でもある。ズバリと牧師とは書かなかったのだが、彼女が行くことを拒絶した教会に入ると「朝が夜になる」という思いがこめられている。

もう一つは加齢だ。Helen Vendlerは『Dickinson』の中でこの詩の評価を次のように締めている。

Purple can never return to Yellow, and that a gentle fantasy is no substitute for tragic reality.(紫色は黄色には決してもどらない。優しいファンタジーは悲劇的な現実を覆い隠すことはない)(同著 P66)

誰もが一日ごとに老いのゲートに向かう。死の世界への踏み段を越えていく。それは悲劇だろうか?だが死を考えることは生を考えることと同じだ。死を前にした人はもちろん、さしあたり病がなくても、皆いつか死ぬので、いかに生きるか考えねばならない。まして高齢になれば必死に考えなくてはならない。

ひょっとしたら引きこもったエミリも、年寄りめいた気分になって、そんなとき落ち込まないように、ゲートに追われるのではなく自分で道を決めよう、と思ったのではないか。心の加齢を防ぐにはアートに身を捧げるべし、である。

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