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われらの人生はスイス【エミリ•ディキンスン#80】

スイスを見たことがなくてもスイスの詩は書けるだろうか?

詩人エミリ•ディキンスンは19世紀の人だ。当時は飛行機はなく、まだ船の航海がメイン。米国東部から西部への旅行は、今でいえば日本からアフリカに行く感覚だったかも(ちとおおげさか)。東部のアマーストの自宅にひきこもったエミリにとって、ヨーロッパはどんな存在だったのだろうか。アマーストの地は“ニューイングランド”と呼ばれていたが、“旧イングランド”はどんな土地だとイメージしていたのだろうか。

それもいずれ解明していきたいが、今回はスイスがテーマの詩だ。

Our lives are Swiss —
So still — so Cool —
Till some odd afternoon
The Alps neglect their Curtains
And we look farther on!
Italy stands the other side!
While like a guard between —
The solemn Alps —
The siren Alps
Forever intervene!
(J80)

我が人生はスイスである」スイスをうたっているようだが、どんな詩なのだろうか。stillは静かに、Coolは冷たいアルプスのイメージだろう。ある午後の日まで、アルプスはカーテンをneglect=気にとめなかった。どうやらカーテンが開いて見ると、イタリアが向こう側にある。solemn(くそまじめな)アルプスはスイスからの眺望、siren(魅惑的な)アルプスはイタリアからの眺望なのだろうか。

次の地図は1870年代のヨーロッパの国々である。スイスとイタリアの間にはアルプスがある。

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出典:https://sekainorekisi.com/download/1870年代のヨーロッパ地図/

この詩を読み解こう。抽象的には考えない。詩人=創作者には具体的な動機が必ずあるからだ。何がこの詩をエミリに書かせたか?それを考えるポイントは、

エミリはスイスをどうやって見たか?

である。見ないものは詩にすることのはむつかしい。終生海を見なかった彼女は海の詩を幾つも書いたが、それだって絵や写真を見たはず。やや大胆な仮説だが、彼女はスイスを雑誌『The Atlantic』で読んだのではないか。

『The Atlantic』は1857年にボストンで発行されだした“開明な”雑誌である。奴隷制度反対、民主主義、ライフスタイルがテーマのこの雑誌を、エミリは購読していたという。これは想像だが、そこにスイスの記事があったのではないだろうか?

たぶんこんな記事だ。1850年代まで、スイスはかつて単なるヤマだった。冷たい高い山脈だ。だが1860年代に写真家ウィリアム•イングランドが、アルプス各地を旅して、写真撮影をした。その牧歌的なイメージを英国のパノラマ写真館で展示した。それを見た英国人はスイスを「観光地」や「登山道」として初めて認識し、スイスに観光業をもたらした。スイスブームがあったのだ。

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出典:ウイリアム•イングランドの軌跡を追って

Atlantic、あるいは新聞で、エミリはスイスのことを知って、それでこの詩を書いたのではないだろうか。描きこんだのは人間の二面性である。詩を訳してみよう。

われらの人生はスイス
ある昼下がりまで ただ
冷淡でもの静かだった
ベールを脱いだアルプスを
のぞいてみよう!

イタリアは向こう側に!
遮断されていたのだ
くそまじめなアルプス
魅惑的なアルプス
その永遠なるせめぎあい

(訳:ことばのデザイナー)

人生とは冷たい日々と熱い日々のミックスである。夏山は牧歌的だが、冬山は人を寄せ付けない。その二つの生が対峙し、混じり合い、我々は生きている。詩人はそんな人生観をスイスに描いたのではないだろうか。

思へば、僕の人生は冷たい、悶々とする日々が長大である。果たして牧歌的なシーンは来るのだろうか?今日はヤマザキのスイスロールでも買ってこよう。ああ!現実は厳しい……

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