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箱の中とイマジネーション

本当にまっさらな状態の白い紙の上では
なかなか発想が浮かばないものだ
逆にある程度の条件や制約があるほうが
アイディアが出てくることが多い
時間、場所、背景、資源..
縛りを踏み台にすると、頭のなかでイメージを繰り出しやすいからであろうか

大吉原展に行ってきた
袋を持つ手がしびれるくらい、ずっしりと重い図録まで購入して帰路につくほど大変おもしろい内容であった
(展示の内容は会場でご覧を、老若男女みなさんじっくり観てました)
吉原という地がなにを目的として、
そのためにどんな犠牲が払われてきたかについては
知っての通りであると思う
一方で、江戸三代娯楽とまで数えられ、
その独自の慣習や風俗、文化を持ってして、現代まで伝わる言葉や芸術、情緒などが形成された舞台でもあった
吉原を形作った経緯、地形、独自のシステムを知ると、なるほどその理由がよくわかる
類を見ないその箱は、数々のルールで壁を作り、その中に正も負もごった煮で、人間のあらゆる欲や憧れを詰め込んでいたのだろう
それがろ過され、洗練された文化や風俗として形となった
例えば、中通りの桜
桜の咲く時期のみ移植し、名所と言われるほどだったという
客を呼び込むプロモーションの一貫ではあるだろうが
妓楼や茶屋が分担して結構な金額の費用を負担していたというのだから
それを毎年続けることは大変だったであろう
それでも年中行事のひとつとなったのには、外の世界に焦がれる遊女たちのなぐさめでもあったのだと思う
自分の足で歩いて門の外にすら出られないという牢獄のような環境で、外に出て四季を味わいたいという人間らしい欲の発散が、そのような企画につながったのだろう
建造物、衣服にしても設立初期から華美にしてはならぬという縛りがあり、
建前上、それを守っていると示すための工夫から独自のスタイルが生まれた
また、来年の大河の主役にもなった蔦屋重三郎は、寛政の改革で厳しい処罰を受け、がんじがらめの規制のなかにあった
しかしそこをくぐり抜け、浮世絵の発展へとつなげている
彼の理想への欲求が導いたのだろう

吉原という箱は人道的に考えると決していいものではなかったが
箱の中の欲求が混ざりあい、発露し、イマジネーションを産むには絶妙な環境であったのだろうと考える

縛りのある箱の中の欲求が強いほど、より精度の高い企画が生まれる
…ような気がする、というメモ


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