鬱と向き合う

 そうかあれは鬱状態だったのかと確信を持てたのはつい最近である。それまではネットの鬱診断を試しては、鬱と出ているのはきっと自分への甘えだ。と認めてこなかった。話に聞く鬱の人々があまりにも遠い存在に思えたから。
 しかし、ある時ドラマの主人公がベットに沈んで動けなくなる、それはいつも唐突にやってくる。そう、モノローグが流れた。その演技はまさしく自分そのものだった。私はこの状態何なのかこの物語を見ることでわかると期待していた。そして躁鬱という言葉が飛び込んできた。
 私は泣いていた。ストン何か心のなかであるべき場所へ積木がハマる音がした。

 鬱状態は弱さだと認められずにいた。でもそれは違う。鬱状態はいわば災害のようなもの。自分の力とは全く別なもの。
 一度でも自然の恐ろしさを知った人は備えることの大切さを知る。私も未だにあの春の経験を覚えている。だが、人生のほとんどの時間、その事は忘れている。忘れることは救いだと思う。災害の場合、自分を囲む環境が一度にこわれ、そして環境が整う事と一緒に心も整い正常に戻っていく。
 しかし、鬱状態はたった一人の災害だ。周りに大きな変化はない。自分一人で向き合い苦しみそして立ち直っていかなければならない。それでも生き続ける人々のなんと強い事か。どうか抗う事ができない孤独な災害に今も向き合う人々の明日に光を。

それは誰のせいでもない。

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