名前のない育事 #39

子がお熱を出して、看病の為仕事を休む。

母は山へゴルフへ行き、妻は川の近くにある職場へ賃労働に出かけていった。

僕のワンオペ、である。

これまでも子の事情で休むことはあったが、妻なり母なりが居り、子と丸一日二人きり、というのは今回が初めてであった。

これが想像以上に過酷で、妻の有り難みが身に沁みる。
というのは一晩経って振り返ってみればの話で、ワンオペ真っ最中のときには、そんな事へ想いを致す余裕も無く、クタクタに草臥れる。

一体、世の多くの女性たち、とりわけシングルの人びとは、どうやって遣り繰りしているのか。

一日中面倒を見てくれる保育園はほんとうに尊いな、いやお金の貰える仕事だったら耐えられるのだろうか、とはいえこの疲労感は如何ともし難い、などと、子が昼寝をして暫し休息、と云っても炊けたお米をラップに包みながら、疲弊した頭でぐるぐる考える。
どうせ碌な結論へ辿りつかないのだから、こういうときは考えてはいけない。

子の遊び散らかしたくるまの玩具を無心に片づけていると、不図、手応えに違和感がある。

ランボルギーニのネジか緩んでいる。

ランボルギーニは、何処かの児童館のリサイクルコーナーにあったのを、子が見つけて気に入り、ご自由にどうぞ、とあって持ち帰った玩具だ。

すでにフロントガラスは割れ、使い古されていたが、他の自前のトミカなどよりもサイズが一回り大きく、いまでは子の一番のお気に入りのくるまだ。

そのシャシとボディを繋ぐネジが、時たま緩む。

一度など外れバラバラになっている事もあった。
やはり子の気に入り録画を繰り返し観ている『解体キングダム』と云う番組に、自動車解体の回があって、クラウンを器用にバラバラにしていくのを、子は食い入るように観ていて、そのつもりでランボルギーニも解体したのかもしれなかった。

ネジが一本どうしても見つからず、無くなっちゃったのかなそのうち出てくるだろ、などと妻と話していたら、夜寝る段になって子の鼻の穴から発見されたこともあった。

飲み込みでもしたらタイヘンだ、と云う事で、以来、度々ネジを締め、マスキングテープで固定している。

そのネジがいままた緩んでいる。

ドライバーを出してきて、固く締める。

締めながら、これは名前のない育事だな、とおもう。

名前のない家事、というのがある。
シンクに詰まったゴミを取るとか、ゴミ袋を掛け替える、とか、シャンプーや野菜を補充する、とか云った、家事にまつわる瑣末な事柄。名付けるほどもないが、誰かがやらないと生活の滞る重要事だ。

ランボルギーニのネジを締める、なんてのは正に名前のない育事だな、とおもい、ひとりフッと笑みをこぼす。

考えてみれば育事にはこの手の事柄の多いことに気づく。

明確に名付けられているもので、ぱっと思いつくのは「寝かしつけ」「読み聞かせ」くらいか。

ご飯を食べさせる、とか、風呂へ入れる、とか、オムツを替える、とかはぜんぶ動詞だし、それに付随した些事はますます名付けられていない。

何故だろう。
男性が参加していないからだろうか。或いは逆で、言語化されていないことが女性だけに担わされてきている一因になってしまっているのだろうか。

育事にかぎらず介護もそうだ。
ケアには言語が足りない。
名付けられていないから、問題として認識されない。
男は莫迦だから、言われないとわからないのだ。

いやでも、とワンオペで疲れ果ててぼんやりした頭の内から声が聴こえてくる。

毎日まいにちヘトヘトに疲れ果てていては、ことばを搾りだすゆとりさえないのだけれど。

僕は考えるのやめ、ランボルギーニのネジがしっかり締まったことを確認すると、ドライバーを抽斗へ仕舞う。

階上から子の呼ぶ声が聞こえる。
お昼寝から目覚めたらしい。
休憩終わり。
休憩? ぜんぜん休めてはいないのだけど。

ハイハイ、いま行きますよ。

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