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グラフィックデザイナー48歳。これまでを振り返る。 その2

やっとデザインが学べる!大学時代

宝塚造形芸術大学は新しい学校で、4期生としてビジュアルコースに入学。クラスは25人くらいで、同じメンバーで4年を共にします。高校生までとはちがい、みんな絵や物作りが好きで得意な人ばかり。そんな中で絶対にみんなに負けたくない!と、とにかく実技だけは人一倍頑張りました。中には画力がずば抜けた人、センスがずば抜けた人、繊細な絵を描かせたらかなわない人、先輩にも凄い人がいたり毎日が刺激に溢れていました。小さな大学だったので、コース、学科をまたいで交流があり、色々な影響を受けたと思います。英語やドイツ語は散々で、スケボーばかりしてサボっていたけど(どでかいガラスを割ったこともある…)、実技の課題だけは誰よりも長く学校にいて作業していました。夏休みもほぼ毎日学校に行って作業したり。今のようにMACなんて学校に無かったので、基本はB1パネルにケント紙を水貼りしてデザインは手描きかシルクスクリーン。キャッチコピーなどの文字もレタリングするし、写真を使いたければ、バイトして買ったエアブラシを使って、写真のように見えるスーパーリアルイラストレーションを描くといった具合。

下の写真が3回生の時に制作したB1ポスター。図鑑や写真集を見ながら筆とエアブラシで描いています。テキスト部分はシルクスクリーン。

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充実した4回生から就職するまで

4回生になると卒業制作が始まり、卒業制作展全体の中から色々な賞がもらえるのですが、一等賞の「卒業制作展賞」を俺が獲るから!とクラスのみんなに宣言して自分を追い込みB1パネル8枚を繋ぎ合わせた大画面にトリックアートをテーマに作品を作りました。大学には各コースごとに使える決まった部屋があったので、パネルや画材を広げたままにできて、空いている時間はそこでずっと作業を続けられたんですよね。周囲で仲間がどんなものを作っているのかが見れたり、色んな話しをしたりする中で刺激を共有できたのが良かったのですが、今の大学ではそのような部屋が無かったりするので、各自家に持ち帰って作業ということが多く、ちょっとかわいそうに思ったりします。話が逸れましたが、宣言通り「卒展賞」を獲ることができました。その時のやりきった充実感は半端なかったです。

下の写真が卒業制作作品。B1を8枚 約1500×4000mm
周囲の額はスチレンボードに描いたものを貼っている。
正面から見ると風景がですが、右側の建物は錯覚のトリックを取り入れただまし絵になっている。エッシャーはモノクロで表現したが、あえてカラーに挑戦。風景は夜空に太陽、昼間に赤い月、夜配色を使った不思議な世界を表現。作品の掛かっている壁際から見ると、絵が圧縮されて、スケボーで飛び跳ねる人と、”illusions"の文字が見える仕組み。

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4回生の秋頃だったか、宝塚市制40周年記念事業のシンボルマークデザインの全国公募があって応募してみたことがあります。この頃もロゴを作ることはすごく好きで、ちょっとでも引っかかってくれたらいいな、くらいの軽い気持ちで取り組んだのですが、マーカーで手描きしたそのデザイン案がイベント会場で使用されているシーンがリアルにイメージできて、もしかしたら採用されるんじゃないか?と淡い期待をしていたら本当に採用されたんですね。この時の経験で、自分はロゴのデザインが得意なのでは!と自覚するようになりました。記念式典では、男子禁制の宝塚歌劇場のステージに上がって表彰されたり、来場していたお客様全てが、僕がデザインした手提げ袋を持っている情景とか、街中にロゴお披露目のポスターがあったり、市報の表紙を飾ったり、新聞で紹介されたりと、大学生の自分としては凄い経験をさせていただきました。そんなこともあってか、卒業式では答辞まで読むことに。なんとも華々しい大学4回生でした。

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大学時代の4年間はコープ神戸の野菜売り場でアルバイトをしていて、売れ残りのバナナを売り切るために値下げのPOPを勝手に作ったり、エンドに飾る春の演出をデザインさせてもらったり、売り場を飾るPOPの効果などに興味があったこともあり、スーパーや量販店の売り場のツールを企画デザインする会社に就職が決まりました。社長面接の時、ポートフォリオとB1パネルの現物4枚ほどを担いで雨の中行ったことを思い出します。お陰で4回生の7月に内定し、大学でも一番早く就活から解放されたのでした。

次回は会社員時代につづきます。

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