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嵐が私に教えてくれたこと

①こう見えて(?)そこそこ嵐ファンです。
新曲Turning Upのリミックス版がつい最近リリースされてMV見たけど、良い意味でどんどんジャニーズぽくなくなってきたな。

あれこれあってスマップが解散して、3人がジャニーズ事務所やめて新しい地図始めて。
ジャニーさんが亡くなって。
嵐の活動休止が決まって。

こういう、「トップ」に物理的に地殻変動が起きて人の配置が抜本的に変わることで、はじめて訪れる変革って確実にあるよな。
いくら時代が変わっても、「その位置にその人がいたら変われない」っていうことってあって、ある時代が終わる=その人がその位置にいなくなる、ということが質的変化にとってどうしても必要なことがあるというか。

誰かをあるポジションから引き摺り下ろそうとか考えるのではなく、その「時が来る」のを待つように、自分のあり方をあたためておくと、人間の寿命や時代の力で、ポン、と動く時がくるというか。そういうもんなんだなーって、なんかすごく昨今のジャニーズから学んだ。

②活動休止会見に感動して、おもわずにわかファンクラブ会員になってしまったことを白状します。その上で、昨年はうっかりコンサートのチケットの申込期限に間に合わず応募すらできなかったので、今年は絶対応募しようと思っています。そんなにわかファンではありますが、そうさせるほどに、あの会見は感動的でした。嵐という存在が民主主義を体現していることに。
しかしその一方で、私は個人的にはオリンピックに反対だし、嵐の存在が「体制側」のアピールに使われている空気を感じると、複雑な気持ちになったりします。

そんな時、10年前の私だと
「あ〜嵐ってねぇ。良いとこまでいってんだけど、なんか残念なのよねぇ」
ってどこの誰?ていう立場からジャッジしていた。

だけどもだっけっど(突然小島よしおでてきた)

今の私だと、
「そこは複雑な気持ちだけど、でもやっぱりさ、そういう複雑さもはらんでるあの人たちが民主主義を体現するようなあり方でチームでいるっていうその、一枚岩じゃないかんじを楽しむ。違和感に蓋をして無理に応援もしないし、見たくないところは見ないけど、その分見たいところを心から応援していく。」
みたいなかんじに受け止められる。
嵐っていうのは、そういう「一枚岩じゃない人間とかこの世」の象徴みたいな位置付けで、ちょっとしたモヤモヤ発生時には何かと参照して軌道修正に役立てているところあります。

③そんなファンクラブ会報のある企画でメンバーがスポーツテストして体内年齢はかるっていうのがあり、ゲームオタクで知られるニノの体内年齢が50代っていう結果に戦慄が走り、筋トレ続けようってモチベーションになってる。

(Tokyo JAPAN)