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コスモテックという、ある箔押し屋の話

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十数年をコスモテックの営業として過ごした僕(青木)の思い、お客様・職人・コスモテックへの感謝を言葉にしたい。今だからこそ伝えられることがあるのではないだろうかと思い立ち、僕なりの… もっと読む
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#コスモテック

「箔押しのコスモテックを見つける」

コスモテックの青木です。 この記事でご紹介するのは、箔押し印刷会社 コスモテックが取材していただいたり、加工のお手伝いをさせていただいたり、制作過程で何かしらの接点があった書籍、新聞、テレビ番組などです。 今から約20年前、僕は町工場の雰囲気漂うコスモテックの門を叩きました。その頃は取材を含めメディア掲載、書籍のクレジットとして載ることもゼロでした。 20年かけて少しずつ今のコスモテックへと変化し、振り返ればこんなにも沢山の出会いに恵まれ、まるで夢のようです。 個人出版

「ふとした結びつき、静かなやさしさ」

コスモテックの青木です。 私がコスモテックの門をたたき、それから数年後の2005年に立ち上げたコスモテックの箔押しブログ 『 ようこそ!行列のできる箔押し印刷工房へ 』 はおかげさまで まもなく開設20周年という節目をむかえようとしております。 2024年になり、じんわりとうれしくなる出来事が2月に同時に立て続け3つも起こるとは驚きでしたので、 note にてご紹介させていただきます。 ◉ おてんとうさまは見ている3つの出来事が 「 少し前のことなのにも関わらず、ふとし

「 立花文穂さん 『 印象 』 図録、箔押し加工立ち会い(2023年2月27日) 」

コスモテックの青木です。 今回、アーティスト 立花文穂(たちばなふみお)さんの図録 『 印象 』 の表紙への箔押し加工でお手伝いさせていただきました。 ◉ それは突然の出来事立花文穂さんは、前田が女子美術大学に在籍していた時の恩師です。 前田は普段、大学時代の時の話をしてくれることがよくあり、その時必ず立花文穂さんの製作物や作品について、私も詳しくなってしまうくらい、前田がひときわ熱く語ってくれるのです。 それは突然の出来事でした。 なんと立花文穂さんから今回の図録 『

「香港のデザイン誌 BranD Magazine に掲載されました」

コスモテックの青木です。 今回、香港から刊行されている、世界中のブランドデザインとブランディングコンテンツを探求するデザイン雑誌 『 BranD Magazine 』 にコスモテックがお声がけいただき、掲載されております。 テーマは毎号ごとに異なり、コスモテックは今回 「 デジタル時代の印刷の力 」 を特集する号で、大変光栄なことに 『 BranD Magazine 』 よりお声掛けいただきました。 ご紹介していただいた記事は、コスモテックの現場リーダー 前田瑠璃が大き

「一つ一つ積み上げること」

気付けば、僕( 青木 )がコスモテックの箔押しブログを立ち上げてからちょうど15年経ちました( 2005年ブログ開設 )。 おかげさまで、まもなくブログは15周年で総記事数2000という数字が見えて参りました。 記事の一つ、一つはそれぞれの瞬間では小さな出来事かもしれません。 ただ、年数をかけてコツコツと積み上げていくことを繰り返し、繰り返し行うことで、次第にそこに何か意味のようなものがひょっこり顔を出すような気がしています。 【 15周年 】 2005年 [ 開設 ]

「『 印刷加工連 』が生まれる夜明け前」

今日は2019年9月22日。ちょうど7年前の今日、2012年9月22日は、印刷加工連(※)として THE TOKYO ART BOOK FAIR に初出展した日です。 印刷加工連の発足は2012年。 お披露目を兼ねた初出展のイベントとして THE TOKYO ART BOOK FAIR を選びました。今日でその日から、ちょうど7年の月日が流れたのかと考えると、とても感慨深いものがあります。 ※ 印刷加工連は6社から成るグループ( 篠原紙工・小林断截・鈴木製本・東北紙業社・

「『 編集者 柿内芳文さん 』と一枚の名も無きポスター」

「 さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 」「 嫌われる勇気 」「 ゼロ 」「 漫画 君たちはどう生きるか 」など有名書籍を数多く手掛けていらっしゃる編集者 柿内芳文さん。 2019年7月25日、場所はコスモテック。 箔押しの匠 佐藤勇が押した一枚のポスターを、柿内さんに直接手渡しで差し上げました。これは僕の念願でもありました。 廃材であるボール紙に青・赤・黄・黒箔をCMYKに見立て、匠が感覚のままに、無作為に箔を押しまくった、名も無き一枚のポスター。 かれこれ5年程前に、ブ

「『 デザインのひきだし 』と 編集長 津田淳子さん」

コスモテックの変革の歴史を語るにあたって、デザイン書籍 『 デザインのひきだし 』、そしてその編集長である津田淳子さんとの出会いを語らずにはいられません。 コスモテックで加工のお手伝いをさせて頂いた、 『 デザインのひきだし32 』の表紙。 工業用包装用紙への全面エンボス加工。 コスモテックがグラフィックデザイナーや美大生などに周知されるようになったのは 『 デザインのひきだし 』 のおかげ、と言い切れるくらい、非常に大きな影響を与えた存在であり、それは今も変わりません。

「伝説の箔押しマスキングテープ『 ナスカの電子回路 』の衝撃」

皆さんに質問です。「 印刷会社・加工所・紙屋さんなど印刷業界の会社で、あなたの知っている・思い浮かぶ会社名はありますか? 」 恐らく、ほとんどの皆さんはピンと来ないのではないでしょうか。 僕もコスモテックに勤める前はそうでした。 印刷物は僕たちの日常生活の中に溢れていますが、それらがどこで印刷・加工されたものなのかは 『 興味がない 』『 知る必要がない 』 情報であることがほとんどです。例え、業界内で知名度が高い会社であっても、一般消費者の皆さんは見たことも聞いたことも

「現場リーダー 前田瑠璃」

僕がコスモテックに入社してかれこれ16年の月日が流れようとしております。時代は、平成から令和へと移り変わったところです。 コスモテックのここ数年間で、僕が一番嬉しかった出来事があります。 2019年4月、平成の終わりを間近に控えた春に、コスモテックの現場をまとめる役割が、箔押しの匠 佐藤勇から、前田瑠璃に引き継がれました。 それは新元号 令和に変わる、ちょうど一ヶ月前の出来事でした。 前田、Chim↑Pom展覧会「 グランドオープン 」 ANOMALYにて 工場をま

「日本一をめざすこと」

僕がコスモテックに入社したての時、さかのぼること15年ほど前ですが、箔押しの匠 佐藤勇と会社帰りにお酒を呑む機会があり、僕も匠もほろ酔い気分で過ごしていた時の一言が今でも忘れられません。 箔押しの匠 佐藤は決まって呑みの席ではウイスキー。大好物! 「 青木、日本一をめざせよ。 」 僕はその時酔っていたし、話の前後ははっきり覚えておりませんが、その強烈な一言が今も胸に突き刺さってます。 入社当時は人も少なく、機械は老朽化し、経営的にも下向きのまずい状況でした。毎日を乗り

「ある何気ない一日」

15年近くコスモテックで働かせて頂き、何度も思い出す 「 ある何気ない一日 」 の出来事に気がつきました。 もう何年前のことだか正確には覚えておりませんが、季節は秋から冬へと移り変わる頃のことでした。その時期、年末を控えて現場仕事が本当に忙しく、箔押しの匠 佐藤が連日会社に泊まり込むことがありました。ある日、自分の仕事を終えた僕は、何故か匠と一緒に会社に泊まることを選んだことがありました。 箔押しが、押しても押しても終わらず。 職人でない僕が会社に残ったところで生産性があ

「ブログを始めて知った強みと醍醐味」

コスモテックには、ホームページがありません。 そして、会社案内の冊子もありません。 約15年前、僕が入社した当時のコスモテックは、お金がない・人も少ない危機的状況でした。そんな状況だったので、ブログを始めたきっかけも 「 お金がかからずに情報発信できるから 」 ということでした。 そんな中で2005年からスタートしたコスモテックのブログ ようこそ!行列のできる『箔押し印刷工房』へ。 は、実は今も全て無料のサービスを利用して運営しています。 ユーザビリティを捨てても開設し

「粉砕。そして新たな生きがい。」

さかのぼること約8年前。 今までブログなどでは一切語らなかった事実があります。 ( 今回の記事には生々しい表現があります。苦手な方はこの記事は読み飛ばしてください。 ) 僕がコスモテックに入社して一番つらかった出来事。 それは、まぎれもなく 『 箔押しの匠 佐藤勇の片手の指が、箔押し機で粉砕された日 』 のことです。 この出来事は、僕が死ぬまで忘れられないし、忘れてはならないことです。 当時使用していた古い箔押し機には安全装置がなく、一枚一枚の紙を手作業で機械にセットし、