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コスモテックという、ある箔押し屋の話

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十数年をコスモテックの営業として過ごした僕(青木)の思い、お客様・職人・コスモテックへの感謝を言葉にしたい。今だからこそ伝えられることがあるのではないだろうかと思い立ち、僕なりの… もっと読む
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#日本の匠

「箔押しのコスモテックを見つける」

コスモテックの青木です。 この記事でご紹介するのは、箔押し印刷会社 コスモテックが取材していただいたり、加工のお手伝いをさせていただいたり、制作過程で何かしらの接点があった書籍、新聞、テレビ番組などです。 今から約20年前、僕は町工場の雰囲気漂うコスモテックの門を叩きました。その頃は取材を含めメディア掲載、書籍のクレジットとして載ることもゼロでした。 20年かけて少しずつ今のコスモテックへと変化し、振り返ればこんなにも沢山の出会いに恵まれ、まるで夢のようです。 個人出版

「やるのか、やらないのか」

『 何事も挑戦するべし 』 という考えは、僕が箔押しの匠 佐藤勇から学んだ大きなことの一つ。紙に箔を押すことも挑戦と調整の繰り返しです。 「 図案が複雑過ぎて、箔押しの仕上がり予測がつかないもの 」 「 経験のない素材( 紙 )に箔押しする時 」など、 ドキドキする以上に 「 失敗したらどうしよう 」 という恐怖心が未だにあります。 例えそれが校正( テスト )だとしても、やはり怖いのです。お客様に喜んで欲しい気持ちが大きければ大きいほど恐怖心も膨らみます。 箔押しの匠

「ある何気ない一日」

15年近くコスモテックで働かせて頂き、何度も思い出す 「 ある何気ない一日 」 の出来事に気がつきました。 もう何年前のことだか正確には覚えておりませんが、季節は秋から冬へと移り変わる頃のことでした。その時期、年末を控えて現場仕事が本当に忙しく、箔押しの匠 佐藤が連日会社に泊まり込むことがありました。ある日、自分の仕事を終えた僕は、何故か匠と一緒に会社に泊まることを選んだことがありました。 箔押しが、押しても押しても終わらず。 職人でない僕が会社に残ったところで生産性があ

「粉砕。そして新たな生きがい。」

さかのぼること約8年前。 今までブログなどでは一切語らなかった事実があります。 ( 今回の記事には生々しい表現があります。苦手な方はこの記事は読み飛ばしてください。 ) 僕がコスモテックに入社して一番つらかった出来事。 それは、まぎれもなく 『 箔押しの匠 佐藤勇の片手の指が、箔押し機で粉砕された日 』 のことです。 この出来事は、僕が死ぬまで忘れられないし、忘れてはならないことです。 当時使用していた古い箔押し機には安全装置がなく、一枚一枚の紙を手作業で機械にセットし、

「ブログのテンプレートを変えない理由」

( この記事は、2017年12月28日のブログ記事に加筆・修正を加えたものです ) 2005年にブログを始めてから今までの13年間で、たくさんの出会いと別れがありました( 法人や団体、個人も含めて )。 その中で、あえてコスモテックのブログ のフォーマットは、開始からずっとほとんど変えないで居続けています。 変わらないもののあたたかさそれは、お店の暖簾( のれん )や看板と同じで、かつて出会った方々が 「 コスモテック、あれから変わらず走り続けているんだね 」 と時々のぞ

「はじまりはたった一冊から」

( この記事は、2017年12月28日のブログ記事に加筆・修正を加えたものです ) 「 コスモテックに入社したい! 」 「 コスモテックに仕事をお願いしたい! 」 という嬉しいお言葉を頂く機会が以前よりグッと増えました。 その多くの皆さんは 「 コスモテックのブログがきっかけ 」 と教えてくださり、更新にも熱が入ります。 新しい風はブログから吹いてくる今回は、そんなコスモテックのブログのはじまりについて書きます。 開設は2005年。 コスモテックのブログ 『 ようこそ!

「コスモテックという、ある箔押し屋の話」

僕がコスモテックという小さな箔押し印刷工房に勤めさせて頂き、十数年が経とうとしています。 入社してから、たくさんの人たちと出会い、そしていくつかの別れもありました。職人の多くは、もちろん職人ではない僕もまた年をとりました。中には、残念ながらお亡くなりなった方もいます。 十数年という年月は、長いようでいてあっという間です。 試行錯誤の日々の中、「 何を感じて・何をどのように実行に移すのか、それが全てでした。 」 たくさんの人たちとの出会いや支えなくしては、今こうしてコスモテ