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コスモテックという、ある箔押し屋の話

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十数年をコスモテックの営業として過ごした僕(青木)の思い、お客様・職人・コスモテックへの感謝を言葉にしたい。今だからこそ伝えられることがあるのではないだろうかと思い立ち、僕なりの…
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2018年5月の記事一覧

「箔標本と神村誠さん」

造形者のための箔標本 FOIL SELECTOR( フォイルセレクター )とコスモテックの歩みは、神村誠さんとの共同研究・共同作業の歩みです。 2011年5月 神村誠さんとの出会いまずは、コスモテックの代表的な箔押し見本帳として知られる、造形者のための箔標本 FOIL SELECTOR( フォイルセレクター )が生まれる前の話。 神村誠さんとの出会いは2011年5月までさかのぼります。 その当時、神村さんはデザイン事務所(現 NSSG)に在籍しつつ、自身のタイポグラフィを

「コスモテックのロゴとMilacle Deluxe」

シンプルで力強く、汎用性の高い、コスモテックのロゴを製作してくれたのは Milacle Deluxe の馬場宏介さん、岩原由佳さんのお二人( 2010年 ) 馬場さんとはじめてお会いしたのは彼がまだ大学生の時。 かれこれ11年前までさかのぼります。 彼が学生の頃( 2007年 )、卒業制作の箔押しでコスモテックに依頼して下さったことは、今でも嬉しく思っています。 なぜならば、コスモテックのブログも当時は今ほど情報量が多くなく、書籍をはじめとするメディア関連には一切掲載さ

「粉砕。そして新たな生きがい。」

さかのぼること約8年前。 今までブログなどでは一切語らなかった事実があります。 ( 今回の記事には生々しい表現があります。苦手な方はこの記事は読み飛ばしてください。 ) 僕がコスモテックに入社して一番つらかった出来事。 それは、まぎれもなく 『 箔押しの匠 佐藤勇の片手の指が、箔押し機で粉砕された日 』 のことです。 この出来事は、僕が死ぬまで忘れられないし、忘れてはならないことです。 当時使用していた古い箔押し機には安全装置がなく、一枚一枚の紙を手作業で機械にセットし、

「『 謝恩会 』という名の展示会」

平和紙業株式会社( 西谷浩太郎 )と有限会社コスモテック( 青木政憲 )、その周辺の方々の5年間を振り返る展示会『 謝恩会 』を開催したのが2014年( 11月~12月 ) 僕が平和紙業株式会社の西谷浩太郎さんとはじめてお会いしたのは2009年頃までさかのぼります。 まもなく10年の付き合いになるのかと思うと、感慨深いものがあります。 『 謝恩会 』 という名の展示会は、西谷さんと僕、その周辺のデザイナーたちの5年間の活動を振り返る展示会でした。 僕らが出会い、 「

「かけがえのない人と過ごす時間」

振り返れば、僕が箔押し印刷所であるコスモテックに入社して、早15年。 今だからこそはっきりと分かることは、今まで過ごしてきた年月や、コスモテックに信頼を寄せてくださるお客様、印刷加工業界を共に盛り上げている仲間、そこで腕をふるう職人たち、そしてコスモテックのメンバーと共有している時間は、かけがえのないものであるということです。 この15年あまりの間にも多くの職人が年を取り、残念ながらお亡くなりになってしまった方、体力の関係上引退を余儀無くされた方も多くいらっしゃいます。

「ブログのテンプレートを変えない理由」

( この記事は、2017年12月28日のブログ記事に加筆・修正を加えたものです ) 2005年にブログを始めてから今までの13年間で、たくさんの出会いと別れがありました( 法人や団体、個人も含めて )。 その中で、あえてコスモテックのブログ のフォーマットは、開始からずっとほとんど変えないで居続けています。 変わらないもののあたたかさそれは、お店の暖簾( のれん )や看板と同じで、かつて出会った方々が 「 コスモテック、あれから変わらず走り続けているんだね 」 と時々のぞ

「はじまりはたった一冊から」

( この記事は、2017年12月28日のブログ記事に加筆・修正を加えたものです ) 「 コスモテックに入社したい! 」 「 コスモテックに仕事をお願いしたい! 」 という嬉しいお言葉を頂く機会が以前よりグッと増えました。 その多くの皆さんは 「 コスモテックのブログがきっかけ 」 と教えてくださり、更新にも熱が入ります。 新しい風はブログから吹いてくる今回は、そんなコスモテックのブログのはじまりについて書きます。 開設は2005年。 コスモテックのブログ 『 ようこそ!

「コスモテックという、ある箔押し屋の話」

僕がコスモテックという小さな箔押し印刷工房に勤めさせて頂き、十数年が経とうとしています。 入社してから、たくさんの人たちと出会い、そしていくつかの別れもありました。職人の多くは、もちろん職人ではない僕もまた年をとりました。中には、残念ながらお亡くなりなった方もいます。 十数年という年月は、長いようでいてあっという間です。 試行錯誤の日々の中、「 何を感じて・何をどのように実行に移すのか、それが全てでした。 」 たくさんの人たちとの出会いや支えなくしては、今こうしてコスモテ