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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2020年6月の記事一覧

良心の呵責

ちいさな嘘はすぐばれる でかいホラは疑わしい ちいさな嘘には ちいさな良心の呵責が潜んでいる だからばれる でかいホラにはそれがない だから疑わしくてもばれない 大袈裟に誇張する過程で 良心の呵責は薄まっていき ホラができあがる頃には それも消えている ちいさな嘘は苦悩がつきもの 大きなホラには苦悩などない 呵責が有る無しが 幸せの蕾を膨らませる

夏草嬉し

雨が続くと洗濯物は乾かない じめじめっとして鬱陶しい 蒸し暑いので不快指数も上がる 梅雨の時期はどうも嫌われる でもこの時期を「夏草嬉し」と 表現をするところがある 雨は作物にとって恵みとなる 生育に欠かせない恵みの雨だ 作物は暮らしの糧となるので わかるけれども、それを そこら中に生えている夏草にも 心を寄せていうことはあまりない 「夏草嬉し」 伸び放題で邪魔な夏草も こんな表現にすると なんだか見方が変わる この続き雨でおそらく梅雨も明ける そこには生い茂った夏草

不安定な時代

青春時代の心は脆い 容易く一言で壊れる 心と心が一瞬で通わなくなる 昨日まで嫌いだと思っていた人が 急に気になりだしたり 息苦しさを覚えるようになる 青春は不安定だ 寂しさは言葉にならない 憤りは言葉より感情が先走る 告白はカタチにならない 露わな自分に気づいたとき 本当の自分が分離する 手探りな日常が重くのしかかる 青春はしんどい どこかで 分離した自分が交わる点があるのか 重なる点があるのか きらめく光の中で考え込む 悩む時間と体力だけはある 不確実な時代

星めぐりの夏

「星めぐりの歌」をご存知だろう。 宮沢賢治の作詞作曲の歌だ。  ♪あかいめだまの さそり   ひろげたわしの つばさ   あをいめだまの こいぬ   ひかりのへびの とぐろ   ・・・♪ この詞の「めだま」は眼のことではなく 星座のα星のこと。 だから、一行目は、   紅いα星(アンタレス)のさそり座 を意味し、三行目は、   青いα星(プロキオン)のこいぬ座 を意味している。 ただ、三行目はおおいぬ座のシリウスという 説もある。天文的にはこちらの方が合う。 さそり座は

嬉しいこと

嬉しいこと。 今日も朝日が昇ること。 嬉しいこと。 豆腐とサツマイモのお味噌汁が 美味しくいただけたこと。 嬉しいこと。 空気が清々しくて秋を感じること。 嬉しいこと。 実り多き秋にできると信じること。 嬉しいこと。 小学校の恩師が会いたいと言ってくれたこと。 嬉しいこと。 会いたい人がたくさんいるということ。 嬉しいこと。 叶えたい夢があるということ。 嬉しいこと。 子どもたちの未来を明るくしようと思うこと。 嬉しいこと。 友だちの幸せを願えること。 限界

焦らずやろう

何かに焦るとき それは結果が早くほしいとき それは何かを独り占めしたいとき それは誰かに先を行かれると思うとき それは欲しいものがなくなると思うとき それは誰よりも早く答えを見つけたいとき それは皆から置いてきぼりになると思うとき 考えてみればどれも独りよがり 本当に幸せを得るには程遠い。 幸せは一人でも感じることはできるけど 幸せは一人ではなし得ないものだから 焦らない、焦らない。

生命の奇跡と女性

母なる大地、母なる地球と言います。 宇宙も母です。どこにも男は出てきません。 子宮は宇宙にも例えられます。 その中で男の精子は我先にと競争し、 受け入れを待つだけなのです。 原始的にその時の記憶を外の世界、 社会に持ち込んでいるだけとも言えます。 その競争も母なる宇宙の中で生かされているに 過ぎないのです。 女性は体の中に地球を持っています。子宮です。 男はその宇宙を流れる流れ星みたいなもんです。 ほとんどは燃え尽きてしまいます。 隕石みたくたどり着くのは全体からみれば そ

SNSとの付き合い方

FBを続けるに必要なのは「スルー力」と、 いい意味での「鈍感力」かもしれません。 FBに限らず他のSNSでもそうだと思います。 書き込まれるコメントに逐一ナイーブに 反応していては心的にもちません。 それとFBのよい面として「修正力」も働くことです。 勘違いや誤った情報のシェアなどしたときに、 それは違うよ、元のソースはここだよと 訂正や修正を促してくれる人がいること。 またそれができる場であることです。 これが押しつけや間違った投稿やコメントしたことを 辛辣な言葉で言い

人間にとって進歩と進化

人間は「進歩する力」と「進化する力」を 持っています。 進化は環境適性をしていく力、 進歩は生きる力を積み重ねていく力です。 このふたつのバランスが人間を支えてきた と思います。 「自然を捉える力」はその両方の力には 必要なのではないかと思うのです。 いくら文明社会が発達しようとも 人間は季節のない社会では人間らしく生きられない 自粛生活や外出を極力控える生活をしてきた のであれば、家の周りの季節の変化を 肌身に感じたことでしょう。 これまで日頃感じなかった感覚を覚えた

言葉を発するということ

「自分が思う一言と相手が感じる一言は  深さも重みも違うものだ。」 ということを知っておく必要がありますね。 言葉の尺度は人それぞれに違うもの。 何気ない一言に救われることもあれば 深く傷つくこともある。 だから、言葉をナイフのように発してはいけない。 投げかける相手はいつも鎧を着けているとは 限らないのだから。

体調不良

梅雨寒が2日ほど続いたせいか、 ここ2日ほど、すこぶる体調が悪い。 腹痛が酷いのだ。 しかも頭痛付きときたものだ。 なぜか、こういう時に限って忙しい。 予定が被っており、資料作成など デスクワークが1日中続く。 疲労困ばいとはこのことだ。 体調が悪いので、 布団に横になりながら、 また起きて作業を続ける。 効率は当然悪い。 できることなら、ずっと寝ていたい。 天気予報では、梅雨寒も今日まで。 明日からは天気が良くなるそうだ。 体調もそれに合わせて良くなることを望む。 そんな

夏が笑う

葉っぱにのっかった雨粒 コロコロ集まって  あっちとくっつき  こっちを吸収 弾力のある大玉になったら ずしっと重みに耐えきれず 転がり落ちる 葉っぱが次から次へと弾いて 雨粒玉は 音楽を奏でるように 弾いて楽し気に笑う それを傍のぼくは 季節を丸めて見ている あぁ また 夏が笑う 梅雨に笑う

苔色

私は学生時代から10年ほど京都に住んだ。 京都がとても好きなのだ。 その理由の一つについて書いておく。 京都は苔の町でもある。 西芳寺(苔寺)は約120種の苔が境内を覆う寺 として有名だけどそれだけではない。京都の翠は 寺社の庭園、御所、鴨川沿いの草木だけではなく、 庭や小径の岩や石に覆う苔によるところが大きい。 五月雨に濡れた苔は最上の美しさを見せる。 深い森林の中でなくても京の町中でも 魅了される場所は多い。 私はこの苔のある景色がこの上なく好きだ。 苔といえば、世

拠り所になる

色のついていないモノトーンの部屋のような 僕の心の中にあなたは棲みついた スカスカだった空間が 色のついた時間で埋まっていく 胸を張って生きる時間がここから始まるように 僕が自分の弱さを認めることができた 容易くないことができたのは あなたが棲みついてくれたから 雨が降ろうが風が泣こうが あなたの笑顔と声は 雨が上がった空を信じさせてくれる 凪になった日向を思わせてくれる 遠くに離れていた季節を連れた巡り会いのとき 僕を外に誘う言葉を掛けてくれた 幾つもの色を載せたパレ