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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2018年12月の記事一覧

「ゆく年くる年」考

一年で一番「時間」について もっと言えば、「時間の流れ」について 考える日が大晦日の今日ではないかと思う。 それは「ゆく年くる年」の境にいるからだろう。 思うのだけれど、「ゆく年くる年」というのは 自分が居て、惜しげもない時間の流れがあり、 今年が行き過ぎ、来年がやってくることだ。 おかしな言い方だけど、自分は動いていない。 時間が流れているだけで、自分はただ そこに居て、それを感じているだけだ。 言ってみれば天動説のようなものである。 時間に対して受け身の印象ともいえる。

年惜しむ朝

2018年も残すところ今日を入れてあと2日。 今朝は晴天の日を迎えて朝陽を迎え入れた。 わが家は母屋の玄関を開ければ ちょうど朝陽が玄関を差し込む位置にくる。 元旦の朝陽が玄関にまっすぐ来るように この家は設計されたような気がする。 今日は晴天、風は強いが穏やかな日だ。 天気予報では曇ったり晴れたりの様子。 それでも年越しは太陽を拝めそうだ。 空気が冷たいから余計に朝陽の温かさ、 ありがたみが全身で感じられる。爽快だ。 ここにきて寒さが強くなる冬空でも晴れは嬉しい。 年の

「時を感じる」〜ゆく年くる年〜

一年で一番「時」というものを意識して感じるのは、 大晦日と元旦だろう。個人としては誕生日というのも あるが、それは個々の話だ。 原始、人間は太陽や月、星の巡りをみて時を知り、 時を感じていた。やがてそれは信仰とともに暦になり、 その暦を司る者が賢者として尊ばれ、 時には権力者をも動かしたのだ。 時間は人間が自然と生きていくために知る必要があった 不変の事象である。 最も古い学問の天文学と哲学はそこから発達した。 人間の節目は時の節目である。 人間が生きている時間(人生)

あれから2年 〜生きるということ

あれから2年経った。 2年前のクリスマスの夜に吐血して 救急車で緊急搬送され、ERで処置され、 そのまま入院。おぼろげな記憶の中で眠り 目が覚めれば病棟のベッドの上だった。 それから1カ月足らず入院治療をして 寒い冬の最中に退院した。 その後、療養のことや両親のこともあり、 生まれ故郷に引っ越すというライフシフトを 行い、大きな変化を経験した。 病気は一時のものではない。 なってみればわかるがそれは一生ものだ。 病気が完治することはあっても病根は残る。 生活習慣が変わらな

アフター・クリスマス

クリスマスが終わると一気に年末感が増す。 もう今年も残り一週間もないわけで それも無理はない。 切羽詰まった気持ちが勢いよく吹き出すからだ。 それまでは、クリスマスを楽しむことに 心は奪われていたのがよくわかる。 クリスマスのリア充は本来その喧騒とは 関係ないものだけど、煽られ感があり過ぎる。 それを楽しむというのもあるので 一概に悪いことと言うつもりはまったくない。 クリスマスソングに街並みのイルミネーションは この一瞬の物語には必要な舞台装置だ。 だけどもクリスマス・

まるいしかく

あなたは まるい  きゅうたいのような いきをはいた わたしは しかくい りっぽうたいのような といきをついた みているだけでは わからない ふれてみて はじめてかんじること あなたのいきは あたたかく わたしのといきは どこかさめている せなかあわせのおもいは  まるいしかく にぎやかな まちかどが しずかな よるにかわるころ すずのねといっしょに しかくい といきは  あなたと ふとんにくるまれて まるい ねいきをかいている

クリスマスの日に思うこと

今宵はクリスマス・イヴ。 クリスマスの日、何を祝うのか、 イエスキリストの降誕祭だけど、 キリスト教で最も重要なのは復活祭だそうだ。 クリスマスがその宗教性から離れて イベントになっていようが、 商業主義に乗せられていようが関係ない。 なんだかんだ言ってもクリスマスは楽しい。 家族や大切な人と過ごす愛の日との位置づけは 決して悪いものではない。 幸せなひとときを感じる日だと思う。 この日だけは争いもなく、怒りも悲しみもなく すべての感情の中で負の感情を持たない日。 そうであ

好き

寒くても晴れた冬空が好き。 冷え込んでいても澄んだ星空が好き。 クリスマスを彩るポインセチアの赤が好き。 しばらく会っていないけどあの人が好き。 忙しいけれど今日はゆっくりが好き。 運気上げ上げの人が好き。 自然と気配りができる人が好き。 自分の考えがきちんと言える人が好き。 大切なものに心寄せられる人が好き。 「ありがとう」と言える人が好き。 「ごめんなさい」と言える人が好き。 夢を持っている人が好き。 人の幸せを自分のことのように思える人が好き。 こどもたちのため

今でしか

今でなければ できないことがある 今でなければ 考えられないことがある それは不完全かもしれない それは未熟かもしれない しかし そこが大切なのだ 今の感性で つかむ情報がある 今の知性で 理解できるところを知る そうして 学びの歩みが刻まれる 刻まれた足跡は 着実に歩いた証となる 今でしかできないことがある 今でしかできないことをやれ

冬至の七草

明日22日は「冬至」 冬至には柚子湯に入るというのは よく知られています。 学生の頃、お風呂は下宿屋の近くに あった銭湯に行っていたのですが、 冬至になると広い湯船に柚子の香りが 広がる柚子湯になっていました。 これが結構楽しみで、 つい長湯をしていたことを思いだします。 ・ どうして冬至の日には柚子湯に入るのか、 知っていますか? 有力な説として知られているのは 「冬至=湯治」「柚子湯=融通がきく」 という語呂合わせからきているそうです。 江戸時代は銭湯文化がありましたから

引き出しと扉

頭の中にはたくさんの引き出しがある。 その引き出しに学んだ知識や経験や たくさんの思い出が記憶となって仕舞ってある。 引き出しの中はきちんと整理できている人もいれば ごちゃごちゃしている人もいる。 がちゃがちゃしている人もいる。 タグをつけたり、 間仕切りしたり、 ファイルしたり。 分類法は人それぞれだ。 放り込むだけ放り込んでいたら 引き出しの中はカオスだ。いずれパンクする。 引き出しは数が決まっていない。 これ以上は増えないという限界はない。 自由意志で気楽に増や

詩の本のカタチ

詩集や歌集は読了という感じがしない。 いつも進行形なのだ。 読むときによって作用する感覚や 響く言葉が違ったりする。 「ことば」はいつも生きている。 詩を「読む」は「詠む」に通じる。 日常と非日常、混沌と秩序、拒絶と肯定、 現象と心象、優しさと鋭さ… いつも揺れ動くこころの波が 豊かに身を包んでくれる。 ことばに引かれ合う時間が愛おしい。 谷川俊太郎の『詩の本』のあとがきに 書かれていることは私も大事にしている ことだし、ずっと同じ気持ちを抱いている。 それはこんな一文

一番長くて、一番短い日

初めて知ったよ 一年で一番 時間を長く感じる 君を待つ日  街の広場のツリーの下で  君をずっと待っているとき 怖いよ   不安でつぶされそうなんだけど  ねえ、なんでこんなところで待ち合わせ?  わかりやすいだろうって 何それ  恥ずかしいよ 待ちぼうけなんて  えっと、間違えてないよね?  ここだよね、ね。  えっと、大丈夫だよね? わたし  粉雪も降らないこんなイヴに  待ちぼうけなんて絵にならないからね  わかってる?  今どのあたりにきてるの?  わたし

はらっぱらっぱ

ぱらっぱ はらっぱ ぐんぐん のびる じーじー わしわし ざわざわ うたう ぐるっぱ くるっぱ がやがや さわぐ  ひゅーん ひゅう さわさわ わらう ほんわり ほんわり ぬくぬく やすむ こっくり こくり うとうと ねむる はらっぱ らっぱ ぐるぐる はしる らっぱ はらっぱ ぴょんぴょん はねる ららっぱ らっぱ うきうき はずむ ぱらっぱ はらっぱ ぼくらの にわだ