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言葉をけずりだすために、歩く

知力と体力の衰え

箱根駅伝の上位常連校で、2019年まで11年連続3位以内という安定した強さを見せた東洋大学。そのチームのスローガン「その一秒をけずりだせ」が、私は大好きだ(チームを率いた酒井監督による同名の著書もある)。「一秒でも早く」とか「一秒でも縮めろ」ではなく「けずりだす」という表現がなんとも秀逸で、身をけずってでも前に進まんとする鬼気迫る執念を感じる。メンバー一人ひとりによる秒単位の頑張りが全体の順位に影響する駅伝にふさわしい表現だ。

一方の私は、身をけずるどころか、少しばかりの努力や忍耐すらしない日常をおくっている。というか意図的に避けている。結果、自分の行動がやる気や気分に左右される日々を過ごしている。先延ばしや中断は日常茶飯事。「今日はこの本を読むぞ!」、「今日は文章を1万字書くぞ!」と朝に誓っても、やる気が起きずにダラダラと過ごす日も多い。さすがに仕事の納期や人との約束は守るが、強制力が働かないと思い通りに動かない自分を痛感している。

それはともかく、努力を避け、のほほんと生きていると、次第に衰えていく能力があると感じる。それは、知力と体力。言い換えれば、思考力と健康維持能力である。

会社の重要な機能

会社員をしていた数年前までは、出勤して自分の席に着くと、仕事モードが自動的に発動した。責任感という重圧のもとで、それこそ身をけずるように働いていた。精神的にも体力的にもキツかったが、おかげで知力と体力は養われた(と今では思う)。

当時は業務の段取りと優先順位を念頭に仕事をこなしながら、上司のツッコミやフォローに備える言い訳を考え、関係者への事前相談や報告に配慮し、予告なく襲うメールに柔軟に対応していた(「追ってご連絡します」という表現はよく使った)。予定と予定の隙間には、難題に頭を悩ませ、部下の要望に耳を傾けながら、社内外の情報収集に努めていた。頭の中のCPUは、常に一定以上は稼働していたと思う。

一方で、事務職だったにも関わらず、一日の歩数はゆうに一万歩を超えていた。通勤はもちろん、会議や打ち合わせによる社内移動や伝達、相談、客先訪問などで、足を動かした。また、ハードワークに耐えうる体力維持のため食事や睡眠には気を遣い、休日にはとにかく歩き、時にはスポーツジムに通った。振り返れば、自分の知力と体力を養い維持する装置として、会社は重要な機能を果たしていたのだ。

フリーランスのジレンマ

しかし、会社を辞めてフリーランス(主に文筆業)になると、状況は一変した。自由に使える時間が増えて精神的に楽になった分、強制力が働かなくなり、頭や体を使う場が激減したのだ。

まず、自分の頭で物事を考える機会が少なくなった。たまに来る原稿依頼には頭を使って文章をひねり出すが、自分からはなかなか書かなくなった。その副作用として、文章を書くスピードが落ちたり、難しい本を読めなくなったり、好奇心が薄れたりと、知力がジワジワ弱まるのを感じている。もちろん、強制力をあれこれ持たせて文章を書く工夫はしているが、かといって頑張りたくないというジレンマに陥っている。

体についても同じだ。地方暮らしなので、たとえ短距離でも移動手段は全て車。歩いてどこかに行くことは皆無で、体を動かす機会が消滅した。一日の歩数は、大体2000歩以下。たまに思い付いたように数キロ程度歩いたり、旅行の時はなるべく歩くようにしているが、それが継続しないので体力増強は見込めない。運動の重要性は理解していても、体が動かないのである。

しかし、こうなるのは当たり前なのだ。人は、思考しようとしなければ思考しないし、運動しようとしなければ運動しない。だから「仕事」のような明確で強制力ある目的が必要なのである。しかし、目的がないと、人はだらけてしまう生き物だ。豊かな人生を過ごすには知力と体力(思考と健康維持)が最重要(必要不可欠)だと理解していても、これが世界の残酷な真実。思考する時間、体を動かす時間を、もっと増やさねばならない(…と思いながら2、3年が経っている)。

頭と身をけずり、言葉をけずりだす

ここからはタイトル通りなので身も蓋もないが、せめてもの解決策として、歩きながら考える時間を作り、思考内容を文章で公開していこうと思う。自分を動かすには、小さな目的を複数持つのが常套手段。思考、運動、定期公開をセットにすることで、少しばかりの強制力を自分に持たせたいと思う。今の自分には、単に思いついたことを文章にするだけでなく、一つのテーマについて徹底して考えることが必要だ。それこそ頭を絞り、けずりだすくらいに。とある文章教室の初めに頭に叩き込まれたとおり、圧倒的に思考しないと文章は書けないのだ。これまでウォーキングの時はポッドキャストを聴いていたが、これからはイヤホンを外して、頭のCPUを思考に振り向けよう。目に入る風景以外に思考の邪魔が入らないのもいい。歩を進める適度な振動も頭への刺激になるはずだ。これがうまくいけば、知力と体力の維持という課題解決に向け、文字通り小さな一歩を踏み出せる。

ちょうど季節も暖かくなり、歩くのに適した時季がきた。考えたいテーマも多数ストックしている。少しばかり頭と身をけずることで言葉を紡ぎ出し、自分の中の世界を拡げていきたい。


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