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自分の感情を「ひとひねり」したいと思いつつ、歩く

先月歩きながら「今年もあっという間に1年が終わるだろう」と思いnoteにまとめたが、案の定あっという間に1月が終わり、2月に突入した。本日は立春。暦の上では春だ。立春と聞くと、童謡「早春賦」が思い浮かぶ。「春は名のみの風の寒さや」という歌詞は、なんて日本的で美しい表現だろう。時が経つのが早いのは仕方ないにしても、季節感だけは常に感じていたいものだ。

そんなことをつらつら思いながら、私はいつものコースを歩き始めた。空はすっきりと青いが、風は冷たい。明日は雪予報が出ているが、どれくらい積もるだろう。

それにしても先月(1月)は、近年まれに見る「何もしない月」だった。ちょうど依頼仕事(クライアントワーク)が途切れたこともあり、ひたすらダラダラを繰り返し、時間だけを消費していた。趣味に没頭したわけでもなければ、読書に専念したわけでもない。とにかく何事にも「やる気」が出なかった。めぼしい実績としては、地域活動の樹木伐採に2度参加したくらいか。ウォーキングも寒さを理由に2、3日しかできてない。

振り返れば、こうした仕事が落ち着いている時期こそ、自分が書きたいテーマをアウトプットしたり、思考をまとめる絶好のチャンスだった。しかし、ある程度の緊張感や縛りがないと行動を起こさないのが人間(…と勝手に一般論にする)。自由はありすぎると、扱いに困る。

もう少し振り返れば、やる気が出なかった要因は、自分の感情が一定以上盛り上がらなかったからだと思う。自分の感情や思考がスパークすれば、書き留めて伝えたいと思うからだ。ただ、感情や思考をそのまま出しても面白くないし、伝わらない。「今日食べたカツ丼が美味しかった」と話したところで、「あっそう」で終わるだろう。「美味しかった」という自分の素の感情に「ひとひねり」加えなければ、伝わる言葉は出てこない。また「ひとひねり」しなければ、同じ感情表現の繰り返しで人生が終わる。「面白かった」「感動した」「楽しかった」「疲れた」「退屈だった」と絵日記のような日々が続く。それこそ思考停止状態だ。

そして「ひとひねり」は、自分の感情や思いを言語化することでは決してない。自分の感情がどこから湧き上がったのかを徹底検証するものだ。「今日食べたカツ丼が美味しかった」という表現を例に取れば、カツがジューシーだったとか、卵がフワフワでトロトロだったとかを述べるのではない。なぜ私は今日の食事にカツ丼を食べようと思ったのか?なぜその店に入ったのか?なぜロースカツ定食ではなくカツ丼を選んだのか?等の自分の行為を検証し、言語化することだ。そうすれば、自分の内面世界を拡張でき、自分自身を知ることにつながり、アウトプットする気になれる。

…と、まずは、やる気の出ない自分に「ひとひねり」を加えてみた。まずは自分の感情が動く機会を作ること(=行動すること)、そして感情に「ひとひねり」加える作業を怠らないことだ。
本当はカツ丼ではなく別の事例を取り上げたかったが、こうして一つ文章が書けたということは「ひとひねり」効果があったということだろう。

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