見出し画像

中森明菜「SAND BEIGE」 見て衝動買いしたレコード

私が初めて買った中森明菜のシングルは、1985年6月に発売された「SAND BEIGE(サンドベージュ)」であった。高校1年の時に明菜がデビューして以来、アルバムは欠かさず買うくらいのファンだったが、シングル曲は、FMからカセットに録音して聴くことに満足し、買うには至らなかった。唯一「北ウイング」だけは、「これは買わねばならない」という心の声が聞こえてきたが、躊躇する間に次のシングルが出てしまい、買うのを逸した。

そして、ちょうど明菜の「ミ・アモーレ」が巷に流れていた頃、私は大学進学のために上京した。最初の1年間は初めて暮らす東京が物珍しく、新宿や渋谷などの繁華街をよく歩き回った。大学の授業は午前中と夕方に固めて入れたので、日中は時間があったのだ。

その日も私は、大学の友人と二人で渋谷の街を散策していた。東急ハンズの全フロアを探索して品揃えの豊富さに感動し、当時はハンズの近くにあったタワーレコードでは、洋楽のアルバムが格安で売られていて驚いた。その散策の途中、確かパルコか西武デパートのレコード売場を通り過ぎようとした時に目に入ってきたのが、「SAND BEIGE」のジャケットだった。レコードの発売日は6月19日なので、おそらく6月下旬だったのだろう。

その時まで、私はこの曲を聴いていなかった。4月から中央線沿線の安アパートで一人暮らしを始めてから生活スタイルが一変し、テレビやラジオで最新の音楽をチェックする習慣がなくなっていたからだ。「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」も毎回は見なくなり、FMから音楽を録音(エアチェック)する作業も、いつしかしなくなった。そして私の興味も、聖子や明菜などの80年代前半デビュー組から、岡田有希子、斉藤由貴、おニャン子クラブへと次第に移っていった。(だから「夕焼けニャンニャン」だけは、よく見ていた)
そうした状況もあって、ショップの店先に並んでいたこのジャケットを見た時は、「明菜が新曲を出したのだな」とだけ思い、通り過ぎようとした。しかし、異国風のタイトルと、白い衣装をまとった明菜が暑そうな日差しのなかで物憂げに座り込むジャケットからオーラを感じ、足が止まった。「これは買わねばならない」という心の声が聞こえてきた。その声に従い、私は初めてレコードをジャケ写買いした。その日の夜、ターンテーブルで回り始めた「SAND BEIGE」のレコードから聞こえてきたのは、民族楽器が鳴り響くアラビア風のきらびやかなイントロと、少し苦しそうに、何かに憑かれたように歌う明菜の声だった。

よく言われるように「飾りじゃないのよ涙は」以降の明菜は、アイドルからアーティストへと変わり、シングルも大人っぽい曲が多くなる。それはそれで魅力的だが、私はどちらかと言えば、それまでのアイドルの明菜が好きだった。大ヒットした「ミ・アモーレ」も良い歌だが、前年までのシングルと比べ、繰り返し聞きたくなるほどではなかった。

しかし「SAND BEIGE」を聞いた時、私が大好きだった明菜の曲が戻ってきたように感じた。凝った作風の前2曲と比べて、メロディーと歌詞がすんなりと心に入ってきたからだ。次の日からは、まるで呪文を唱えるように明菜が一息で歌うサビのメロディーが私の頭に残り、離れなくなった。大学で授業を聞いている間や通学している最中にも、このメロディーがどこからか聞こえてきて、一日に一回は聞かないと気が済まない症状に陥った。当時の私は携帯カセットプレーヤー(いわゆるウォークマン)を持ってなかったので、好きな音楽を聞くために早く家に帰りたかったことを覚えている。
 もう一つ、私がこの曲を好きな理由は、歌詞にアラビア語が使われていたことだ。ジャケットの裏面には、「アナ アーウィズ アローホ NILE」が「私はナイルへ行きたい」、「マッサーラマ」が「さようなら」の意味であることが丁寧にも記載されている。現地の言葉を使うのは「ミ・アモーレ」も同じだが、アラビア語が日本の歌詞に登場したのは斬新だった。この曲で初めてアラビア語に触れたことがきっかけで、私はアラビア文化圏に興味を持った。「アラビアン・ナイト」を読破したり、大学でアラビア語やイスラム教の授業を半年くらい勉強したのも、今となっては良い思い出だ。(途中で挫折して授業に出なくなり、全く覚えていないが…)

画像1


受験勉強でしばらく明菜から離れていた私は、この経験を境に、再び明菜の楽曲を聞き出した。4月に出ていたのに買い逃していたアルバム『BITTER AND SWEET』も急かされるように買い、擦り切れるくらい聞いた。また、12インチシングル「赤い鳥逃げた」も購入した。この時期の明菜の歌声は、何かが乗り移ったような迫力があり、もはやアイドルの域を脱していた。しばらく聞かないうちにアイドルから大人の歌手に変わってしまった明菜のことを思うと、少し寂しくなった。

それにしても、明菜が夏に向けて出す曲は今ひとつ目立っていないのが、不憫でならない。83年の「トワイライト」、84年の「サザンウインド」、86年の「ジプシークイーン」、87年の「Blonde」と、他の曲と比べると地味かもしれないが、どれも洗練されている名曲だ。「SAND BEIGE」も、大ヒットした「ミ・アモーレ」の次で、狙い過ぎ感はあったかもしれない。しかし、サハラ砂漠を舞台にした神秘的でスケールが大きい楽曲に挑戦したことは、もっと評価されていいと思う。少なくとも私は、この曲と、この曲を歌う明菜が大好きだった。

今回、機会を得て久々に「SAND BEIGE」を聞き返したが、アラビアやイスラムの文化に憧れていた学生時代の自分を思い出して、少しセンチになった。

※80年代音楽エンタメコミュニティサイト「リマインダー」では、「SAND BEIGE」の歌詞について分析しています。かなりマニアックですが…。


この記事が参加している募集

思い出の曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?