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【天界通信】vol.4『ズルい…のだろうか?』

『序』の初めに記したことをもう一度。

幼いころからずっと《上》と呼んでいる処から色んな情報を受け取っていました。

でも、誰かに話したりする事はしないで来ました。

それについては時々
「自分だけ知っていて狡い」とか、
「教えてくれない、ケチ」とか、言われたこともありました。


はい、確かに。
今まで、誰かに話したり書き記したりしないで来た。

でも、それには『理由』がある。
今回はその『理由』について記そうと思う。
……その前に。

《いつもの方(ほう)》や《上》から情報を受け取るようになって、様々な事に興味を持つようになり、いろんな本を読み、辞書を引き、辞典を楽しむようになった。
田舎の学校の図書室には限りがあるけど、色々読み漁り、まだ知らない事や分からない事に出逢うと歓喜した。
知らない事を調べて、知識を増やせるのはとてもとても嬉しかった。

中学の同級生に熱心なキリスト教徒が居て、誘われるまま日曜学校に通うようになり『預言』について知るようになった。
『予言』ではなく『預言』。
《上》からの情報は、その類のモノではないか?と思うようになった。

いやいやいや。
世の聖人と呼ばれる方々と自分を並べているのではない。
何故なら……。

《いつもの方(ほう》から、とっくの昔に知らされていたのだ。

「情報は(雨のように)万人に同じモノを降り注いでいる」と。
つまり、受け取る選択をしたヒトが受け取れるのだ、と。

皿のように平らだと跳ね返りも大きいし、留まらずに流れ落ちてしまうから
「受け取る選択をするのなら器に成れ」と、
「天意を汲む器に成れ」と、示された。

話を戻すが、《いつもの方》や《上》からの情報が『預言』の類では?と思ったのは、その内容を自らの都合の良いように解釈してはならないモノだと感じたからだ。
零すことなく受け取り、濁すことなく受け入れる。
そうゆう類のモノであろう。と。

だとすると、そう出来る自分を創り上げないと、零したり濁したりしてしまうわけで。
もっと悪いと、適当に解釈して私利私欲の為に用いたり、とか。

そういった事をしてはならない情報だろうし、受け取る選択をしてしまったので、零したり濁したりせぬ「天意を汲む器」に成るべく自分を創り上げようと奮闘している。

そうして受け取った情報は、私が創り上げた器に見合った量や質であるわけで、万全でも完璧でもない。
それを、私以外の誰かに示したり申したりする事は憚られた。
だって、万人に同様に注がれている情報なのだから、より優れた器を創り上げた方が、より量も質も優れた情報を受け取って居られる筈。
まぁ、独自の解釈で預言を予言扱いしているモノなども目にしていた為、尚も他に示すのは憚られた。

それに《いつもの方》はこうも告げた。
「示すモノを申されるのが神」
「申す事を示されるのが神」と。

私は、ズルいのだろうか?

私としては……。
例えると、山にキノコ狩りに行こうとして、キノコを集める為に籠を編み、汗をぬぐいながら山を登り、積もった落ち葉を払いながらキノコを集めて戻ったら、「自分ばっかりズルい!」「分けてくれない、ケチ!」と言われているようなモノなのだが。

ズルいのは、私だろうか?

「情報は(雨のように)万人に同じモノを降り注いでいる」
受け取る選択をしたヒトが受け取れるのだ。
受け取りたいのなら、自身がその選択をして、天意を汲む器に成るよう自分を創り上げればいい。
創り上げた器に見合った量や質の分だけ、受け取れるだろうから。

……でも。
こうして記そうと思い立ったのにも『理由』がある。
それを、これから記していく。


《続く》


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