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「左利きでよかったな」って思った日のこと。

出張中の朝、田舎の美しい景色を眺めながら朝食をとっていた時。

「あ、わたしはマイノリティなんだな」
ふと置かれていたお箸やスープの位置を見て、配置を自分用にカスタマイズしたあと、そんなことを思いました。

おぼんに乗せられていたお箸などを左右に入れ替える。

普段からなんの気になしにやっていたことですが、なぜかそのことがその時とても気になってきました。

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小さい頃から何をやるのも左。お箸だって、鉛筆だって、学校の授業でやったサッカーのキックをするときだって。全部、左でした。

そんな幼いころのある日、習字の時間のことです。
「先生は、どうしてみんなと同じにさせたがるんだろう?」
そう思いながら、右で筆を持たされたことがすごく嫌だったのをよく覚えています。(でも当時は嫌だと表現もできなかったなあ。)

思えば、わたしのマイノリティ人生は左利きであることから始まっていたのです。そんなことに気づかされつつ、朝食をいただきました。

多くの人と違うことは、小さな頃からごくごく当たり前でした。少ない数のほうを選ぶことは、息をするような無意識の行動でした。だからそれを制御されると、すごく苦しかったのです。

日本では全体の11%を左利きが占めているそうです。結構多いですね。十人十色という言葉があるように、いろんな人がいます。誰かとおんなじである必要はないはずです。

NPOで働くわたしは、多くの人に珍しい仕事をしていると言われますし、トランスジェンダーのパートナーについては、存在そのものが特殊だと思われていることもしばしば。好奇の目を向けられることだって、たくさん。

それもあってか、日常生活を送るなかで、「あれれ?」と感じることはよくあります。そういう時は後からどんどんもやもやしてきたり、なんとなく嫌な気持ちなったりします。

「あれれ?」の大半は「無理解」「不寛容」が原因だと思います。日本社会は失敗やレールに乗っていないものに対して、非常に手厳しいです。

前例がないものや知らないものというのは、怖いです。その気持ちはわかります。だって失敗するかもしれないから。自分にとっては異物だから。

でも前例があったって、それが正しいとは限らない。知らなかったからといって、それが悪とは限らない。

「マジョリティであることが正しい」という思想は少しこわいなと思っています。そう思うのは自由ですが、なぜ自分がそう信じられるのかを常に立ち返られる人でありたいと個人的には思います。

まだまだ前例や多数を重んじる傾向に日本はあると思いますが、そんな社会が少しずつ変わってきていることを先日実感しました。

友人が結婚式にかかる費用が極端に高いことに違和感を覚え、面白い取り組みをはじめたのです。

実は、わたしも以前パートナーと結婚式場の見学に行ったことがありますが、とってもお高いのです。びっくりしました。

お互いフリーランスの友人が多いので、「これは●●さんに頼めるね〜」「あ、それならこれもお願いできるんじゃない?」なんて会話をした記憶もあります。(とか書いてますが、結婚式をする予定はないです。笑)

既に具現化されたものだけを信じず、まだ形になっていない理想像を自分の軸にしていく時代になってきているのかもしれません。

クラウドファンディング。それもひとつの形です。

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左利きのわたしは、昔から無意識のうちに自分の使いやすいように、物事をカスタマイズする癖がついていました。小さい頃から、左利き用のはさみはどうしてだかうまく扱えなくて、右利き用のはさみを左利きで使っています。

左利きだからって利き手用のものを絶対に使わないといけないわけではないんだと、一本の文房具に教わりました。なんだかそれがわたしには面白くて、右利き用のはさみがとっても好きなんです。

そんな私だから思うのかもしれません。
結婚式も、もっと自由でいいんじゃないかなって。

伝統や由緒、文化、いろんなものを重んじながら、今の時代やそれぞれのあり方にあった結婚/結婚式のカタチが溢れる社会になったらいいなあ。

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