この器の人生は大変で壮絶なのか。主観と客観のパラダイム

ふと、気付く。

いや、何度も何度も思うともなく思うことではあったのだが。

この器は、事実上、先天性脳性麻痺として臍帯が首に巻き付き死にかけ小脳が壊死した状態で生まれ、生後8か月の段階で脳波がゼロだったという。

そして、実際、外界・物を認識するようになったのも首が坐るようになったのも歩けるようになったのも人より遅かった。

そして、それでも生きることのできる世界が限られてしまうことを恐れて、そのままであれば無理やり就学時健診を受けさせず通常学級で育ち、恐らくその中でひたすら解離を駆使し誤魔化し技術を培って育った。自分自身の状態が客観的になんなのか、よくわからぬまま。

そして運動失調やら平衡機能障碍やら体幹障害・嚥下障害・視覚障碍、精神のいろいろな障碍が複雑に複雑に絡み合って説明不可能な状態のままとにかく誤魔化す術に長けながら、何だかんだ学生時代を過ごす。

視覚の問題は随分あったらしいことが後になって判明してきたが、学生時代は必死に誤魔化す(解離によってそれを必死とも身体に負荷をかけているとも自覚せずに)ことに長け、実際問題としておかしいと感じられても、理解されにくいので(そして自分達でも認めていなかったため)別の問題のせいだと紐づけてきた。

ここ2年ばかりになって、解離を手放すことができるようになってきて、初めて、身体の状態に負担をかけないことを覚えてきたようだが、その代わり、幼い頃から誤魔化さず、例えば養護学級などで育ったらこうだったのかもしれないなというような身体状態になってきている。
大変複雑な紆余曲折が何度もあった挙句、精神障碍者手帳を取得したものの、日常、現状として困っているのは身体の問題だ。
だが、説明するにもあまりに複雑すぎて、素人である家族には少なくとももはや伝えることができなくなってしまっている。
更には、解離や精神障碍の世界にもなかなか前例を見ない。
身体障碍の医学判断基準の世界ではもうグレーゾーン過ぎるか、脳の認識の問題であったり精神の問題とあまりに複雑に根底から絡み合ってきたのでもはや紐解けるものではない。
身体障碍を判断する世界でも精神障碍を判断する世界でも、「どちらかもう一方ではない証拠」が必要となる。しかし、もう切り分け、線引きは不可能だ。
解離の専門医は、現状としての日常の状態をなるべく診断書に書いてくれたが、それでも精神の問題でなぜ日常がこうなっているのか、政府どころか、これは説明をしてもどれだけの人が私たちの現状日常を認知してくれるか。


気付いたことというのは、いつも思うともなしに思うことというのは、ここからなのだが。

確かに私たちはそんな事情を抱えている。
しかし、当然ながら私たちが体験してきたこの器の人生は、他と一切の比べようはなく、これが当たり前でこれでずっと生きてきたのだ。
幼い頃の話や、小学校や中学校の時の私たちの日常の思い、体験談など話すと、また、器の家族のことやその人間関係のことなど話すと、更には高校大学時代の経験もだが……
多くの人が、「それは壮絶な体験をしてきたね」「大変な人生だね」と言う。
私が実は解離の専門医に「現状」をわざわざ話すことができるようになったのも、人に「これは話すべきだよ、これはあなたにとっては普通かもしれないけど、客観的に見れば明らかに困りごとだし不便なことだよ」と何度も言われ、それでも言えず、何をどう言ったらいいのか具体的なところまで一緒に算段してもらうなどして、やっと言えるようになってきたものだ。
家族関係のことやら人生の過去の経験なども、私の師やその教え子の人たちに、「それは普通ではないよ」「社会的に見たらそれはおかしなことだよ」などとはっきりと何度も言われて、ああ、そうなのかな、ああ…まあ今客観的に思えば、確かにそうかもしれないな、程度にやっと思い始めたものである。

かといって、私の生い立ちなど話しても、「へえ…」という人もいる。が…考えると、聞いてもわけのわからない次元でとりあえず相槌を打っているような人がその中では多いような気もする。

しかしとにかく、私自身は何が大変なのか、何が不便なのか、盤上波乱の人生であるのかなんなのか、心や身体や頭が大変な経験をしている人生なのかなんなのか、そんなものわからない。我々はただ、この器を担って生きてきただけであるから。
今、こういうことや、マイノリティ理解啓蒙など記事として出すことができるようになってきているのも、「他人から大変だとかなかなかないとか壮絶だとか言われる」ことが多い人生らしい(そして、最近になってからであるが戸籍の家族にも「大変だったと思うよ、私たちには想像もできない」などと言われるようにもなって)、と、せめてやっとそこを自覚してきたからであって、やはり未だに主観ではない、ということ。


しかし、同時に最近になって感じることがある。
解離を手放すようになってからは、やはり解離をしていた長い年月、良く生きてきたなと、客観的には思うようにも感じるようにもなっている。
しかし、現状として、解離を手放せば手放すほど、外側には、”身体的な異常”と見られやすい状態(つまり外側から見れば視覚障碍が顕著になっているように見えるわけだ)になっている。
解離をしていた時期は、ひたすら無理をして平気なふりをしたりわからないこともあらゆる回路を駆使して誤魔化したりしていたのだが。今では多少の自覚もある。そちらの方がよっぽど綱渡りであったし身体に負担をかけて、それでいてなぜか周りと同じように見えるようにしなければならないのだとひたすら課して適応しようとして、しかしそれは生きること自体が恐怖で、それでいてどこにも”自分”がいなかったし自分がなくなるまでいなくなるまで”なぜだか自分でいてはいけない”を強烈に課して、何とかして認めてもらえる心配されない姿状態でいようと必死になって逆に心配をかけながら自分自身も失って…そして当然ながら上記全ての自覚もその時はなく…。

解離を手放してから、現状を見て随分と「大変ね」「不便でしょう」と反応する人たちはいる。

そして、私は「外側に対して」やはりそんなことになるから解離を手放してはいけないのではないか、と思ってしまう部分もまだある。

それと同時に、解離時代を知っている(しかも解離時代自覚がなかったためまるで楽にも見えていたはず)人、何名かに話すと、今、寧ろ楽になっていること、一緒に「良かったね」と言ってくれる人もいる。
白杖とも無縁で交代人格達が平気で長距離移動して暴れまわっていた時期を知っている人は、私にとってはとても貴重なのだが、その人に今完全な”視覚障碍者のような状態”を呈した状態で話をした時、それでいて「良かったね」と言われた時、何気ない会話だったにも拘わらず腹の奥底では驚き、その後長いこと腹の奥底に響いていた。
私にとっては今の方が解放されているのだ、そして、それを感じていて良い、構わないのだと。
他のどこに前例がない状態であっても。
医学的に証明できるものであろうがなかろうが。
例え戸籍の関係の人たちには説明することも認知してもらうこともできそうになくとも。

誰が私の真実を勝手に判断しようと作り上げようと、
私の現状、私の真実は、今私がここに在ることですべてなのだから。

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