セラピーに向き合う支えや報酬は、何より自分自身-医療行為と心理療法の違い

医療と心理療法の違いを、専門家でない人に説明するのは非常に難しい。

その中でも、ひとつ。

医療、医療行為というのは、基本的に、目的は「不調や異常を治す」のみである。そのため、既にマイナスになっているものをただただゼロに戻す、とか、普段の症状よりも毎回の通院時の「治療行為」自体が苦痛だったり痛い厳しいものであったりする”イメージ”がある。
あとは、「治すための治療行為」であるにも拘わらず、(これは「医者任せ」であるためなのだが)実際に本当に治るのだろうか、良くなるかどうかわからない…が患者の正直なところなのに、痛いことをされたり苦い薬を長い期間飲まされたりする。
実際どうであるかというより、一般的イメージ(人々の潜在認識的な部分)の話だが。

一方、心理療法……心理療法と言ってもあらゆるものがあるが、どんなに少なくとも私や私がついてきた師の行っている心理療法は、医療の上記特徴的イメージと対照的な違いがある。

まず、目的が、もちろん心理療法は医療ではないので治る、とか治療、という言葉はそもそも使ってはいけないのだが、やはり世間で言われる「治療」とは意味合い自体違う。
心理療法の目的は、「その人(クライアント本人)が自身の今困っている問題を緩和し手放し、それによって本人が本人の人生を向上させたり自己実現の方向へ人生の舵を向けていくこと、また向けていく方法を会得すること」である。

つまり、マイナスのところからゼロに戻すという、ただただ症状を「治す、消し去る」だけの治療、ではなく、
今がマイナスであろうがゼロであろうが5であろうが(本人自身はマイナスと感じていることが多いが)、そもそもクライアントさんがクライアントさん自身の人生をプラスに転換させていく手伝いをするのである。

その上、更にもうひとつ言うならば、心理療法の目的を別角度から言葉を変えると、
「クライアント本人が本人の人生の手綱を自分の手でとっていく」ための手伝いをするものである。
つまり、(少なくとも現代日本の大半の)医療にありがちな「医者任せ」「医者が治してくれる」「治してあげるからね、この薬、この治療方法で治るからね」ではなく、本人が本人の中の自己治癒力のフタをばかっと開き、それを解放し、本人が(セラピストや心理療法を使って)本人の人生そのものを取り戻し(”症状を取り去る消し去る”ではない)、本人自身が回復していくものなのである。
そして、ヒトの身体というのは、実は潜在意識、簡単すぎる言葉で言い換えれば宇宙そのものであるから、もし本人の中に病気や疾患といわれるようなものがあったとしても、実はその治癒法や手放し方も、本人の身体こそが一番よく知っている。ただ、顕在意識と潜在意識が分断されている今の多くの現代人は、それを意識ではわからない。心理療法家は、その「あなたの身体」こそが知っているあなたの取扱説明書(治癒法など)を引き出し、伝え、寄り添って適宜手助けしながら見守るものなのである。
(もちろん、その段階に必要であったり安全であったり効果的であったりする場合、医療行為ーつまり特殊な資格所持者でなければ行うことのできない方法の助けを借りることもあるが)

そして、医療行為と違い、
そのために行う心理療法やカウンセリング、認知行動療法などには、
「苦痛」「痛い」「苦い」ものはない。
確かに自分と向き合うことがあるという点で、きついようなときはあるが、それでも、医療行為のような「痛い」「苦痛」とは全く質も意味も違う。
治療行為の例えば針を刺したりするような痛みは、これはあくまで医療を否定しているわけでも批判しているわけでもないが、わかりやすい言い方をあえてすればただただ「人工物」「文明の利器」「医療側の都合」で患者に生ずる、意味もない痛みや苦痛であるが、心理療法の場合は、一切強制されることもなければ、クライアントが自分で自分を解放する、いわば今まで自分でかたくかたくかたく閉め切ってきた可能性のフタを開ける時に生ずる、例えば錆がとれるとかフタが開く時の空気圧とか、そういう意味合いの痛みである。
その上、実は心理療法における自分と向き合う痛みは、実は「痛みの感覚しか知らずどんな感覚も見知らぬ感覚は”痛み”と判断してしまう枠組みで生きてきた」クライアントさんが「これは痛みのはずだ」とパターン解釈してしまう痛みなのである。
真冬の露天風呂などに入ったことがあるだろうか。凍えてかじかんだ身体が熱い露天風呂にゆっくりと入って行き、痺れるような痛いような、解凍されるような感覚。これは本物の、つまり本人に害・攻撃の刺激となる「苦痛」ではなく、寧ろ「快」の感覚なのだ。しかし、そのような快を経験したことがなく、脳(人間の脳というのは、言葉・言語・概念がないものは理解できません)が「これは一体なんだ?!どんな感覚なのだ?!」と混乱したとき、今まで一番多かった「”痛み”に違いない!」と結びつけてしまう、しかし、実は快であり愛の感覚。勘違いして痛みだと思い込んでいるだけで、本当の「痛み」ですらない。しかもそれどころか、その快・愛を、感じ始めることができる道の第一歩の手応えなのです。
更には「自分と向き合う・自分の問題と向き合う」ということ自体も実は、それは「本当は何より自分自身に見て欲しかった部分」が初めて自分自身に見てもらえて全身痛いほど震えて涙を流すことであるので、実は本当の”真の自分自身”の嬉しさ喜びそのものなのです。
医療行為の注射などは、ただ注射器の針の痛みであって、あなたが回復し始めた兆しの手応え感覚でもなんでもありませんよね。だから怖いのです。不安なのです。だから見た目より痛いのです。

そして、これは近々別の記事でも挙げようかと思っていますが、心理療法は、医者任せではないため、「この医者の医療行為はゴッドハンドだから治してくれる」「(医者側から)治してあげるからね」というものではない。
セラピストの技法や実績が世論的にゴッドハンドであろうがなかろうが、「このセラピストとこのセラピストの提供してくれる心理療法を手助け、支えに、自分は自分を封じ込めて制限だらけにしていたフタを取り去る!自分は自分を解放する!人生の問題や症状を手放して、自分の人生の手綱を本当の意味で自分の手で握り、自己実現の人生へと変わる!」と”決める”のは、クライアント本人なのです。
なぜなら、セラピストは、クライアントの潜在意識の中の偉大な医師とただ対話し、その医師が本人の中から解放され発揮される手伝いをするだけですから、クライアント自身が決めない限りは例えどんなセラピストの高等技法やゴッドハンドであろうがフタは開きませんし、逆にクライアントさん自身が決めることで唯一、クライアントさんの中の偉大な医師はどこまでも大きくなり、(セラピストやセラピストの心理療法を使って)発揮する、発揮されるのです。

嫌なことや辛いことであれば、やはり本人はそれを本人の中でマイナスに向かうように使ってしまうものです。以前の記事でも(これだけではなく何度も)「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」の話をしていますが、嫌なことや辛いことと思えば、その次に来る結果も嫌なことや辛いことに”してしまい”ます。
ですから、医療行為であれセラピストの心理療法などであれ、「嫌なこと・辛いこと」として受け止めていれば、それは自分で自分に良い結果を齎さないよう齎さないように働いてしまいます。これが心理療法の場合は、(医者任せでなく”クライアント”本人が主体であるだけ)実は尚更のことなのです。

心理療法は、しかも”クライアントさんご自身にクライアントさんご自身の未来を”約束させるものです。
つまり、クライアントさん自身がカウンセリングやセラピーを嫌なもの・辛いもの・苦しいものと捉えて(思い込んでしまって)いたら、クライアントさんはセラピーで自分の未来を断固として約束しません。できません。
医療行為はある意味(あくまである意味、ですが!)、医者が勝手に私に針を突っ込んで来たり固く冷たいものを押し当てて来たりわけのわからない機械の中に放り込んだりする、ものかもしれない。確かにこれらはすべて、医者都合のものですからね。
しかし、カウンセリングやセラピーというのは、セラピストは実は何もしない…というとわかりづらいかもしれないが、セラピストがクライアントさんの潜在意識と対話し、クライアントさんがその潜在意識を閉じ込めているフタを自分で開くことを手伝い、クライアントさんがクライアントさん自身に本当に寄り添うことができるようになることを手伝い見守るものであるわけです。

つまり、心理療法におけるセラピーをいわば自分から開いて ”受け取る” ことによって、自分自身の人生がどこまでもどこまでも大きく翼を広げて飛翔し広がり宇宙の歯車そのものにまでなるものなのです。
クライアントさんにとっては、カウンセリング・セラピー自体が、希望そのものであるわけです。
日本の子どもに良くある光景、もう潜在認識に刷り込まれているかのようなイメージですが、病院で怖い検査や痛いこと(治療)をされたから、ご褒美に何か買ってもらう!良いことがないと病院なんか行ってられない!
…そりゃそうですね。医療行為だと、何をされるかわかったもんじゃありませんから(…う、言ってはいけなかったか……)、心の支えも身体の支えも必要かもしれない。注射をがんばって受けたご褒美、欲しいかもしれない。

もちろん、心理療法だって、カウンセリングやセラピーに通うにあたってそれぞれにいろいろな楽しみや支えを見出してもいいし、何を紐づけたって良いわけです。
しかし、さきほどから書いているように、心理療法の場合は、それ自体が既に「支え」でもあるということが、大きいですよね。なぜなら、心理療法はクライアントさん自身が「このセラピストとセラピーを”支え”として、手助けとして、自分の人生を開くんだ!」と決めるわけですから。
これこそが、あなたにとっての「本当の意味での」支えです。
医療行為や通うことへのご褒美などとしてその近くの店でおいしいものを食べたりご褒美を買ったり楽しいことをしたり考えたりするのはもちろんそれぞれですが、それは、「回復」や「自己実現」「人生」そのものや「医者やセラピストの元へ通う目的(自分の治癒)」の”支え”ではありませんものね。その補助、自分の人生の中での「お楽しみ」は、それぞれに何でもいくらでも決めて良いものですし、それをもっともっといっぱい決めていっぱい自分に与えることができるようになる「フタ」も、心理療法でとっていくことができる…という、自分にご褒美や更なる支えを増やすための「支え」ですらある。
心理療法はあくまでクライアントさん主体でクライアントさんの内面の変容に沿って進むため、クライアントさんが「決め」さえしていれば、必ず変容が起こります。
医者の注射や薬が効く人効かない人、いますよね。これは、実は、「医者が勝手にやってくれるから私は関係ない」状態でいるからなのです。そうすれば、その患者さん本人の中の、自覚の下の潜在認識(つまり自分で治ると決めているか否か)によって、治療や薬の効果が右か左か上か下か、まるで真逆にも変わっていきます。

だから、心理療法では、まずその「潜在認識」を、本当にあなたが「(回復・向上)したい」のか、決める、というところからやるわけです。
対人支援者側が勝手に「治そう、治してやろう」とするのは、ただの勝手、傲慢です。本人の人生は本人が決めるものです。その自由は本人にしかないのです。それを自分自身でわかっていない、だからこそ、自分自身でわからない潜在認識を本当に自由にする「自由」すらも、心理療法家は「どうしたいですか」と聞き、その自由から、手綱をご自身でとっていくためのお手伝いをするのです。

ご自身が決めてさえいれば、ご自身の潜在認識と自己一致さえすれば、あなたは絶対にご自身の中から発揮するものによってご自身の人生をどこまでも解放し大きく大きくしていきます。
だからこそ、それ自体がセラピーやカウンセリングを受ける、支えであり、あなた自身への大ご褒美なのです。
セラピーやカウンセリングによって得られるものこそが支えでありご褒美、その支えやご褒美を手に入れるためにもセラピーやカウンセリングに食いつき打ち込む、しかも食いつき打ち込めば打ち込むほどセラピー内容やセラピー効果が日常にも広がり日常自体が希望に溢れるようにもなり、それによってどんどん得られる支えやご褒美も早く大きくなる。その上、食いつき打ち込めば打ち込むほど、「痛い」ではなく「解凍されている快」の感覚なのだと知りそしてどんどんカウンセリングやセラピー自体も楽しく面白くそして嬉しさや幸せや快がいっぱいに溢れたものになってくる。しかもそれで通院の目的や人生の目的の上に人生の支えやご褒美をもますます大きくして得られる。

ものすごいコストパフォーマンスではありませんか。
そして、この一連は、「一般医療・通常医療」とは、一番違うところであると言えるかもしれません。


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