目に見えない人生の道を、一歩でも、半歩でも、1/10歩ずつでも進む―実は進んでいることに気付く、ということ

私は、クライアントさん達に、最近はここの記事でも、「顕在意識」を、「目に見えない人生の道を歩む白杖使用者」と例えることがあります。
そして、実はどのような場面の説明であっても、この例えはクライアントさんたちに軒並み「わかりやすい!その通りだ!」と言われ、好評であるため。

人生の道は、顕在意識さん(自覚しているあなた自身)には見えません。
しかし、確実にあなたは今、人生の道の真っただ中におり、人生の道…登山かもしれないし、階段かもしれないし、だだっぴろい平坦な道かもしれない…を、歩んでいます。


…さて。
私は「顕在意識」さんたちが目に見えない人生の道を進むための手引き者、支援者ではありますが、実際物理的な目が利かず物理的な方の世界では実際の白杖使用者です。

そして、私も、白杖を使い始めのときや、どこかで「この道や周囲の状況がちゃんとわかっていなければならない」と奥底で思い込んでしまっていたときは、自分で自分自身を困らせることになる様々なこと、反応パターンなどがありました。

例えば…
道を歩いているとき、「お手伝いしましょうか。」と話しかけてくれ、どこに行くか聞いてくれ、「では一緒に行きましょうか」と言って手を差し出してくれた人に対して、「…この人は本当にそこに連れて行ってくれるのだろうか。本当にこの手をとって大丈夫だろうか。本当にこの人の助けを受けて大丈夫だろうか。」と、思ってしまう。疑ってしまう。
しかし、実際、その人の助けを受けなければいつまでも路頭に迷うことになるので、この人の手を信じてとる以外、”私にとっての”前進の道、私にとって今の私を救う道は、ないのですが。


…セラピストをしていると、クライアントさんにも同じことが起こっているのを見ることがあります。
私から可能な、そしてその時そのクライアントさんに適切とプロの目線から判断する支援方法を提案、提示をしても、またその中でどれを選んでも良いですよと言われても、ひとつだったとしても、その手をとれない、つまり自分からこの支援を受けます、と、依頼できない。
ただ、支援者にできるのは、提示提案までです。「この人、手をとって欲しそうだな、これを望んでいそうだな、こっちに行きたそうだな」で勝手にこの人の手をとって引っ張ったり、ああ、あなたはきっとこれがいいでしょう、やってあげるねと、先回りするわけにはいかないのです。(自覚なくこれをしてしまうカウンセラー・セラピストさんも実際社会にはおられ、特にそういう支援者に過去みてもらってきた人にも、これは多いのですが…)。
この手をとってもいいのですよ、と教えてもらい、そこで、自分で自分を進めるかどうかは、本人(あなた)でしかないのです。

しかも、道行く人と違ってセラピストはプロですから、今のあなたに最適かつセラピストにでき得る限りの可能な策をあなたに選べるようにしています。
しかも私の場合、どんなに少なくとも初回カウンセリングで、クライアントさんの目的や動機をじっくりと引き出した上で。

更に、私の場合、まだ手引き者を信じることが難しいな(これは実は”決める自分を信じる”ということでしかないのですが)、と思うクライアントさんには、段階的にクライアントさんの求めるカウンセリングやセラピーを呈示し、その中で、じっくりとラポールを形成してから、本人が自分で自分の道を択べるまでいわば成長してから、満を持して、提案する場合もあります。


その時に、もし、クライアントさんが突然、寧ろ私とのラポールがあるがゆえに、
「いや、私にはそういうやり方じゃなくて、こういう方向性の方が良いと思う」
や、
「(セラピストがちゃんとクライアントさんの今の段階に合わせわかる形で提示や案内をしていたとしても、それをちゃんと受けられずに)セラピストが何やらいきなりわけのわからないことを言ってきた」
と感じて反応してしまったりする場合は、

あなたは手引き者を信じられないというよりは、
手引き者の支援を受けて自分に相応に自分を前に進ませること、自体を、
賛成していません。
もしも自分の歩を進めたい、しかし怖い、などという場合は、やはり”それ自体の自分の状態”を、藁にも縋るように相談して来られるものです。

なぜなら、例え最初の横断歩道までの10Mほどだけだったとしても、最後まで一緒に行ってもらうことができるとしても、どちらにしても「自分の歩を進めるため」には、その場でひとまずその支援の手を受けるであろうからです。
(もちろん、その場で支援の手がたくさん選択肢がある場合は、選ぶことができますが)

不安に思うことができるのは、疑うことができるのは、実は「不安や懐疑に思ったりそれを思いっきり出したりすることができる」だけの安全環境に受け止めてもらえているからであるとも言えます。

私は人生の道で立ち往生しておられるクライアントさんに、「手引きが必要ならいつでも言って下さいね。」と言っています。そして、クライアントさんの横や目の前十数㎝のところに壁があったり、数Mのところで思わぬ道路工事をしていたりする場合、「あ、あなたが今進もうとしているところには壁がありますから(工事をしていますから)、激突しないようにこちらの道を通った方が良いですよ/もう少し左側を通った方が良いですよ。必要だったら私の腕につかまってくださいね」というようなことをお伝えしています。
私も、物理的な外出時、道端で同じようにお声がけしていただきます。本当に白杖使用者の道中と、目に見えない人生の道を歩む顕在意識さんの道中とは同じなのだなと感じます。

この時に、以前までは私は、「私は歩道を真っ直ぐ進んで来たはずでこの先に壁などないと思っているのに、本当に壁があるのだろうか、この前来た時には工事していなかったからこのまま真っ直ぐ進めるはずだと思っていたのに、この人の言うように左にそれて、私にとっては慣れない(予想せぬ)方法を使って大丈夫だろうか」と懐疑に思いながら、それでも「ありがとうございます、では腕につかまらせてください」とも言うことができず…という日々がありました。
また、つい「この人を本当に信じていいのだろうか」「この人は私の腕を掴んでいいというけれど、掴めるわけがないじゃないか!」などと思い込んでしまい手を伸ばせず…、他、誰もいない空間の方ばかりに声をかけたり手をのばしてみたり、誰か”あちら”から「〇〇に行きたいの?連れて行ってあげるよ、ほら」と私の手を掴んで連れて行ってくれる人が現れるのを道中で、特に駅の構内などで突っ立ったまま半ば無意識に待ってしまっていたようなときもありました(そしてそういう人の方がやはり当然、結果的には私が思わぬあちらさんの方法で私に不便なところや中途半端なわけのわからないところに連れて行って役が終わったとばかりに置き去りにする場合が断然多いのですけどね。あとは、実際に本当に怪しい人も…。)。
また、駅で案内を求めたとき、「ああ、では今は〇〇電車から△△電車に乗り継いで行った方が良いですよ、こちらでご案内しますね」と言われて「ええ?!〇〇電車から♢♢電車に乗り換えると調べてきたのに!本当にそれで行けるのだろうか、え、わからない扉やホームに出てしまったらちゃんと行けるのだろうか」「なんで私が調べた(思っている)のと違うんですか?!(駅員さんとはいえあなたが実は把握しきれていないだけじゃないの?)」とつい不安のあまり駅員さんにぶつけてしまったこともあります。しかし駅員さんや善意で案内してくれている人たちとしては当然、別に私からの一言のお礼すら求めるわけでもなく、今の私に一番安全で速くて乗換えも負担や難しさが少なく適切な方法を選んで私に提示してくれていたわけですけれどね。

野菜売り場でどこに何があるかわからず、がむしゃらに手探りをしたり、わかりようもない値札をひたすら触ったり近づいてみたり、うーっと涙を堪えてわからないどうしろっていうんだと文句を独り言しながら暴れながら、無自覚に誰かが気付いて駆け寄って助けてくれるのを期待してしまっていたり(あの頃は、というほど時期が経ってから気付き、あの頃は本当に非効率極まりないことをしていたな、しかし同時にそれだけ何時間でも立ち往生する時間があると自分で思ってしまって、それをやるだけ守られた安全環境にいた・立ち止まり地縛霊のようになる自由すら許され享受していたからできていたんだなと思う限りですが…)。

そうそう…店員さんに店のショーケースに並んだたくさんの商品を説明してもらっていた時、その店員さんが仕事のシフトをあがって(仕事の枠外)でも、店内でおろおろしていた私を店員さんとして案内しようとしてくれたこともありました。しかし、その時わたしはこの店員さんが先ほど同僚に「あがっていいよ」と言われ仕事を終えていたことを知っていたので、半ば無自覚にも遠慮と罪悪感で、その方は申し出てくれて私の依頼の言葉を受け取る体制でいてくれたのに、その時実はもっと欲しかった商品の案内や必要だった手引きを受け取ることができなかった、ということもあります。

私のクライアントさんたちも、ほとんど全員、目に見えない人生の道で私を相手に同じようなシチュエーションで同じようなことをしておられます。
しかし私は、基本的に、”本当の意味で”自分自身の目的地に向かって進むことを拒む人、つまりセラピストとしてのセラピストを必要としていない人は潜在意識同士の会話で察知しクライアントとして受け容れていませんので、今のところ皆さん必ず、目に見えない人生の道を歩むための白杖の使い方や支援の使い方もしっかりと身につけて成長してゆかれます。

そしてつくづく、私は物理世界の道中で助けていただいている分、
皆さんが目に見えない人生の道を手探りで進むためのお手伝いとして、
お返しさせていただいているのだな、これからもお返ししていくのだろうな…と、…つくづく、感じています。

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