階段?エスカレーター?エレベーター?白杖使用者の得手不得手

駅員介助などをお願いしている時に、もちろん駅員さんにもよるのだが、時々、あからさまに「階段はだめなんでしょう?」と言わんばかりに、長蛇の列で待ってでも「エレベーターで行きますね」と案内してくれたり、聞いてはくれるのだが何やら駅員さんの中に前提がありそうな感じで「エレベーターのが良いですよね」とか、「階段やエスカレーター、大丈夫ですか…?エレベーターにしましょうか」というような聞き方をされて、返答しにくくなる時がある。

確かに、視覚障害は外側から見れば(単独での)移動困難者であるから、移動困難=歩行に問題=段差がだめ、というような印象にもなりやすいのかもしれない。
また、少なくとも日本はという印象だが、障害というと=車椅子の第一印象が多いような感じがある。

視覚障害であっても平衡感覚障害や体幹障害他運動失調など重なっている場合もあるし、そうであろうがなかろうが人それぞれの得手不得手があるので、結局はその場その場でのコミュニケーションではあるのだが、少なくとも外側からわけのわからないままの印象よりも、当事者から発信してみると何か面白い角度が生まれるかもわからないし固定概念が解きほぐれる方や、なるほどこういうことだったのかと理屈をわかってすっきりされる方もおられるかもしれないので、この記事はあくまで私の場合であるが、書き綴ってみたい。


私個人は、基本的に、エレベーターでもエスカレーターでも階段でも、移動できる。
まあ、私の場合は、多少体幹・平衡機能、歩行自体も危ういところがあるのだが、それでもしっかりと腕を掴ませて頂いていて良いなら、自分のやり方でじっくり探って位置関係を把握できれば問題ないし、何なら手すりを自分で握らせてもらえれば問題ない。単独歩行時には階段もエスカレーターも手すりを使って利用している(単独歩行時のことは後程書こうと思うが)。

ただ、あくまで私の感じるところでは、視覚障碍がある場合、手引きしていただいている場合、エレベーターは確かに一番安心感はあるかもしれない。
なぜなら、杖で前の地面を探りながら(これはどの場合でも同じだが)、扉も開けてもらうことができて、手を引かれるままに動けば良いだけであるから。
しかし、これは状況による。
私の場合、エレベーターであれエスカレーターであれ階段であれ、人が混雑している時はどれもなかなか難しい。なぜなら、手引きをしていただいていても、混雑した場所では人がどこにいるかどう動くかわからないし、わからないだけに逆に杖で地面を探ることもできなくなり、手引きをしてくれる駅員さんとも通常態勢でいることができない。
私は、混雑したエレベーターに乗るなら、人がまばらであればエスカレーターや階段の方が助かる。視覚障碍がある場合、やはり動く人との接触を避けることが一番難しい。相手が無生物の場合は、杖を”当てる”ことでその場所を認識し避けたりすることもできるが(我々はまず触らなければ把握できない)、人間が相手では、そもそも”当ててはならない、触れてはならない”ため、場所を把握しようがない上、しかも動かれては…非常に不確かで不安である。例え手引きしていただいている時であっても。
エスカレーターや階段であれば、基本的に人はみんな同じ方向に動いているので、ある程度人がいたとしても、手引きして頂いていれば不安は少ない。
これもまた後述したいことだが、ちらりと書いておくと人が並んでいるほど混雑したエスカレーターは単独歩行時は太刀打ちできない。しかし、手引きして頂いている場合は、私は問題ない。
白杖使用者の中には、エスカレーターの乗降にまだ不慣れであったり苦手であったりする人もいるかもしれないが。私の場合は、特に手すりのベルトを触らせてもらえれば、段の境目を杖の先で確認して(多少がんがんばたばたしては見えるかもしれないが)、乗降できる。

やはり、状況によって、どの方法が苦手になるか助かるか、大きく変わる。
車椅子の場合はやはり物理的なもの(段差)の有無が先に来るだろうからどのような状況であれエレベーターのような段差の弊害がないものや空間的な広さがあることが必要となるのではないかとは思うが、視覚障害の場合、その人の状態や状況により、がらりと変わるだろうと思う。

ちなみに、私は単独歩行の場合は、実はエレベーターは一番苦手であるかもしれない。
なぜなら、まず最初にエレベーターは大抵発見するところからして難しい。何度か駅員介助で案内してもらって道を覚えて道自体に慣れたからという理由でエレベーターを使っている駅はあるが、大抵エレベーターは発見しようと思っても独力で見つけることは難しい。
その上で、エレベーターは、その前に辿り着いたところで、ボタンの位置が難しい。探ったところで何のボタンかよくわからなかったり、押しても音が鳴らず、呼ぶことができたかできていないかわからないこともある。
更に、エレベーターが来て、扉が開いても、特に駅など雑音の多いところでは、扉が開いた音を聞きとるのは難しい(時々扉が開いた時に音が鳴ったりアナウンスが流れるものもあるが、賭けである)。
しかも、乗ろうとしたエレベーターの前に人が並んでいたりすると、私は大抵気付くことができず人の背中に突っ込んでしまう。
それで先に並んでいた方が助けて下さる場合は助かるのだが、なかなか貴重である。大抵、黙ったまま位置をどかれてしまって、その人がどこにいったかわからなくなったり、まだ人がボタンの前にいるかもしれないと思って進めず、ボタンが押されているのかいないのかもわからなかったり、声もかけられなくなる。
もし、エレベーター前に人が並んでおらず自分で押すことができたとしても、扉が開いた時、中から人が降りてくる可能性を掴むことができない。大抵、エレベーターから降りてくる人は、非常に静かに降りてくる。電車の乗降もそうなのだが、正面衝突してしまう。かと言って降りてくる気配を耳を澄ませて待っていても、人が降り切った瞬間がわからず、入って良いタイミングは非常につかみづらい。
極めつけに、エレベーターに乗ったところで、人がいようといまいと、行き先階のボタンを探すのに非常に時間がかかるもしくはわからない。
どこか階で扉が開いたところで、何階かのアナウンスがないエレベーターの場合は自分がどこで降りて良いのかわからない。
降りる時、待っている人を避けられずぶつかる。
しかも、よくよく慣れて乗り間違いがないようなエレベーターはともかく、降りた場所がわからない(これは、電車やバスでもそうだが…)。

そんなわけで、単独歩行時は実はエレベーターは一番苦手、緊張度が高いかもしれない。

次に緊張度が高いのは実はエスカレーター。
まず、誘導ブロック(点字ブロック)は、大抵、まっすぐ階段につながっており、エスカレーターには繋がっていないので、そもそもエレベーターと同じく余程慣れていないと見つけることが難しい。エレベーターよりは発見しやすい。なぜなら、大抵階段の横にあるし、エスカレーター独特の音がしている。アナウンスを流しているエスカレーターも増えている。問題は、上りか下りかわからないことだが、人がほとんどいなければ、突っ込んで行って手すりのベルトを触ればわかる。
しかし、いずれにせよ(慣れたところでは)、一度階段への誘導ブロックを辿り、途中で何かを目印にしながら脇にそれてエスカレーター前の点字ブロック(エスカレーター前にだけは大抵ある。間違って入らないようにだろうと思う)を探し、そろそろとベルトを手を広げて探しながら近づく。ベルトさえつかめれば、あとは杖で探って乗ることもできるし降りるのは杖を前の段にかけておけば簡単なので、問題ない。
しかしながら、大問題が起こるのは、エスカレーターが混んでいる時。要するに、視覚障碍があると人との接触が怖いのだ。
エスカレーターへの列がまず把握できない。並んでいる人にうまく話しかけることができない(どこにいるのかわからない)。探れば人にぶつかる。うまく並ぶことができたとしても前の人にうまくつかず離れずついていく芸当はほぼ不可能だ。
人がたくさんいると、ぶつかることを恐れて杖で地面を探る動きも小さくなってしまい、エスカレーターの始まりを探しづらい。足場を探りづらい。
無生物相手であるだけなら私なりのやり方でゆっくり探れば良い話だが、要するに結局人が多い方が緊張度も危険度も増すのである。
これは、晴眼の方からすると、面白い点なのではないだろうか。

とかく、視覚障碍者は(中にはもしかしたら得意な人もいるかもしれないが)、どんな人がどこにいるのか把握することができないため、人がいることはわかったとしても声をかけて助けを求めることが酷く難しい。
そして、ぶつかって迷惑をかけてはまずいと思い杖で周囲から得られる情報も少なくなる。人混みだと雑音に紛れたり音が吸収され、音でも周囲の情報を得ることが難しくなり、身動きがとれなくなる一方になる。

障害者=階段は…というイメージが先行しがちかもしれないが、私は単独歩行時にはやはりアナログが一番安心ではある。
先程も書いたように誘導ブロックはまず階段に繋がっているし、そこからゆっくりと手すりを探し、手すりが見つかれば階段の一段目は杖の先で探ることができる。あとはゆっくりと私なりのやり方で、探れば良い話だし、今の都会の階段は大抵しっかり舗装されて段の端に特徴があったり、幅や高さもまちまちであるようなことはほとんどない。高さや幅をつかめば、もういちいち探らずともリズムを作って昇り降りできる。
まあ、もちろん踏み外しやすいという面はあるし、長いと疲れるし、長ければ長いほどやはり段に全神経を使う場面ではあるけれども。

ちなみに白杖を使っていない時は、体幹と平衡機能が弱い、しかも焦点の移動で視界が飛んでしまうこの器は、階段は怖かった。
階段を斜めに突っ走って昇り降りする人はいるし、手すりを持っていても(見た目が若いからか)避けてもらえず突進されることはあるし…。
白杖を使うようになってからは、こちらが避けることができないことを認識してもらえることが多くなったのか、手すりを持ったまま移動させてもらえる。そして、もし万が一対面から同じく手すりを持って移動してくる方がいれば、「あ、危ない、ちょっと止まって」などと声をかけて頂くことができる。
本当に視覚認識で判断することが困難になって、白杖を持ってから、階段を使うことへの恐怖感が減ったというのは、ある意味、不思議な話である。

…こうして思うのは、やはり視覚障碍の場合は工夫の方法は声、コミュニケーションなのだと感じる。
エスカレーターがありそうなのだけれども初めての場所でほんの少しの移動も誘導ブロックを離れることが不安で「…階段にするか」と腹を決めた時、「エスカレーターありますよ、乗りますか?」などと声をかけて頂いたり列にすっとその瞬間だけ軽く手を添えて誘導していただいたりすると感激するほど嬉しい。ただでさえ、電車内では座席を見つけることができずずっと扉脇に立っていたり、荷物があったり、移動中は緊張度や疲労度も激しいだけに、僅か瞬間的な協力を頂くことができたら、やはりエスカレーターやエレベーターは助かる、ありがたいというところは本音である。

…そして、記事にしてみて良かったと思ったことがひとつ。
私は駅員さんに、「階段がいいですか、エレベーターがいいですか」などと聞いていただけることもある。その時、大抵「どれでも大丈夫です」とつい答えてしまうのだが、今度、「人混みではなさそうな方(人に接触してしまうリスクが少ない方)がいい」という伝え方をしてみようか、と、気付いた。
いや、そうすると、基本的にエスカレーターを希望することが私にとっては良いのかもしれない。手引きであれば、エスカレーターは流れているから杖で地面を探っていても人を突っついてしまったりすし詰めでどう身動きをとっていいかわからなくなるようなことはまずなくて済むわけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?