ヤタガラスのように
ここ数年、テレビは観たい番組だけをビデオに撮って、観ています。
4月からは、竹野内豊さんが主演を務める『イチケイのカラス』を毎週楽しみにしています。
裁判に民事と刑事があることは知っていましたが、裁判官にも民事裁判官と刑事裁判官がいるのは、初めて知りました。
冷静に考えれば、民事を担当する裁判官と刑事を担当する裁判官に分かれているってことだから、当然と言えば当然ですね。
刑事裁判官の仕事を垣間見れるのも面白いですが、“人が人を裁く”ことに真摯に向き合っていて、大切なことに気づかされることもあります。
昨夜放送分のイチケイのカラス第5話を観て、すごく共感したことばがありました。
書記官の石倉は、初恋相手が容疑者であるかもしれないと知り、書記官として倫理を守るか、それとも大切な人を守るか気持ちが揺れ動いていた。
その石倉に刑事裁判官のみちおが言ったことば
「僕もYっちゃうな。
君を説得するべきなのかどうか。
何が正しくて、何が間違っているか、その答えは人それぞれ違うからね。
でも、真実は一つ。法廷はそれを明らかにする場。
そして、僕たちは、人の人生の分岐点に立ち合う仕事をしているんだよね。
そっか、だから、僕この仕事が好きなのかな。」
「Yっている」ということばも面白い!
右に行くか左に行くか、今、正に分岐点という意味だそうだ。
何を正義とするのか、何を正しいとするのかは、ほんと、人ぞれぞれ。
価値観や観念が違えば、答えも違ってくる。
でも、真実は一つ。
物事を俯瞰して見ることの大切さ
中立に物事を捉えることの大切さ
それを思い起こさせた。
物事にあるストーリーに、良い悪いの意味付けはいらない。
私たちは、自分の価値観というフィルターをかけて物事を見てしまいがちだが、それは却って自分の自由を奪っているように思う。
本当の意味で自由であるために、自分に正直に、中立的で在りたいと思う。
あなたは、何かに囚われることなく、自由ですか?
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