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あるがままを観る

先日、知人が勧めてくれた映画『陰陽師0』を劇場で観てきました。

ストーリーの中に真理が散りばめられていて、心に響く素晴らしい作品でした!

この作品は、陰陽師の世界における呪術を「呪(しゅ)」と表現している。

陰陽師の世界では、
呪い一とは、 肉体や物質に直接作用するものではなく、
まず意識に作用を及ぼすことで
肉体にも影響を与える暗示、催眠術、思い込みのようなものだ。
心が強く思えば肉体が滅ぶこともあるし、
香が強く焚かれた部屋で言葉巧みに誘われれば、人の意識を無意識の世界に飛ばすことすら可能なのだ。

参考文献:加門七海「呪術の日本史」

陰陽師の観点で私たちが生きているこの世界を捉えると、すべて「呪」だと言えるだろう。
この世界は「呪」だらけで、私たちはその「呪」にかかっている。
「呪」も人の思いや感情から生まれるものだから。
この「呪」を祓ってくれるのが安倍晴明だ。

晴明が博雅に事実と真実の違いを問うシーンがあるが、
私たちは日常生活を意識せずに生きていると、
事実と真実の違いを意識することなく真実は一つだけだと思いがちだが、
真実は人の思い込みによって人の数だけある

起きた事実は一つあるだけなのに、
そこに人の様々な思い込みというフィルターがかかることによって
たくさんの真実が生じる。

人はある意味、事実を観たくないのかもしれない。

起こることは起こるし、起こらないことは起こらない

目を背けずに、在るがままを観る

そうすることによって、
起こった出来事の事実が分かるし、
自分の思い込みや恐れを知り、自分を知ることができるだろう。

人は信じるものを体験するし、
信じるものを目の前に現す


即ち、意識を操ることで、何でも体験できるのだ。

事実と真実
主観と客観
意識と無意識
幻想と現実
心の世界と現実の世界

意識をしっかりと自分の肉体に宿し、在るがままを観なければ、
どっちがどっちか分からなくなってしまう。

晴明と博雅が酒を酌み交わすシーンで
「真実とか事実とかどうでもいい。今こうして二人で酒を飲めている。これしか我々にはないのだ」と
清明が言う言葉は、言い得て妙だと思った。

この世界は「呪」だらけだけど、それぞれの人が思い描く真実は一つしかない。
体験しているのは、結局のところ、今見ている世界しかないのだから。
自分のマインドをいかに保ちながらどう生きていくか、というメッセージがこの作品には込められていると感じた。

自分は、何を体験し、どう生きたいのか?

本当の自分が何を望んでいるのか、在るがままの自分を観て、
しっかりと意識して、生きたいと改めて思った。

早速、この映画の原作である夢枕獏氏のベストセラーシリーズ「陰陽師」を読み始めた。

AI(人工知能)の技術によりフェイクニュースも出回る今の時代だからこそ、
この作品がたくさんの人に観られ、作品に込められた思いがたくさんの人に届くことを願っています。


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