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トランプと私なんて神からみたらどんぐりの背比べ

何に共感して感情移入して何から目を背けるべきかって難しい

自分の幸せと自分の見える"世界"の幸せは比例しない。
本来目を背けるべき事象なんてこの世に一つもないはずだけど、逆にこれさえ向き合えてればOKな本質があるはずで、
それにこの世界のどれだけの人が素直に怖がらず向き合えるか、その度合いの認識さえも私たちは主観でしか向き合えないという矛盾と悲しみ。それならいっそ全てから目を背けて人間辞職したくなるのわかるよ、

この世に自分を主張する価値なんてあるんだろうか?と考える。

社会的価値を生み出して、毎日の意味づけを社会的に他人にしてもらって自分の価値を簡単につけてもらえる、レッテルを自分で貼ることで自分が生きている意味はかなり簡単に自他解釈か容易になるが、そんな人生意味があるのだろうか?
お前の人生になんの意味があるんだと他人に問われてそれでも生き続けてみたいとか思ってしまう。最終的に生き続けるかどうかって自分でしか判断できないと思う。私は自分じゃないと判断できないし自分でその意味を肯定できないと死にたくなっちゃうと思うの。

だって所詮全ては暇つぶしだから。
今死にかけてる誰かも、世界に知られているトランプも、みーんな暇つぶししてるの。
だって長い長い歴史や大きい大きい宇宙からみたら、人一人の生き様なんて小さくて小さくて見えなくてさ、私とトランプなんて、この世をつくった誰かからしたらどんぐりの背比べなわけよ。

最近は、愛を学んだんだった。

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