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ゴミ屋敷の娘の人生

なんなんだろう。発達障害の娘のことで先が見えなくて
嫌気がさして、諦めを通り過ぎて、自分が何をしているのかも分からなくなってしまった。
ふと「私の人生ってなんなんだろう」と思った。
小さいころの夢は「女優」で、見た目もまあまあ良く器用で勉強もできたので、女優じゃなくてもとにかく大物になると信じ込んでいたのに、なぜだろう、大物どころか物理的にも経済的にも心の余裕的にも貧困している。

うちの両親は父が陽気な江戸っ子のような人で、母は体裁や人にどう思われるか、見た目を気にしてばかりいる人で、私のことが彼女の「人生」であり、過保護、過干渉、過管理でした。

割と全体的に仲が良く友達のような感じだったが、家の環境がとにかく嫌だった。母は片づけられない収集癖でいつも家の中がごちゃごちゃしていた。

ゴミ屋敷の作り方


・45リットルのゴミ袋2つ分パンパンのレシート。
・安かったという理由で購入して使わない化粧品やサイズやデザイン的に家族だれも絶対着ないような服。
・父の仕事でもらった段ボール2箱分の化粧箱ナシのB品の石鹸の山。
・いつか使うかもしれないし、高い学費だったからという塾の教材収納ケース2つ分。
・多趣味の道具(クラフト、洋裁、絵、画材)

田舎の一戸建てなら余裕に収納できる量かもしれませんが、うちは3人と犬一匹でワンルームマンションに住んでいたのです。

両親の寝る場所はリビング。
一部屋は私の部屋でしたが、クローゼットは親と混在でした。

本当に足の踏み場も、ものを置くところもなかった。
そして床はカーペットで犬の糞尿や獣集がしみつき、そんな悪環境で犬も皮膚病になり、病院もつれていける余裕もなく、本当にかわいそうだった。

大量のいらないものを処分しようと、母が出かけている隙に父と結託して捨てまくって掃除したこともあります。本人は所有物を把握してないので、何を捨てられたかわからないから最初、きれいになって喜んでそのあとゴミ集積所に行って持ち帰って怒りだし、夫婦喧嘩が始まるということがありました。

私が高校生になったある時は、わたしが先輩に頼んで車を出してもらい、ドン・キホーテに行き、収納ボックスを買い洗面所の収納をなんとかしようとしたこともありました。
「タオルはここにしまって、こっちにはこれしかいれないで」
「ありがとう、これどこで買ったの、高いんじゃない、お金がもったいない」と言って環境をよくしようとしても気にしていることはお金でした。
衛生環境のことはなにも気にしてくれません。

毎晩、毒見が必要な夕食


冷蔵庫の中は危険だらけでした。食べ残しをラップしたまま放置、いつ買ったかわからないものは標準。賞味期限が切れているのもデフォでした。母の買い物の仕方は、特価でいいものが安くなってたりすると量を関係なく「得できた」という感情が優先され、大家族でも買わない量を買ってきてしまいます。そして買うことに満足するので消費はせずそのまま冷蔵庫に増え続けるのです。
私と父は冷蔵庫のものは飲み物しか食しませんでした。わざわざいつ買ったのか確認する必要で、その冷蔵庫に入っているものをなにも信用できなかったからです。父は自分の夕食は毎日スーパーに行き、つまみを買ってきてその分を食べきるように生活で、母の料理は食べませんでした。

問題は私への料理です。。
中学の時にわたしははじめてエリンギを食べたときまず過ぎて吐き出しました。母は「えー今エリンギ流行ってるんだよ、おいしいじゃない!テレビでも作り方やってたから食べてみたくって。」といってバクバク食べていました。母が食べているのを見て、私が苦手なものでほかの人は食べれるものなんだなと思い、それからエリンギはまずいものだと思い、「嫌いな食べ物:エリンギ」でした。
友達に「エリンギ?味しなくない?なんで嫌いかわからない、ピーマンは苦いからとか、魚臭いから魚きらいとかならわかるけど」
と言われ、「え?、、、めっちゃくさくない?」と言い返しましたが大人になって食べれるようになるまで母のエリンギはただ腐っていただけだったことを知りませんでした。
本当に母の料理がきらいでした。味がとにかくないか、味が甘すぎるか、腐っているかでした。お菓子やカップラーメン、納豆ご飯を学校から帰ってきたときに、おやつとして食べて、夕食時お腹が減っていないように自然とそうするようになっていました。(書きながら今気づきました)父も言いはしなかったけど心配してくれていたんでしょう、毎晩だいたい父がお惣菜を買ってきてくれたり、わたしも父のつまみを少しもらったりしていました。

ゴミ屋敷製造マシーンの母の母はどう育ててきたのか


中学3年から本当に家にいたくなく苦痛でした。「部屋」というものがあっても、親はなにも変わらなかったからです。当時は娘の私が言えば親は変わってくれると信じていたんですよね。今思えば「過去と他人は変えられない」と分かるのですが。。
ある時、母がまたなにか馬鹿な買い物をして、掃除もせず私が掃除しなくてはいけなかったときに、たまっていたものが溢れて、母と喧嘩になりました。母は私を「思春期だから」という理由で私の主張の正当性がないと、嘲り、「子供に言われたくない」「子供にはわからない」などと偏屈な回答で頭に来たのを覚えています。ぶちぎれた中学生の私は、こいつを叱れるのはこいつの夫でも子供でもなく、母親だと思い、祖母に泣きながら電話しました。祖母は本当に優しい人で。。

私が「おばあちゃんの娘でしょ!そういう教育したらこんな人間になるの?おばあちゃんにはイイ暮らしをしてるって言ってるかもしれないけど本当は違うよ、ゴミ屋敷だよ、いらないものだらけだし、掃除もしないし、ごはんも腐ったものばかりだし、事実を目の前に今それを変えてほしいといってもわたしが思春期だからイライラしてるんでしょと言われるし、何もわかってくれないし、何も変わろうとしてくれない。おばあちゃんおねがいだから、この人どうにかして。改善するように約束させて、もう毎日毎日繰り返しでいやだ」

「ごめんね~、〇〇ちゃん泣かすなんてひどいね~」と話を聞いてくれただけだった。。そうなんです、本当に優しすぎるんです。

「ばあちゃんがそうやって優しすぎるから子供がこうなったんじゃないの?」(この時こんなことばあちゃんに言いたくなくって声が震えてたことを今でも覚えている)
と遠く離れた場所に住む孫にこんなこと言われても
「そうじゃね、ちゃんとしてもらわんといけんね」と優しい声だった。

そんな母です。

母は病気なんだと思います。
自分の興味のない話をべらべらずっと話しかけてきます。基本相手に話すチャンスはありません、すぐカットインで自分が話してきます。
いい加減に相手の気持ち分かれよと思い
「ねえ、ガンダムの話をどんなキャラがいてストーリーがこうで、見るべきシーンとか、好きなAV女優とか興味ある?ないよね?でもその話とかを無理やり私があなたにずーーーーっと話を聞かせてたらどう思う?」と聞いた、(その時母が一番興味がなさそうな話のテーマに思いついたのはガンダムとエロだった、ファンの方すみません)

母は嫌そうな顔して「あ、はい、はい、もういいわ」と退散した。
理解しようともしないし、相手の気持ちがわからない、わかろうとする回路がないんだろうな。聞きたくないことは耳に入れないのです。

わたしは結婚して出産して母になりました。
絶対自分の母みたいになりたくないという気持ちでいっぱいでした。

幸い、私の住んでる家はゴミ屋敷になっていません(ミニマリストのようにいつもすごい綺麗とはいってませんが、人を招くことはできる家です)
でも、もうこれはトラウマなのかなと思ってしまうんですが、最近自分の娘が部屋着でゲームばかりしていたり、洗面所に髪の毛が大量に落ちていたりすると、一瞬、母と住んでる錯覚に陥り急に具合が悪くなります。

結局繰り返しになってしまうのか。。。

人は同じ試練が何度も来てそれを克服しないとずっと訪れるのか。。

支援物資というなの郵便テロ


実は母とは事実上縁を切っており、電話、ライン、すべてブロックし郵便物も受け取り拒否にしています。郵便物は、段ボール箱いっぱいに要冷蔵な食品をつめて通常便で送ってくるので、届くころには腐っており、それを何度も気を付けてくれと伝えても「せっかくおくってあげてるのに、ありがとうとか言えないの」と逆切れされました、なので割り切って、腐ったもの送られるとただの迷惑とお金の無駄だから何も送らないでください、送ってきても受け取り拒否させていただきます」と伝えましたが都合の悪いことは耳に入りません、送り続けてきます。いつまでたっても理解してもらえない悲しさはもういらない。
母はストーカー気質があります。私が捨てたゴミ箱を確認、ナプキンに血がついていないなどを見て「もう生理おわったよね」とか、娘と二人暮らしの家の前に一日中出るのを出待ちしていたりありました。「愛だ、親は心配なんだ」ということにはなりません、私が恐怖を感じたり嫌な気分になる以上、迷惑で異常な行為で、「親しき中にも礼儀あり」です。

去年引っ越しをしたのでうちの住所は両親や親せきは知りません。
郵便物の恐怖と気持ち悪さが10カ月ないだけでも心安らかです。

手紙


わたしは何度か彼女宛に長文の手紙を書いたことがあります。それは決まっていつも腐りかけ食材段ボールが届いた日に、感情的になって書いた文章です。宛先を書いて切手も貼りましたが、出しても理解されず、変わらず同じことをするのなら意味のないことなのかもしれない。。冷静でないときに書いた文章で封をしてしまって何を書いたかわからないし。。など結局本人に届けられることはなかった何通かの手紙。
私が彼女より先に他界したときは本人が見ることになるのかな、、

そして今、娘との生活。

親の環境から抜け出し自分の人生だとおもっていましたが、次は娘という新たなストーカーが爆誕。中3の娘はシングルマザーということもあるのか、「母親LOVE」がすごく、たまに怖いと感じることがあります。
もう、母からも娘からも解放されたい。

自分の好きな職業につき、自由に稼ぎ、自由に遊びたい。

働きたい。
前に進みたい。
生きたい。

人のせいにも環境のせいにもしたくない。
でも八方ふさがりで、思うように動けない陸に上がった魚のようです。

母親として怖いことを考えてしまった。
「この子がいなかったらどうなってたんだろう」
娘に会うために結婚したと思ってるのでおそらく結婚してなかっただろうな
そしてこんな都会にも住んでなかっただろうな。
愛ネコにも出会わなかったんだろうな。

全てささいな選択から構成されている人生。
いつも「人生は最善選択の結果」だと信じている、嫌な思い出や失敗もたくさんあるけど、そこから意味や教訓を見出していて私の人生に必要だったことと感じるから。

この子が私を手放してくれますように。
いい仲間ができますように。
お互いにいい人生になりますように。

きっと今が一番つらくてどん底なだけ。
あとはきっと上がるだけ。

やることがありすぎて、なにをしていいかもわからないけど
ひとつずつ、すこしずつでもがんばりたい。

身体よ動け。心よ悲しむのを止めろ。涙よ泣きたいときは泣け。


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