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序章:少年隊はアイドル?


少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」をリアルタイムで聴いていた時は、
ジャニーズが好きではなかった。

あの頃の80年代のヒットチャートと言えば「歌謡曲」と「ニューミュージック」と「演歌」とごちゃ混ぜの、清濁併せ吞むような音楽番組がテレビで毎日のようにあって、街ではどこへ行ってもヒット曲が流れていた。作り手も次から次へと目まぐるしく新曲を出していた華やかな時代、でもその頃はまだ日本の歌謡曲全盛期で、洋楽は聴く機会があまりなかった。

でもその後すぐに洋楽が突如とメジャーシーンに登場するようになってからは、洋楽をわりと身近に手に取ることが出来るようになり、それと同時に「歌謡曲」というジャンルが少しずつ下火になっていたように思う。

「アイドル」というジャンルはその頃既にあったのだけれども、彼らの歌う作品もパフォーマンスもクオリティが高かったからか、その歌手やグループがアイドルなのかアーティストなのか、その辺が曖昧だったような印象を持っている。ただ、ジャニーズの歌手には歌謡曲にもニューミュージック系にもどこにも属さないちょっと特殊な何かを昔から感じていた。ジャニーズは「ジャニーズアイドル」であるという創作感、最初からそういう強固なイメージがあった。

それを一言で表現するとすれば、

「素人っぽさ」

これに尽きるかも知れない。

私の中では「アイドル」とは、若さと容姿重視で特別な才能を問われないという不条理さを子供ながらに感じていた。ジャニーズではない歌手でも容姿の美しさだけで実力を感じない歌手は「アイドル」であるというジャンル分けが無意識に自分の頭の中にあった。少年隊がデビューした時も確かにインパクトはあったけれど特にファンになる程心惹かれたわけではなかったし、彼らのパフォーマンスに特別なものを感じてはいなかった。言い換えれば彼らの歌やダンスがデビュー当初から「アイドル」としての枠を飛び越えたものとは思っていなかった。

とにかくその当時、世に出てくるアーティスト達といえば個性が突出していてそれなりに実力もあり、そのスタイルも多彩で飽きることがなかった。少年隊がデビューした頃には歌って踊るというスタイルも段々と定着してきていた頃で、余りにもテレビで彼らのパフォーマンスを見過ぎていたせいか、歌って踊るというパフォーマンス自体にいつの間にか新鮮味を感じられなくなっていた。

しかしあれから数十年経って改めて彼らを見てみると、取っ掛かりは「アイドル」だったかも知れないが、パフォーマンスはもの凄く革新的で目指すところは海外でも通用するアーティストであった事が納得できる。でも若い人達のアイドルでもありながら実はミドルエイジの人達をターゲットにしていたことに今更ながら気づいたのだった。そういう意味では「ジャニーズアイドル」という枠をも超えていた。 
ただジャニーズ事務所は初めからアイドルを育成する為にスタートしたわけではなかったと思う。ジャニーズのタレントの口から伝わるジャニー喜多川氏の言動から想像すると、すべての始まりは日本で海外に通用するミュージカルを作るという志からだったのではないだろうか。つまりあくまで実力志向であって、プロモーションが結果としてアイドル的なだけで、ジャニー喜多川氏ご本人はアイドルを育てているという自覚があったかどうかは疑問だ。そこは作り手とオーディエンスとのギャップを感じる。彼はある時期まではミュージカルを演じられるアーティストを育成しようとしていたと思う。ただあの時代は歌って踊れて演じられる高いポテンシャルを持った人がなかなか少なかっただろう。その中でも厳選された逸材だったのが少年隊の御三方だったと言えるのではないだろうか。

少年隊は確かに海外に手が届く範囲内にいたグループになっていたし実際にアジア進出も果たしているが、ジャニー喜多川氏が本当に目指していたのは全米をはじめとする世界進出であったと考えられる。                  (デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」だしね)        それがどこかで方向転換されたのか、諦めざるを得なくなったのか真相はわからないが、
ジャニー喜多川氏は今で言うBTSのようなグループを80年代には手掛けていた。それは時代の最先端を目指していたのは明確で。

ちなみにBTSは2013年にデビューしたグループであるので、それよりも遥かに早い、ほぼ30年も前にあのフォーマットを作っていた。

私はそこにジャニー喜多川氏の本当の姿を感じるんだよね。

でないとあれほどの求心力を保てないだろう。                

みんなその壮大な夢について行ったのではないだろうか。          

数々の人気アイドルグループを生み出し育ててきたと言うのはあくまでも結果論であって。

そういう意味でも少年隊が彼の最高傑作であったのは間違いないよね。

そのグループで念願だったオリジナルミュージカル「PLAYZONE」を(WEST SIDE STORYを除く)23年間もの長い間続けてきたのだから、それは偉大な功績である。

最初に抱いていた彼らの夢は果たせたのではないだろうか。

(続く)


「少年隊」とは
田原俊彦や近藤真彦のバックダンサーなど、数年間の下積み期間を経て
1985年12月12日『仮面舞踏会』でレコードデビュー。
デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」
デビュー当時のレコードレーベルはワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージック・ジャパン)全米デビューも予定されていた。

1986年に少年隊主演ミュージカル「PLAYZONE」開幕。
その後2008年までの23年間に渡って、毎年オリジナルのミュージカルを上演していた。
この間少年隊としての音楽活動だけでなく、それぞれ個人での舞台、映画、テレビ番組、ラジオ番組出演など多岐に渡って活動している。
2008年のPLAYZONE公演を最後に、現在までグループとしての活動はほとんど行われていなかったが
2020年9月20日、メンバーである錦織一清と植草克秀が同年を以てジャニーズ事務所を退所することを発表した。
尚、東山紀之は今後も事務所に残って活動をする。グループとしての活動は事実上活動休止ではあるが、同事務所所属のグループとしての「少年隊」という名前は存続する。
2020年12月12日、デビュー35周年の記念として、全シングルベストアルバム 『「少年隊」35th Anniversary BEST』をリリース予定。
完全受注生産限定版では全シングルを含め過去にリリースされた楽曲の新録音版、未CD化の曲も収録。(現在、受注生産限定盤の申し込みは終了しています。)








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