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【とうらぶ】義経と弁慶はやっぱりこの場所が印象深い。

こんにちは!

こしあんです。

牛若丸と弁慶が戦った場所と言えば橋の上というイメージがありますが、室町時代に書かれた軍記物語「義経記」によれば元々二人は清水の舞台で戦っていたそうです。

意外ですね。

後に脚色され当時「五条橋」と呼ばれていた橋の上に舞台は移ったそうです。

私も義経と弁慶の話でミニチュアを作ろうと思ったとき、真っ先に思い浮かんだのは橋の上でした。
牛若丸が橋の欄干らんかんをぴょんぴょん跳びはねて、弁慶を翻弄するイメージがあります。

この話は割と有名ですが義経と弁慶が持っていた武器をあなたはご存知ですか?

よくイラストなどでも義経は刀で弁慶は薙刀を持っていますよね。
「義経記」によれば義経が持っていたものが今剣いまのつるぎと呼ばれ、弁慶が持っていたもが岩融いわとおしと呼ばれています。

どちらも現存しないものとされています。

【今剣】
平安時代中期に活躍した京都三条の刀鍛冶宗近が、鞍馬寺に奉納した短刀であるという。
それを平安時代末期、鞍馬寺別当の東光坊蓮忍が引き出して秘蔵し、鞍馬寺に預けられていた源義経に与えられたということになっている。

「刀剣目録」より

因みに「刀剣乱舞」というゲームでも擬人化されていて、上の画像で言えば左が今剣で右が岩融となっています。


そういえば、物を作るときによくあることなんですが、自分がよくモノを知らないという事を思い知らされます。
たとえば、橋の欄干の上にある飾りの名前を知っていますか?
私は知りませんでした。

画像の黒い飾りの部分です。
これは擬宝珠と呼ばれ、「ギボシ」または「ギボシュ」と読みます。
ミニチュアを作らなかったら一生知ることはなかったかもしれません。
世の中にはいつの間にか”知っているつもり””わかっているつもり”のものが沢山あります。

一度、いろんな物の正式名称や由来を調べてみると面白いかもしれませんね。


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